全国小津安二郎ネットワーク

小津監督を巡る文献・資料

『月刊映画と演藝』第六巻第九号(1929年9月1日発行、東京・大阪朝日新聞社、64頁)

表紙:ローラ・ラ・プラント
「松竹映画 『大學は出たけれど』(23頁)
※「再び小津安二郎氏による近代人的のスマート・コメディ大学はでたけれど、どうも職が思はしくない彼が、職を求めるためにどんな痛快な月日を送ったかのストオリイで高田稔(左)と田中絹代(右)とがうまい芝居をやって退ける」
伏見晃「蒲田のモボ、モガ」(36-37頁)
※「俳優以外でモボ、モガ的色彩の濃厚な人々をピックアップして見せろ、という御注文、宜しいと引受けたもの、さて見廻して見ると、いささか慌てざるを得ない。居そうで居ないのが、このモボ・モガである。案外撮影所などにはモボもモガも居ないんじゃないかしら、という懸念さへ湧いて来る。が、しかし引受けた以上、義理にも一渡り当たってみる必要がある。で、先ず一番主脳部の監督から始める事にする。野村芳亭氏、牛原虚彦氏、池田義信氏、島津保次郎氏と、どうも皆ボーイではなさそうだ。そこへ行くと若手監督の中には、ボツボツ御注文に近い人が居そうでもある。先ず、五所平之助、重宗務、清水宏、佐々木恒次郎、小津安二郎、豊田四郎の諸監督。そこで第一に白羽の矢が立つのが、燻屋鯨平こと小津安二郎監督だろう。拳闘家(ボクサー)の様な立派な体格を明るい灰色(グレイ)がかったスマートな服と真白なワイシャツに包んで、ニコニコと現れる。靴はちょっと痛いのを我慢しては居るが、撮影所広しと言えども、清水監督と彼氏と、かく言う私の三人だけが用いている。コードバン。其処で持ち物を検査する。第一に目につくのが、ダグラスの點火器(ライター)にカギ巻きの懐中時計。そして、彼氏の嚢中(のうちゅう:財布)は、…元来モダン・ボーイなんてあまりお金を持って居ないキソクになって居るんだが、彼氏はそのキソクを破って、時折月給より多い金を持って居ることがある。そしてフレーデルマウスの顧客であり、彼氏の知人が行く度に、そのマウスのお清さんと言うのが『小津さんに宜しく』と言うのである。が以上は、彼氏が仕事をしていない時の話で、もし一度仕事が始まると、フレーデルマウスの顧客は、忽ち珍々軒の顧客となり参観の女学生が『まあなんて汚い監督でせう』と囁き合ったと言ふ、いみじくも変わり果てた姿となって炎熱百有餘度のステージのなかでハイ!である。が、仕事が終われば、明るいグレイの洋服と真白のワイシャツが彼氏の拳闘家のような見事な身体を包んで、靴は少々痛いが『さっき働いていた汚い監督は誰だい』と言った顔で、サッソウとして撮影所を出ていくのである。」
フレ-デルマウス:ドイツ語で「こうもり」を指す「フレーデルマウス」 、「カフヱ通」(1930)を著わした酒井眞人は「まっとうなバー」として紹介しており、雑誌「ドノゴトンカ」の昭和4(1929)年7月号も同店を「お客をあまり構わないバア」(つまり干渉しない)としており、日本のバー好きの評価は高かった。
 小さくて隠れ家的な店だったことは当時の店内を描いた織田一磨のリトグラフ「画集銀座 第一輯/酒場 フレーデルマウス」(1928年)からも偲ばれる。紫煙たなびく薄暗い店内のシェードで覆われた電燈の灯りのむこうに白いメスジャケット(バーコート)に身を固めたバーテンダーの姿が見える。ドイツ人ボルクの経営で、輸入物のドイツビールを出していたという。

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