全国小津安二郎ネットワーク

小津監督を巡る文献・資料

『長寿の知恵』(4)(1962年11月5日発行、甘辛社、両面)

 大阪は食い倒れ、食道楽だということで、食を巡る雑誌が多く出版されていた。戦前には、そのものずばり『食道楽』という名前の雑誌もあった。そして、戦後、食糧事情もそれほど良くない時期、昭和26年8月に『あまカラ』(毎月1回5日発行、甘辛社、6ヶ月:500円、1ヵ年:1,000円)が創刊された(昭和43年に200号で休刊している)。甘辛社は、文久3(1863)年3月創業の和菓子の老舗鶴屋八幡の子会社である。横開きのポケット版で、多くの写真や広告が掲載された。『あまカラ』では、不定期に、付録を付けており、135号(昭和37年11月5日発行)の付録は、『長寿の知恵(4)』というタイトルが付けられて、作家、随筆家、劇作家、歌人、心理学者、写真家、漫画家、俳優等79名にその知恵について聞き、掲載している。そこに野田高梧と小津監督の意見が掲載されている。B4縦、両面見開きの二ページ目に二人のコメントは掲載されている。そんな付録を取っておく人などそうそう多くないだろう。それぞれの知恵をフルバージョンで紹介しよう。
 野田高梧は「保健のためというほどの意識もなく、十数年来、二食をつづけ、朝食後、リンゴのジュース一つ分を呑みます。朝は、二日おきぐらいに、野菜、サーディン、ソーセージなどでパンを食べます。但し、和食の時はおみおつけを欠かしません。終戦直後、胃潰瘍をやり、爾来、コーヒーを断ちましたが、このごろは朝食後インスタントを呑むようになりました。それと昨冬以来、渡辺武先生のおすすめでハト茶を愛用しています。晩酌は一合五勺。クスリ類は血圧降下剤、ビタミン剤、強肝剤などを絶やしません。」とあり、現在にも通ずる内容となっている。それに対して、当の小津監督は、79名のうち最も短く、「一日二食。朝、少々お酒をのみます。晩も少々。」美味しいもの好きの小津監督、その言葉は、あたかも、長寿など関心ありませんという風なのである。小津監督はその翌年鬼籍に入るわけだが、そもそも当時50代の小津監督に長寿の知恵を問うとはどうかと思われる。その頃の皆さんは、その後、日本が世界一の長寿国になり、子供が生まれない社会になっていようとは、予想できなかっただろう(築山秀夫『シネマ雑記166号』(古石場文化センター)を引用)。

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