『蒲田』第六巻第十號通巻六十三號(1927年10月1日発行、蒲田雑誌社、120頁)
長崎武「吾妻三郎を鞭撻す」80-81頁
※吾妻三郎は、小津安二郎監督第一作『懺悔の刃』の主演である。その吾妻が幹部に昇進したことで書かれた文章である。
内田岐三雄「「恒さん」を繞(めぐ)る」86-87頁
※一部を引用する。
「曾(かつ)て「華麗館主人」大久保忠素先生の下にあって、現代の新しい感覚の内に再生したるマンモス小津(をづ)「おつちゃん」と、女に親切なる辻「つじけん」と共に、忠素が三羽烏と称せられたる「恒(つね)さん佐々木は、一躍、志を得て監督に昇進した。
そして其の第一回作品「深窓の美女」は、恒さんが憧憬の佳人ささき・きよのを以ってスタアと選ばれ撮影せられんとした。
その当時、恒さんを知る人のあらん限りは恒さんの前途を危ぶんだものである。恒さんはその当時に恐ろしくヒョコヒョコしていた。腰がまるで落ち着かず、せかせかと、あがっているかに見えた。目は狭い所ではなく、キョトキョトしていた。
そして、撮影が始まった。偶然一日、私はその撮影を目撃する機会を得た。そして私は、これは、と思った。
恒さんは徒に一生懸命になるばかりで、はかが行かなかった。そして、主役の渡邊篤くんは何とはなしに疲れているかに見えた。また佐々木清野君は君らしい憂鬱な顔を動かさなかった。それからキャメラの内田齊ちゃんは、これは例によって、内気らしく口をもがもがさせながら、キャメラを覗いたり、空を見たりしていた。
これは弱った事だ、と事実私はそう思ったのである。これは恒さん、大変なものを作りはしないかな、そんな失礼なことさえ考えたのである。が、意外、
出来上がったものは、決して大変なものではなかった。それには一つのテムポと一つの纏りとが、また堂に入っていなかったにせよ、あったのである。小さく紀要に作られているのを発見したのである。
-中略-
が、私は秘かに考えるのである。
恒さんはその映画の撮影に際して常に感激があるからなのだ、と。その感激は、外でもない、佐々木清野君なのだ、と。清野君を主役に使うということが、恒さんにとっては非常な感激の源であり、幸福の理由なのである。だから、その作った映画が、快く人に見られるのだ、と。
この私の言葉を疑う人は、まあ夕方でも銀座を歩いて御覧なさい。
眼鏡をかけた尖がった男が、心持ち首を前につき出しながら、幸福と光栄に酔った瞳を輝かして、美しい女性と肩を並べて歩いているのを見受けられることがありましょう。
その男の人が佐々木恒二郎君です。女の人が佐々木清野君なのは申すまでもないでしょう。
斯くて若き有望なる監督者は、その美しいスタアと共に夜の銀座街頭を歩きながら、尽きせぬ感激と昂奮と幸福とを味わっているのであります。