全国小津安二郎ネットワーク

小津監督を巡る文献・資料

『映画旬刊』第11号(1956年3月1日発行、雄鶏社、148頁)

表紙:スーザン・ヘイウォード
尾崎宏次「特集グラフ・映画作家訪問 小津さんを訪ねる」(43-46頁)
※一部抜粋する。「玄関を入ると、直ぐに六畳くらいの日本間があって、小さな囲炉裏が掘ってあった。きれいな障子と白い唐紙が、清潔で、なんの飾りっ気もなかった。右の棚にツボと仏像がおいてあり、正面に「游於芸 秋艸道人」という掛軸がかかっている。会津八一氏の書で、ふんわりとした筆の運びが、いかにも芸にあそぶという感じをただよわせていた。岸田劉生の絵も三点あった。武者小路実篤の絵は、赤い唐辛と青い唐辛をかいたものがあって、このひとらしく、-思い切って青く、思ひ切って赤く、思ひ切って辛し、辛くない唐辛又面白し」と書いてあった。辛くない唐辛又面白し、というのは、この絵をみた武者小路氏の子供が、「このなかには辛くないのが描いてあるよ。」といったので、あとで氏が書き足した字句なのだそうだ。小津さんは年老いた母親とふたりで住んでいた。部屋にはなんの装飾もなかった。庭には白梅と紅梅がちょうどきれいに咲いている頃であった。コタツに入ってウイスキイを飲みながら話しているが、ふと見ると、いろんな売薬を並べた箱が目についた。-みんな二日酔いの薬でね。-その入れ物が珍しいですね。-運び膳ですよ。湯河原辺りで使っている。そして、その上の棚には、洋酒のビンがずらりと並んでいた。-毒と薬を一緒に置いてあるようなもんですね。そう言って笑ったが、その洋酒のビンの並んでいる左の隅に、劉生の小さなスケッチが掛けてあった、雀右衛門を描いたものだった。」「ははァと、そばにあったたんすに目をやると、正面に大きく鯨とかいた金具がついていた。-鯨というのはなにか意味があるんですか?-ぼくの昔のペンネームからとったもんですよ。さあ、二十六、七年も前ですかね。僕は燻屋鯨兵衛というペンネームでシナリオを書いていた。「生まれてはみたけれど」のときに使っています。清水宏が鯨屋当兵衛でね。僕も清水もクジラが好きだったんですよ。何でも大きなものが好きだった。そのころ作ったタンスで、当時百円しましたかな。燻屋ですか。ぼくタバコばかり吸っていたから。」

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