全国小津安二郎ネットワーク

小津監督を巡る文献・資料

上原謙『がんばってます 人生はフルムーン』(1984年4月12日、共同通信社、285頁)

「小津安二郎と志賀直哉」(153-158頁)
※一部引用する。
「婚約三羽烏」を撮る前に、私は小津安二郎監督の「淑女は何を忘れたか」に特別出演した。この作品は小津さんのトーキー第二作だが、私はほんのワンシーンしか顔を出さなかったにもかかわらず、小津さんと喧嘩(?)したことが印象に残っている。
 私がこの映画でどんな役を与えられたかというと、驚くなかれ、「上原謙」の役をやるのである。佐野周二君が主役で、女優陣では例によって、栗島さん、飯田さん、吉川さんの”女三羽烏”が顔を並べる。
 この三人の女友だちが歌舞伎座に歌舞伎をみにいく。幕間にロビーに出て、ぺちゃくちゃお喋りをして、「フレデリック・マーチ」の話題になる。「フレデリック・マーチ」というのは、この当時のアメリカのスターである。この映画の話の時、私が廊下を来る。
「あ、上原謙だ」と飯田さんが言う。吉川さんが、「ところで、あんたが付きあっていた『軍艦マーチ』どうした?」と、会話は、この作品の仲で、「軍艦マーチ」というあだ名で呼ばれる主人公、佐野周二君の話題に切りかわる。
 私は「本物」の上原謙役を演じたわけである。私はいつものとおり、胸ポケットに三角折りのハンケチを入れて、廊下を颯爽と歩いた。すると、小津監督がツカツカと歩み寄って来て、私の胸ポケットからハンケチを取りだすと、それを真四角にたたみ直して、再び胸ポケットに差し込んだ。小津さんという人は、高峰秀子さんがあだ名をつけて「きっちり山の吉五郎」と呼んだくらい几帳面な性格の人であった。
「これでいい」と小津さんがうなずくのに対して、私は言い張った。
「ちょっと待ってください。この作品では、私は”役”じゃなくて、上原謙として出たんですから、思うようにやらしてください。
 こういって、小津さんが四角に折ったハンケチを、元どおり三角に折り直して、ポケットに再び差し込んだ。私の頑固な一面が、顔をのぞかせ、自分の遺志を無理やり通したのである。小津さんは、カッカして、ほんとうに怒っているようだった。この時代の小津安二郎監督といえば、まさに飛ぶ鳥も落とす勢いで、恐らく天下の小津に歯向かったのは、松竹の歴史上、私をおいてなかったのではあるまいか。この反抗的な態度のおかげで、私は小津さんの作品にはほとんど使われなかったのである。
 しかし、このハンケチ事件がきっかけになって、映画にこそ出演させてくれかったが、小津さんは茅ケ崎の私の家にも遊びに来るようになった。小津さんが脚本を書くのは茅ケ崎館が多かったから、原稿に倦んだときなど、池田忠雄さんや斎藤良輔さんなどの共同執筆者といっしょに、私の池を訪れて、風呂に入ったり、ビールを飲んでいったりしたものである。

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