全国小津安二郎ネットワーク

小津監督を巡る文献・資料

『映画芸術』第17巻第5号通巻261号(1969年5月1日発行、映画芸術社、118頁)

佐藤忠男「小津作品のスタイル・その3 小津安二郎の芸術(第四回)」(74-77頁)
※途中から一部引用する。
「小津安二郎は、移動撮影をやらなくなったのは、二十五、六年前からだ、と言っているが、この座談会を行った昭和三十三ねんから二十五、六年前というと、ちょうど、昭和七、八年であり、昭和七年の「生れてはみたけれど」から昭和八年の「出来ごころ」の間ということになろう。この記憶は正確である。前回にも指摘したように、「生れてはみたけれど」においてほぼ小津安二郎の独自の様式は完成しているが、まだ、移動撮影はかなり自由に使っていた。また、画面を左右対称の構図にしたり、人物を相似形に並べたりする方法は、移動撮影を止めた時から、意識的に採用され始めたようである。移動撮影をしない、オーバーラップをしない、と並べていくと、まるで、小津安二郎はなにもしなかったみたいである。もちろん、なにもしなかったわけではない。小津安二郎は、人物にセリフをしゃべらせるとき、つねに、カメラの方を向かせていた。もちろん、これも、カメラに横を向いてセリフを喋らせることをしなかった。と、否定法で言うことも可能である。登場人物を極力カメラに正面から向き合うような位置に置いたことは、小津安二郎の演出の重要な特色の一つである。もちろん、それだではあまりに不自然だから、人物がカメラに対して横向きになっている場面も少なくない。しかしそのばあいも、セリフを言う時には、身体は横向きのまま、顔だけはカメラの方に向けさせた。」

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