『蒲田』第七巻第十二號通巻第七十七號(1928年12月1日発行、蒲田雑誌社、124頁)
表紙:栗島すみ子
グラビア「引越し夫婦」(26頁)
伏見晃「兵隊プロダクション」(70-72頁)
※一部を引用する。「兵隊プロダクション即ち小津組の監督、小津ちゃん即ち小津安二郎君は近衛四聯隊で鍛え上げた国家の干城、陸軍歩兵伍長である。そして、カメラマンの茂原英雄君、これは少々遠走りで朝鮮の兵隊さん、国境警備の唄かなんか高らかに唄った所の陸軍歩兵上等兵なのである。
助手の栗林君が麻布三聯隊で叩き上げた、これ亦頑丈な歩兵上等兵。同じく助手の厚田君が、カメラ等担ぐのはお茶の子である輜重兵の一等卒と言う顔ぶれである。
この軍隊仕込みの頑強な集まりによって兵隊プロダクションの名誉は担がれている。その上、偶然というか照明係の中島君がやっぱり上等兵と来ているので兵隊プロダクションの名声はいやが上にも高まるのである。
唯一人このプロダクションに例外がある。それは助手の小川君で、この人は残念ながら未だ徴兵検査前で兵隊さんの中へ入れない。しかし小川君は未丁年でこそあれ、拳闘荻野貞行君の門弟で優に甲種合格の風貌を備え、兵隊プロダクションの名をいささかも辱めないのは喜びの一つである。
さて、元来この撮影所というところに働く人々はほとんど全部が活動写真が好きで堪らない人達である。従って恐ろしく働くのである。しかし働いているときは自分の月給の多寡などは絶対に考えない。考えると寂しくなるからではない。忘れてしまっているのである。そして涙ぐましくも唯夢中で徹夜の連続をしちまったりするのである。
が人間は生身である。唯好きということだけで
長い年月徹夜や過労で過ごせるものではない。そこにはどうしても身体の頑強さが必要となってくる。
そこへ行くとこの兵隊プロダクションは鼻息が荒いのである。徹夜などは朝飯前で強行軍式にやってのける。しかも秩序整然としてその行動の敏活さは目覚ましきものがある。
このあいだ撮影した「引越し夫婦」などは、その好適例で、幾日までにという期間が正に五日間まるで兵隊さんが塹壕をこしらえる様に手早くこしらえてしまった。
ところが悲惨な事には出来上がると他の写真と一緒に上映するために尺数が長すぎるというので、無残にも三分の一ばかりを切り取らなければならなくなった。
その時には小津伍長監督を始めとして茂原上等兵キャメラマンは既に睡眠不足の絶頂に直立していたのであったが、眠そうな顔もせずヒルムのある本社まで深更自動車を飛ばしてカットに行ったのである。
しかもヒルムは既に警視庁の検閲の方へ廻っていたので、手を空しうして帰って来た。
しかしそれだけでは事が済まない。夜が明けて現像部が出動すると早速一本のプリントをこしらえて命令通りカットしなければならない、それで、とうとう六日間の徹夜が完全に行われたのである。
それでも兵隊プロダクションの人々はあまり瘦せもしなかった。」
「蒲田・下加茂・太秦 封切記録 引越し夫婦」(96頁)
「スタヂオ通信 小津安次(ママ)郎氏は、既報の『カボチャ』を完成後、久しく休養の處、菊池一平氏原作、伏見晃氏潤色の『引越し夫婦』と決定し、目下撮影中です。」(109頁)