全国小津安二郎ネットワーク

『映画芸術』第17巻第3号259号(1969年3月1日発行、映画芸術社、118頁)

佐藤忠男「小津安二郎作品のスタイル 小津安二郎の藝術(第二回)」(58-61頁)
※冒頭を一部引用する。
「すぐれた映画監督は、みんな、その作品にその監督固有のスタイルを持っているが、小津安二郎はそれがとくに極端であった。小津安二郎の映画を何本か観て、その演出の特徴を憶えた観客は、予備知識抜きでいきなり途中からフィルムを見せても、どれが小津安二郎の作品であるかをほぼ確実にあてることができるだろう。それほど、小津安二郎の演出には、彼のどの作品にも共通する一定のやり方があった。
 彼が、生涯につくり出した五十三本の映画のうち、昭和二年のデビュー作「懺悔の刃」が時代劇であり、そえから昭和六年ごろまで、ソフィステケイティッド・コメディを主として二十本ほどの喜劇を撮っている。そのころまでは、まだ、のちに小津調と呼ばれる固有のスタイルは、それほどはっきりした形にはなっていないようである。ストーリーも、青春ものありナンセンスものあり、ペーソスを主としたものありで、いくらかのバラエティを持っていた。しかし、今日完全なかたちで見ることのできる小津作品のうちの最も古い作品である昭和六年の「東京の合唱」と、昭和七年の「生れてはみたけれど」には、すでに固有のスタイルをはっきりと認めることができるし、そのストーリーも、小津安二郎が生涯ほとんど、それだけを描き続けたといっていい、家庭における親と子、夫と妻のデリケートな感情のスケッチにかぎられていた。小津安二郎は、それ以来、昭和三十七年のさいごの作品である「秋刀魚の味」にいたるまで、同じスタイルと同じテーマにだけ固執し続けたので、批評家はしばしば、彼を、進歩がないと云って非難した。これに対して、彼は俺は豆腐屋だ、豆腐屋は油揚げやがんもどきぐらいはつくれるが、トンカツはつくれない、というジョークで応酬して、固有のスタイルとテーマを決して変えようとしなかった。」

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