2022.11.05
モーリス・パンゲ(竹内信夫・田村毅・工藤庸子訳)『テクストとしての日本』(1987年5月20日発行、筑摩書房、249頁)
「Ⅲ 小津安二郎の透明と深さ」127-134頁
※冒頭を引用する。
「小津の映画はまったく静かな透明な深い水にたとえることができる。切りたった絶壁の上から眼下の海を見下ろすとき、海がよほど澄んでいなければ、水の深さは目に見えないはずである。また、水が相当に深くなければ、水の透明さは現われてこないはずである。この二つの条件がそろったときにはじめて、視線は水面の反射に邪魔されることもなく、またあまりに浅い水底にぶるかることもなく、水の内奥へと自由に入り込むことができる。視線は何の障害に出会うこともなく、さらに奥へと突き進み、そのとき我々が目にするのは、形も色もない透明そのものである。我々は実体のないもの、すなわち深さそのものを捉えているのだ。我々は何も見ないまま、我々の見る力そのものに逆らうものはなに一つないことを見て取るのである。小津の映画に魅了された我々の視線は、形体の透明さと生の深みへのなかへと沈潜してゆく。」