小津安二郎ネットワーク

小津ネットの歴史

小津ネット設立までの歴史

第一回小津サミット
1999年12月11日
(飯高町)

飯高オーヅ会※会長柳瀬才治氏の呼びかけによって、「第6回オーヅ先生を偲ぶ集い」(於:三重県飯南郡飯高町ホテルスメール)において、日本各地で小津安二郎監督の顕彰活動を実施している団体・個人が集まり、ミニサミット(後に第一回小津サミットと呼ばれた会議)が催された。

ここに、深川(長谷川武雄:江東区シネマプラザ)、鎌倉(佐々木正典)、茅ケ崎(池田英子:池田忠雄夫人、石田雅子)、蓼科(北原克彦:ヒップス代表、島立雄幸)、尾道(斎藤一雄)、伊勢市(中村博男:元NHKチーフディレクター、中村賢一:「伊勢志摩文化舎」代表)、飯高(宮本町長、中村助役、柳瀬才治、中瀬)、松竹映像版権部(及川克己)、総合展望(三上真一郎、飛田孝:道路サービス機構常任大阪支社長、沢園昌夫:LD「小津安二郎監督作品シリーズ」担当、築山:長野県短期大学教員)、進行世話係(藤田明:高田短期大学教員、吉村英夫:三重大学講師)が集まり、それぞれの地域での小津監督の顕彰活動について報告、来る生誕100年について、いかにスケジュールを調整するか、また、それぞれが有機的につながりことができるのかについての議論がなされた。

※小津安二郎監督は、1925(大正11)年4月に、宮前村(現三重県松阪市飯高町)宮前小学校に、代用教員(5年生の担任)として奉職した。小津の直接の教え子ではないが、当時本校3年生で、担任が休校した場合に合同授業で、小津の授業を受講したという故柳瀬才治氏(1939年より母校宮前小の教員となり、1972年同校校長として退職)がが中心になって、小津生誕90年を契機に1993年に設立した。
1994年6月、小津ハマ氏を囲む会実施、1994年、飯高町老人福祉センター内に「小津安二郎資料室」を開室、1994年12月に、柳瀬才治著『人それぞれに オーヅ先生の思い出』(私家版)出版、1995年8月、斎藤高順氏を囲む会、1995年12月、第2回オーヅ先生を偲ぶ集い(ゲスト:司葉子氏)、1996年12月、第3回オーヅ先生を偲ぶ集い(ゲスト:池部良氏)、1997年12月、第4回オーヅ先生を偲ぶ集い(ゲスト:岩下志麻氏)、1998年12月、第5回オーヅ先生を偲ぶ集い(ゲスト:淡島千景氏)、1999年12月、第6回オーヅ先生を偲ぶ集い(ゲスト:三上眞一郎氏)と、小津映画に出演した俳優をゲストに迎え、顕彰活動がされた。1998年12月には、柳瀬才治著『私見 小津安二郎 宮前での一年』(私家版)が出版されている。

第二回小津サミット
2000年2月12日
(深川)

江東区の長谷川武雄ご夫妻のお世話により第二回小津サミットが実施された。会場は、江東区ホテルB&G。

この時の様子は、小津ネットニュースレターの創刊号に詳しい。1頁から抜粋してみよう。

「2月12日は柳瀬さんをはじめ、行政・企業・団体・個人など様々な立場から16名の参加があり、監督に関わる情報の交換・共有化を目的とした緩やかなネットワーク「全国小津安二郎ネットワーク会議」(仮称)の仮設立がなされました。 今後、正式設立に向けての組織作り、2003年の生誕100年事業及びそれ以降も視野に入れた活動の是非を検討することを確認しました。また、当面、事務を三重県の田中が中心となり執り行う。 ニュースレターや松竹(株)のホームページを通じて情報を発信していくことの同意を得ました。 会議終了後、小津ハマさんをお迎えし懇親会が開かれました。

新聞報道
2000年4月12日
毎日新聞

小津ファンの輪全国に監督の生誕100年前に三重の教え子が呼びかけネットワーク化を呼びかけたのは、代用教員時代の教え子らでつくる「飯高オーヅ会」の柳瀬才治会長(85)=三重県飯高町宮前。 同会は毎年、監督の誕生日で命日でもある12月12日に、小津監督をしのぶ集いを開催、司葉子さんや淡島千景さんら小津映画に出演した俳優を招いたこともある。 活動を通じて、小津監督に関するイベントが伊勢市をはじめ、東京・深川や、小津監督が脚本をよく執筆した長野県茅野市、神奈川県茅ケ崎市などでも開催されていることを知り、生誕100年事業のネットワーク化を考えた。

昨年12月に飯高町で開いた集いで、全国各地の関係者にネットワーク化を提案した。

情報紙は、映画ファンの三重県一志町庄村、銀行員、田中忍さん(41)が編集を担当して3月10日創刊された。B5判、4ページ。

柳瀬会長は「代用教員時代の小津監督は、ちゃめっ気たっぷりの人間味豊かな人だった。監督ゆかりの土地の特色を生かしながら、その生涯の顕彰、追慕に一年がかりで取り組みたい」という。また、小津監督の義妹、小津ハマさん(千葉県野田市)も「大変ありがたいこと。 寄せられる多くの情報をきちんと整理し、みなさんのお役に立ちたい」と、ネットワーク化を喜んでいる。(田中功一)

第三回小津サミット
2000年6月26日
(鎌倉・大船)

6月26日は、マスコミ各紙でも報じられた通り、大船撮影所(神奈川県鎌倉市)64年の歴史に終止符を告げる、“ありがとう大船撮影所-新たな天地へ向けて-”と題する式典が、所内および隣接する鎌倉芸術館にて開催。
同日、並行して、撮影所では、小津安二郎監督ゆかりの各地の皆さんが一同に集い、2003年の「小津安二郎生誕100年」に向けての、通称「小津サミット」が開催された。
これは、昨年の12月12日(小津監督誕生日・命日)に、三重県飯高町で行われた「オーヅ先生(*1)を偲ぶ会」での会議を第一回目とし、今年2月に東京・深川で行われた第二回に続き、第三回にあたる。 撮影所内の毘沙門天の遷座式が行われる頃、ゆかりの各地の皆さんは、「全国小津安二郎ネットワーク」(仮称)の設立を目指しての会議に臨んだ。

今回は、江東区、飯高町、伊勢市、茅野市、尾道市の、今までの顔ぶれに加え、撮影所のお膝元で、小津監督終の住処である鎌倉市の方にも参加してもらい、「ネットワーク」の正式な設立に向け、一歩前進。

第四回小津サミット
2000年11月10〜12日
第3回小津安二郎記念・
蓼科高原映画祭

2000年11月10~12日に開催された第三回小津安二郎記念・蓼科高原映画祭において、第四回小津サミットがアートランドホテル蓼科にて開催された。小津ネットワーク正式設立にむけて、具体的に検討された。
・ ネットワークのあり方の確認
・ 役員について(会長、副会長、事務局長)
・ 法人や団体でも参加しやすい会員組織にするにはどうすればいいか
ここで出された案を各々持ち帰り、次回のネットワーク会議で決めることになった。

第五回小津サミット
2000年12月12日
(飯高町)小津ネット設立

三重県飯南郡飯高町宮前の老人福祉センターにて、全国小津安二郎ネットワーク会議の正式設立に向けての話し合いが行われた。具体的には、
1.「ネットワーク会議」の設立趣旨及び申し合わせ事項について
2.組織体制について
3.会員及び会費について
4.会員名簿の発行及び会員拡大のための方法について
5.今後の情報収集及び情報発信について
6.正式設立宣言について
等であった。

「全国小津安二郎ネットワーク会議」は「第七回オーヅ先生を偲(しの)ぶ集い」(主催・飯高オーヅ会、飯高町)において、設立された。

会長は小津監督生誕地の深川在住の長谷川武雄、副会長は築山秀夫(長野県長野市在住)、事務局長は田中忍(三重県一志郡一志町在住)、そして、飯高オーヅ会会長の柳瀬才治が名誉会長となった。

『巨匠とチンピラ
小津安二郎との日々』
で紹介

2001年

『巨匠とチンピラ 小津安二郎との日々』(三上真一郎著、2001年4月20日、文藝春秋)で小津ネットが紹介される。

276頁より抜粋

この飯高で昨年発足したのが、「全国小津安二郎ネットワーク会議」である。来る2003年小津巨匠生誕百年を記念して全国的な祝賀会を催そうという集まりの名誉会長は、言うまでもなく飯高オーヅ会の柳瀬才治さん。 そして、会長に選出されたのが長谷川武雄さんである。

小津生誕の地東京深川にお住まいの江戸っ子はダンディな七十歳の元中学教師だが、じつは長谷川さん、そもそもは小津映画のファンではなかった。 友人にして大の小津ファンである江東区長が滔々と語る小津絶賛にやむなく見た小津映画。 目から鱗こぼれ落ちたか知らぬが、慌てて買い求めた小津巨匠の作品ビデオであったという。 以来、生誕九十年の企画に参画したのをきっかけに、若い江原真紀嬢、小林秀樹君たちと毎月催す映画上映会、江東シネマクラブの発足に尽力された。 後れ馳せながらの小津ファンはときに「小津先生は……」などとやはり刷り込まれておいでだ(最後に、長谷川、柳瀬の住所が掲載された)。

松竹のホームページで紹介

松竹のホームページにおいて、小津ネットの活動・イベントが紹介される

小津安二郎生誕100年
記念イベント開催

2002年~2003年

各地で小津安二郎生誕100年記念イベント開催
»イベントスケジュールPDF

全国小津安二郎
ネットワークへ

2007年

2007年総会において、全国小津安二郎ネットワーク会議という名称から、会議を削除し、現在の、全国小津安二郎ネットワークとした。

「I.組織名称の変更 本組織は、発足当時、小津監督生誕百年のイベント調整を行う目的があり、全国各地で顕彰活動を行っている団体を結んで会議を行うというスタイルを持っていたこともあり、「全国・小津安二郎・ネットワーク・会議」という組織名が採用された。 各地における生誕百年のイベントも成功裡に終わり、2007年度に、会員証を発行するにあたり、組織名から「会議」を削除し、「全国小津安二郎ネットワーク」とすることが、総会で議決された。」(2007年度活動報告より)

朝日新聞に
会員の河谷史夫が記事執筆

2009年

2009年8月1日(土)朝日新聞「be on Saturday」に会員の河谷史夫(朝日新聞社)が、「小津から弟子への鎮魂」という記事執筆。全国小津安二郎ネットワークについて言及され、この時の懇親会の様子についても触れられた。

一部抜粋「人生、何が快事といって、同好の士と好きな人のことどもについて語り合うにまさることはない。『全国小津安二郎ネットワーク』というのがある。2003年の小津生誕100周年を機にできた。会員120人。研究者や収集家、それにごく普通の小津好き。集まると、小津のことで話が尽きない。『酒を飲まない男をおれは信用しない』と小津は言ったというから、座に酒は欠かせない。小津のことなら何でも知っている義妹のハマさんも必ず出席され、酒飲みのおだを笑って聞いておられる。」「この6月。小津ネットは東京で山中貞雄監督の映画『河内山宗俊』を見た。日中戦争中、28歳で戦病死してしまった山中の「嘖々たる俊才」を小津はこよなく愛した。…つづく」

小津ネット活動の歴史

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