2020.06.30
『映画芸術』第17巻第4号260号(1969年4月1日発行、映画芸術社、118頁)
佐藤忠男「小津演出のスタイル・その2 小津安二郎の芸術(第三回)」(51-54頁)
※冒頭を一部抜粋する。
「前回の原稿を書いてから一か月の間に、小津安二郎の映画を六回見た。シナリオ作家協会が、シナリオ作家志望者のための講習会で「晩春」を上映しているのをのぞかせてもらい、無声映画蒐集家の松田春翠が新宿の紀伊国屋ホールを借りてやっている無声映画鑑賞会で、「東京の合唱」を見、神田の岩波ホールが定期的にやっている岩波映画講座で、「東京物語」を見、さらに、フィルム・ライブラリー助成協議会の好意で、「生れてはみたけれど」と「東京物語」。それに「大学は出たけれど」の断片を試写してもらった。おおいに勉強してやっています、ということを云いたいためにこんなことを書くわけではない。パリやロンドンやニューヨークのように、フィルム・ライブラリーのすごいのがあるところならいざしらず、東京では映画の古典を研究するのは難しいように思われており、事実、それは大変困難なことである。しかし、そのつもりで機会を逃さないように注意していれば、まあ、かなり見ることはできるのであり、そういう機会を積極的にふやすことも可能なのである。
ところで、こうして作品を見ながらノートを取ってゆくうち、前回の原稿にうっかり、いくつかの間違いを書いていることに気づいた。大きな間違いは、小津安二郎のロー・アングル(ロー・ポジションとも言うどっちでもいい)を、床の上、一メートルぐらいにカメラを据えること)と書いたことである。