2017.09.01
柳井隆雄『小さき世界-私のシナリオ墓標-』(1979年12月23日発行、映人社、289頁)
口絵写真「昭和十七年 茅ケ崎館にて『父ありき』執筆中 左より 柳井隆雄、小津安二郎、池田忠雄」
「シナリオ 父ありき」(125―168頁)
「『父ありき』後記」(169―170頁)
※一部抜粋する。「『父ありき』執筆の動機が誰の発案であったか、父君を失って間のない小津安二郎の、父君に対する追慕が動機であったかと追想されるのである。」(169頁)。
「回想の蒲田<日記抄>」(263―264頁)
※一部抜粋する。「昭和四年十一月十日 コンストラクション出来ず、自分の才能を疑うことしきりなり。野田さんのところへ道を拓いて貰うべく行く途中撮影所へ寄る。野田さんに会う。今日は親類へ行くとのこと。相談中止。試写室で「アスファルト」の試写を見る。よろしき写真。日本での工業は全然ダメかも知れん。検閲通過困難。ベッティ・アーマンの性的魅力は悩ましきかな。皆な変な憂うつな気持になる。小津、清水(宏)、小松(北村)池忠の四兄と、「喜久のや」なる料亭に上る。芸者三名、十一時まで騒ぐ。詩人小津安二郎の面目、朗らかな池忠の面目、無邪気な清水、善良で物解りの良い小松ちゃんの面目、そして、それぞれのエネルギッシュな溌溂さ、羨ましく快き限りであった。一人偽善者に似た自分の存在が淋しかった。頑な、はにかみ屋の自分、その為に人を不快にさせはしないか、時々それが気になる。」