2020.04.04
菅原通済『裸天国ニッポン』(1964年10月31日発行、創思社、312頁)
「早春余慶」(154-157頁)
※「小津安二郎さんの遺族の方が、お形見を持参された。麻の蚊紋と茶羽織、それに掛軸が二本添えてあった。それが、かって私が記念に差し上げた古画なのだが異様に感ぜられた。こうした由緒のある品は、私たちが持つよりは、どうか元どおり御蒐集品の中に加えてください。との言い伝えだった。さすがは小津御一家らしい謙遜な態度と心温まる思いであったが、そのままに打ち過ぎた。ところがつい先頃その箱の中を調べてハッとした。‥」
「小津安二郎サン」(266-269頁)
※「最後の親友を失い、かくなにものにもない。数々の追憶談の出尽くした今日、つけ加えるなにもない。松竹で、社葬にはできないが、協会と合同葬にする、それをきいて味気なく、翌朝通りいっぺんの、素っ気ない黒枠広告を見て、益々その感を強め、葬式場で、形式的な、大谷君、大臣、院長等々の代理、代理の弔辞をきいて、人ごとのような思いにかられ、味も素っ気もない、そこらの安社長の社葬のような気がしてきたが、やっと里見弴先生の肉声で救われ、うら淋しい気持ちで引き上げた。‥」
「佐田啓二と保険」(278-279頁)
※「佐田啓二君の事故死で、どうしてあんな俳優稀に見る勤直な男が無残な死に方をせねばらなぬのか、木下監督の弔辞ではないが、神仏がにくらしくなったのは我のみではあるまい。その葬式が終わったら、高島忠夫君の幼児が十七娘に殺された。佐田とは異なり、告別式に行くほどの仲でもないのに、どうしても焼香がしたく、先約を断り、玉川迄暑い盛りを出かけた。奥さんは身も世もないほど打ちしおれ、うつぶせになって泣き伏している。‥」