『映像文化』第48号(1972年4月29日発行、映像文化研究会、64頁)
今村太平「資料 会話の味-小津安二郎、野田高梧のシナリオ」
※この文章は、昭和32年6月「PHP」110号に掲載されていたものの転載である。冒頭は、このように始まる。「最近必要があって小津安二郎の「晩春」その他のシナリオを読んだが、映画を見たときそれほど印象に残らなかったせりふに、なかなか味のあるもののあることを知った。それは毎日くりかえされるもので、いわば生活のシミの出た言葉だ。野田高梧と小津安二郎のシナリオは、こうした日常のさり気ない会話をよくとらえているが、これは小市民の会話のスケッチにちがいない。「晩春」のファーストシーン、鎌倉円覚寺での茶会で、紀子と叔母のまさがかわすこの雰囲気とはおよそ不似合なつぎの会話はその一例だ。まさ(紀子の帯を軽く直してやりながら)「ねえ、叔父さんの縞のズボン、ところどころ虫が食っちゃったんだけど、勝義のに直らないかしら?」紀子「でもブーちゃん、縞のズボンはいたらおかしかない?」まさ「なんだっていいのよ。膝から下、切っちゃって、どう?」紀子「そりゃ直るでしょうけど」まさ「やってみてよ(風呂敷包みを出して)これ」紀子「あら、持ってらしたの?」まさ「ちょこ、ちょこっとでいいの。どうせ、すぐ駄目にしちゃうんだから、(と渡して)お尻んとこ二重にしといてね」鎌倉円覚寺の境内といい、茶の湯の会といい、この会話はおそろしく不似合である。つぎの場面ではお点前が始まり、庭では鶯が鳴いている。そしてまさも紀子もしごく神妙にこの席につらなっているのである。上品な茶会と、このあまりにも現実的な会話がユーモラスだが、こうした生活のユーモアは小津の映画の特徴である。