全国小津安二郎ネットワーク

小津監督を巡る文献・資料

『映画ファン』第5巻第2號(1940年2月1日発行、映画世界社、140頁)

表紙:花柳小菊
「監督キャメラ訪問 小津安二郎氏を訪ねて」(36-37頁)
※冒頭を引用する。
「当分気楽に仕事をしたい!
聖戦に参加しせにゃを馳駆すること二年餘、天晴れ映画人の真価を示した小津安二郎監督は、今や銃執る手に再び懐かしいメガフォンを執ることになった。一度お会いして親しくその近況を知りたかったのであったが、帰還直前患ったマラリアが再発して病床にあるという話を聞き、私は戦争の苦しさが未だ小津さんの身体から離れないことを思い、今更のように小津ちゃんの二年余の苦闘を思うのであった。「明日は丁度身体が空いている。良かったら来給え。」という電話をもらった。案じていたマラリアも治ったという。何よりもそれが嬉しかった。小津ちゃんの家の閾をまたぐのはこれで二度目である。最初は小津ちゃんが元気に帰還した喜ばしい日であった。「今日は馬鹿に寒いね。北支はもう雪だ。寒かろう。」と小津ちゃんは窓外に目をやりながら分かれてきた戦友の身を思うのであった。ふと庭をみると、鶏頭が真っ赤な血の色をしていた。「山中はうちの葉鶏頭が好きだったよ。」と山中貞雄追悼会の時、小津ちゃんがしみじみと言った言葉を私は思い出した。「仕事はいつごろから始めますか。」「さあいつになるかな、いま漸く脚本が出来たところだ。池田君(池田忠雄氏)が今最後の手を入れてをしているよ。」「どんな話ですか!戦争ものですか?」「いや戦争ものじゃない。大体二年も戦地で生活していて、帰って来てすぐまた戦争を扱った仕事はできるもんじゃないよ。世間の人は僕の帰還第一回作品をどう考えているか知らないが、僕は当分気楽に仕事がしたいね。云わば自分の性に合った仕事をしたいね。と言っても、「一人息子」、「生れてはみたけれど」なんてのはもう作らんよ。戦争に行くと、凡ての考えが、肯定的になるんだ。それでなくちゃ戦争はできんのだ。まあ僕が変ったと言えば、それくらいのもんだね。」

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