全国小津安二郎ネットワーク

小津監督を巡る文献・資料

全国小津安二郎ネットワーク関係の文献

  1. 全国小津安二郎ネットワークによる文献

    全国小津安二郎ネットワーク事務局編『柳瀬才治さんからの手紙』(2015年12月12日、36頁)

    飯高オーヅ会初代会長、全国小津安二郎ネットワーク会議初代名誉会長の柳瀬才治さんから小津ネット会員に届いたお手紙を編んだもの。これは、小津監督の三重県立第四中学時代の旧友が小津監督追悼級会を開催するにあたって作成した『小津安二郎君の手紙』(1965年10月)を範としている。二部構成からなり、一部は「柳瀬才治さんからの手紙」、二部は、「拝啓、柳瀬才治様」として、柳瀬さんにこちらから当てる手紙である。編集は、田中忍事務局長である。

    『柳瀬才治さんからの手紙』

    全国小津安二郎ネットワーク発行『小津監督生誕110年記念講演会講演録 小津安二郎の知覚 前田英樹』(築山秀夫編、2016年8月29日、26頁)

     立教大学現代心理学部映像身体学科教授の前田英樹先生に、2014年4月26日に講演頂いた「小津安二郎の知覚」の講演録である。編集は、築山秀夫副会長が担当したが、二年を要した。前田先生には、講義録を作成することを快諾下さり、校正も快くお引き受けくださいました。内容は以下の通りである。「1.はじめに 映画監督を越えた、特別な存在としての小津安二郎」、「2.映画という知覚機械の本質」、「3.小津映画における二重の線―主旋律と違うものを撮ること―」、「4.小津映画における信仰」、「5.ベルクソンにおける生の二重性―デ・ジャ・ヴュを巡って―」、「6.世界の存在に繋がる小津監督の空ショット」、「7.狩猟・牧畜文化に生まれた映画機械と稲作文化との親和性」、「8.ロー・ポジションの意味―誰からも見られずにそこにあるものを撮す視線―」、「9.ロー・ポジションという高見原から降りてきた眼―人間の視線より常に下に外れる視線―」、「10.「かんながら」の映画」、「11.かんながらの眼の確立―ロー・ポジションと多層フレームの結合―」、「12.トーキー映画と多層フレーム、そして、ロー・ポジションの確立」、「13.おわりに 『麥秋』のラストシーンのこと」、「14.質疑応答」。

    『小津監督生誕110年記念講演会講演録 小津安二郎の知覚 前田英樹』
  2. 飯高オーヅ会関連文献

    佐井 治(柳瀬才治)『むかしむかし物語』(非売品、私家版、1991年11月15日発行、380頁)

     飯高オーヅ会初代会長、全国小津安二郎ネットワーク初代名誉会長の柳瀬才治の私家版第一号である。 「田圃や畠へ出ることも億劫になって、子供の頃にはこんな事もあった、あんな事もしたという昔話を書きとめてみた。 原稿を整理して、食べ物の事と、遊びの記録が大変多いのに一寸気恥ずかしい気がする。 しかし、その事がその時代の特長でもあったのであろう。」(p.7)と序に書かれている。 「江の章 田舎の店や建物」(公共の建物)3、小学校(pp.226-230)において、「大正十一年の四月、この宮前小学校に小津安二郎という、若い先生が来た。」と小津監督について書かれている。 着物姿の小津先生が映し出されている卒業写真が掲載されている。

    『むかしむかし物語』

    飯高オーヅ会『人それぞれに オーヅ先生の思い出』(1994年12月発行、79頁)

     飯高オーヅ会の柳瀬才治が、代用教員時代の小津監督の思い出を寄稿(一部は聞き取り)頂いたものを、一冊にまとめたものである。 はじめに「大正十一年四月には本校の三年生から高等二年生まで二六四名、その中で既に亡くなられた方が一六七名、生死不明が十名、残りの八七名も入院中あるいは病臥中の方が四名(町外者の病気は未確認)八三名だけが「まあまあ元気」という結果でした。 その八三名とても三年先五年先の健康は誰も保証できません。今の間に『オーヅ先生って一体どんな先生だったのか』と先生の思い出を一冊の文集に纏めることにしました。」(p.18)とある。寄稿された方のうち47名のスナップも掲載されている。

    『人それぞれに オーヅ先生の思い出』

    柳瀬才治『私見 小津安二郎 宮前での一年』(私家版、1998年12月12日発行、134頁)

     冒頭の写真の部分には、飯高オーヅ会による第一回から第4回までの「オーヅ先生を偲ぶ集い」の集合写真などが掲載されている。 飯高オーヅ会会長として、飯高町での小津監督の代用教員時代をできる限り詳らかにしようとした労作である。 宮前小学校跡地に立つ飯高町老人福祉センターに開設された『小津安二郎資料室』に、寄贈された資料の中から、マンドリンを弾く小津安二郎の写真や小津監督が三歳の時の家族写真など貴重な資料が掲載されている。 宮前小学校辞令写簿、宮前小学校提出の小津監督履歴書、小学校3年生の綴り方、奥山正次郎氏とやりとりした手紙、宮前小学校学級編成表、担任生徒へ小津が送った暑中見舞い(大正12年夏)などの資料などを用いて、当時を浮かび上がらせている。

    『私見 小津安二郎 宮前での一年』
  3. 江東区古石場文化センター関連資料

    (財)江東区地域振興会・江東区古石場文化センター編『合本 江東シネマ倶楽部だより 100号の記録』(2006年1月28日発行、287頁)

     1997年10月に「江東シネマプラザ」がスタートし、それと同時に、発行されたのが「江東シネマ倶楽部だより」である。 毎月開催されるシネマプラザで上映される作品の解説や観客の感想などが掲載されている。 第1号(1997年10月号)では、1997年9月23日から10月18日まで、古石場文化センター開館記念イベント「小津安二郎と江東」が終了し、約2,000人の来場者があったことを伝えている。 また、第15号(1998年12月号)では、「小津安二郎監督と深川~安二郎の足跡~」「脚本家 野田高梧」が掲載されている。 第1号から42号まで、コラム「映画を読む」が38回、第47号からコラム「シネマ雑記」が掲載されている(第100号は54回)。 サイズは、B5の縮小版で、上映映画作品の梗概・スタッフ・キャストの頁がカットされている。表紙は、佃雅織氏の『東京の宿』、裏表紙は奥山潤氏の『東京物語』。

    『合本 江東シネマ倶楽部だより 100号の記録』

    江東区文化コミュニティ財団・江東区古石場文化センター編『合本 江東シネマ倶楽部だより150号の記録』(2011年3月26日発行、568頁、500円)

     「江東シネマだより」150号の合本で、100号ではカットされていた上映映画作品の梗概・スタッフ・キャストページも含めて合本されている。サイズも等倍のA5版となった。 表紙は、馬場哲弥氏の切り絵である。

    『合本 江東シネマ倶楽部だより150号の記録』

    江東区文化コミュニティ財団・江東区古石場文化センター編『小津安二郎と深川』(小津安二郎紹介展示コーナー開設十周年記念、2014年3月31日発行、14頁)

     冒頭見開きに、「江東区は小津安二郎監督の業績を顕彰するため、小津監督の生誕100年にあたる平成15(2003)年、生誕地から1㎞ほどの地にある古石場文化センターに「小津安二郎紹介展示コーナー」を開設しました。開設にあたりましては小津監督のご遺族、全国小津安二郎ネットワーク、三重県飯高町オーヅ会、鎌倉文学館をはじめ、小津監督ゆかりの多数の関係者の方々から資料のご提供を賜りましたことをここで改めて感謝申し上げます。」「『小津安二郎紹介展示コーナー』の開設から10年という区切りの年に、この小冊子を上梓できることを大変幸せに思い、関係者のみなさまに心より御礼申し上げます。」とある。 内容は、映画監督小津安二郎、小津安二郎と深川①深川の伊勢・松坂商人、②明治時代の深川と安二郎少年、③深川から鎌田撮影所へ、④現在の深川、小津安二郎の生涯、小津安二郎ゆかりの地を歩こう、江東を舞台とした小津安二郎作品、小津安二郎紹介展示コーナーの所蔵品他である。

    『小津安二郎と深川』

    江東区文化コミュニティ財団・江東区古石場文化センター編『合本 江東シネマ倶楽部だより151号~200号』(2015年3月10日発行、202頁)

     江東区文化コミュニティ財団・江東区古石場文化センター編『合本 江東シネマ倶楽部だより151号~200号』(2015年3月10日発行、202頁)  江東区シネマ倶楽部だよりの第150号(2010年4月)から第200号(2014年12月)までを合本したものである。本体は、カラー印刷であり、配布されているシネマ倶楽部だよりはグレーであった写真をカラーで見ることができる。表紙は、宇田川のり子氏の小津監督の似顔絵である。

    『合本 江東シネマ倶楽部だより151号~200号』

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