全国小津安二郎ネットワーク

小津監督を巡る文献・資料

佐々木康『佐々木康の悔いなしカチンコ人生』(1993年3月31日発行、けやき出版、265頁)

「小津監督から学んだこと―蒲田での修業時代」(37-52頁)
※一部抜粋する。「清水監督は、私を寝るまで放そうとしなかった。なにかにつけて「ズー、おい、ズー」と、私を呼ぶのである。「ズー」というのは、私の東北訛りを聞いて、清水監督がつけたあだ名である。このあだ名は、映画関係者の間に広まり、その後、私は「ズーさん」と呼ばれることが多くなった。」(40頁)「なぜ、小津組に入ったのかというと、小津監督には、助監督がひとりしかいなかったからである。みんな小津さんの下で働きたいのだが、チーフ助監督をしていた小川二郎という人物の評判がすこぶる悪く、だれもその下につこうという者がいなかったのである。そこで、小津監督が助監督として仕えたことのある、大久保忠素製作部長と、小津さんが責任を持つからというので、私が小津組に行くことになったのである。」(43頁)「私が、助監督として初めてついたのは、高田稔、田中絹代主演の『大學は出たけれど』(昭和四年・一九二九)という作品だった。」(44頁)「小津監督といえば、徹夜好きでも有名だった。俳優に、念の入った細かな演技をつけるので、どうしても時間を食ってしまうのである。」(45頁)

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