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小津監督を巡る文献・資料

小津安二郎を巡る関連文献・資料

1977年の関連文献・資料

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書誌情報
1977
Donald Richie『OZU』Paperback Edition(1977年発行、University of California Press,275頁)

「Preface」
「Introduction」(1-17頁)
「Script」(18‐104頁)
「Shooting」(105-158頁)
「Editing」(159-185頁)
「Conclusion」(186-192頁)
「Biographical Filmography」(193-252頁)
「Notes」(253-263頁)
「Bibliography」(265-269頁)
「Index」(271-275頁)

田島良一「戦後映画思潮と小津安二郎」『日本大学芸術学部紀要』第七号(1977年発行、日本大学芸術学部、9頁)

Ⅰ~Ⅲ
冒頭を引用する。
「監督の小津安二郎さん(五八)が映画界で初めて芸術院会員になった。(中略)大正十二年松竹蒲田撮影所に入所、昭和二年の処女作「懺悔の刃」以来、「彼岸花」「宇戦物語」「東京物語」「晩春」そして最近の「秋刀魚の味」まで詩情のにじみ出た作品を発表してきた小津さんは、昭和三十三年紫綬褒章、三十四年芸術院賞(三十三年度)を受けているからこんどの”会員選出”は一面からみれば遅すぎた感があった。(「毎日新聞」昭和三十七年十一月二十八日付)
 小津安二郎が菅原通済の推輓で映画界初の芸術院会員となったのは右の報伝にある昭和三十七年十一月二十七日(発令は三十八年二月一日付)のことである。小津はこの年の翌年、奇しくも還暦の日に当たる昭和三十八年十二月十二日に頭部悪性腫瘍(腮源性癌腫)のためお茶の水の東京医科歯科病院で不帰の客となった。因みに小津の死に先立つ半年前の六月十一日には、風俗喜劇に異彩を放った川島雄三が心臓衰弱のため四十五歳の若さで逝っている。昭和二年に『懺悔の刃』でデビュー以来、戦前は『生まれてはみたけれど』『出来ごころ』『浮草物語』でキネマ旬報ベストテン三年連続一位、戦後は芸術院会員と名声の絶頂を極めたこの巨匠であったが、周知の通りその晩年は、このような名声とは裏腹に、当時擡頭してきた戦後映画のヌーヴェル・ヴァーグを支持する若手批評家や観客によって、その形式主義や時代を遊離したブルジョワ的低徊趣味を攻撃され、正に集中砲火を浴びている観があった。」(99頁)

『映画史研究』No.9(1977年発行、佐藤忠男編集、96頁)

TADAO SATO「THE ART OF YASUJIRO OZU(5)」(88-96頁)

『映画史研究』No.10(1977年発行、佐藤忠男編集、96頁)

及川満「小津安二郎論・序説(5)」(68-78頁)
TADAO SATO「THE ART OF YASUJIRO OZU(7)」(91-96頁)

『京都フィルムライブラリーNO2-小津安二郎特集-』(京都府文化事業室企画、1977年5月1日発行、夕刊京都新聞社、16頁)

かいせつ「長屋紳士録」、「晩春」(2‐3頁)
「小津安二郎監督作品一覧」(4‐5頁)
伊藤大輔「その石はそこに在る」(6‐7頁)
岸松雄「小津安二郎の『豆腐の味』 『長屋紳士録』と『晩春』と」(8‐9頁)

『リクエスト作品選』(1977年9月28日発行、銀座並木座、4頁)

「麦秋」(表紙)

放送台本『文芸劇場 ドラマで綴る昭和(映画シリーズ③)「晩春」』(NHK、1977年11月18日、106頁)

NHK放送台本『文芸劇場 ドラマで綴る昭和(映画シリーズ③)「晩春」』
原作 小津安二郎・野田高梧
脚色 森崎和江
演出 斎明寺以玖子
放送 昭和52年11月18日(金)21:05~21:58 第一
※福山象三使用台本、福山象三は、本ドラマでは、「多喜川の亭主」役で出演されている。
俳優は、曽宮周吉:芦田伸介、曽宮紀子:香山美子他

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