全国小津安二郎ネットワーク

小津監督を巡る文献・資料

『映画評論』第16巻第6号(1959年6月1日発行、映画出版社、158頁)

秋山邦晴「映画音楽 お早よう:黛敏郎」(57頁)
岩崎昶「芸術院賞をもらった 小津安二郎」(58-59頁)
※一部抜粋する。「この席上、いちばん私を動かしたのは、八十四歳とかになられた母堂の挨拶であった。有名になった息子の晴れの日のために、小さな老婦人はマイクのそばに立って、短い言葉を述べた。その声は低くひかえめで、大分離れていた私のところまではとてもとどかなかった。が、幸福な母親の気持ちがとどくには声も何もいらなかった。小津安二郎は日本一の親孝行者として有名である。彼はこの時、老母の手を取るようにしてマイクのそばまで連れて行き、挨拶の間中その手をささえてそばに付き添っていたかというと、そうではなかった。彼は母の手を取りに行かず、そばにつきそいもせず、終始一貫して、一メートル半ほど離れたところに立っていた。このことは、八十四歳の母堂の挨拶以上に実は私を動かしたのである。そこに私は小津芸術の秘密、というよりもその原理を見た。最小表現の原理、とでもいおうか、古い日本語では、言わぬは言うにさる、泣かぬはホタルが身を焦がす、というやつである。‥」(写真三葉)
ドナルド・リチイ「小津安二郎と「お早よう」」(81-83頁)
※一部抜粋する。「小津監督の場合、戦後作品だけで彼を評価するのは妥当を欠いている。日本の若い世代の人は、彼を反動的、封建的、オールド・ファッションなどのレッテルで片付けてしまうのが現在常識のようになっているらしいし、例の独特な映画美学(畳ショットや据えっぱなしのキャメラ・ポジション)を非難するが、それではただしく小津作品を評価できない。私はこれは間違いだと思う。先日もある若い映画監督と話したが、彼も右のような点から小津作品をきわめて非難した。が、そのような非難は、小津作品の一部の欠点をつくことはできるが、作品全般の批評というわけにはゆかない。小津作品の全系列から見て、特に初期の作品をみてからのうえで、避難するならするがよいだろう。」

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