全国小津安二郎ネットワーク

小津監督を巡る文献・資料

里見弴『彼岸花』(1958年8月30日発行、角川書店、223頁)

「彼岸花」(5―56頁)
「山小屋」(57―81頁)
「臥柳自生枝(ぐわりうおのづからえだをしやうず)」(83―100頁)
「ノイローゼ」(101―129頁)
「火蛾(ひとりむし)」(131―164頁)
「薄れ行く燈」(165―176頁)
「原田文書に関する記録」(177―219頁)
「あとがき」(220―223頁)
※あとがきより一部抜粋する。「小津安二郎、野田高梧の両君は、私の親しい友達だが、二十年来、原作のあるなしに拘らず、映画のシナリオを合作して、世に「名コンビ」と謳われているし、現にまた、数か月間も旅館に起居を共にしながら、仕事に勤しんでをられるところへ、心なくもお邪魔に罷り出たこともある。が、依然として共同制作の骨法は、私には不可解なものだった。ところが、それこそ「不思議な御縁」とでも言はうか、今年の正月、小津君から、私の原作を映画にしたい、との申出があり、それならば著作のあれこれを詮議するより、いっそ映画化されることを意識して、新たに一作を書きおろさうではないか、との相談が一決し、早速、小津、野田両君と三人で湯河原に滞在し、どうやらおほあらましの筋が立って、嘗てはゴンクール兄弟を不思議がった私自身が、思ひがけなくもその轍を踏むことになった。もっとも、両君は両君で、初めからシナリオを作る気だし、私は私で、ぼぼ似たような筋の小説を書けばいいので、正確な意味での合作とは言へないが。こんな経緯があって、私の作としてはいくぶん毛色の変ったこの作品が出来上がったので、だいぶ両君のお知恵もはいっているわけだ。この作品が、そういふ制約の下に、多少なりとも歪められているかどうか、そこは読者のご判断に任せる。昭和三十三年六月號の文藝春秋に発表。」

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