全国小津安二郎ネットワーク

小津監督を巡る文献・資料

『映画ファン』第六巻第四號(1946年9月1日発行、映画世界社、34頁)

表紙:原節子
「厳粛なる東京裁判を直視せよ。世界の視聴を集めて、日本が今裁かれている。映画界とて、この裁かれるものの枠内にある!」「小津安二郎、吉村公三郎、澁谷實帰還、田坂具隆病気快方に向ふ。持ち駒がそろそろそろって来た。この秋を待とう!」(1頁)
「ハガキ回答 齋藤達雄 一、あなたが初めて出演した恋愛映画の題名「落第はしたけれど」二、製作された年:昭和五年三月。三、演出者の名前:小津安二郎氏、四、あなたの相手役は?田中絹代氏。五、あなたは恋に成功したか 大学はカンニングの失敗で卒業できなかったが、恋人は獲得できた。反対に卒業した奴らは、就職難にあえいでいるといった話。六、その時の感想 今の年頃の娘さんが聞いたら、或いは噴き出すかもしれないが、その娘さんたちがまだおしめを引きずりながら、はいはいをやっていた自分、これでも私は真面目にラブシーンなどやったこともある。田中絹代氏、飯田蝶子氏等と。ただそれらの映画が恋愛映画とは言えないけれど、なぜならこれらの映画はほとんどがスラップステイクな喜劇の形式だったから。そういう意味で「落第はしたけれど」も、単なる恋愛映画じゃない。小津安二郎氏の細緻を極めた演出に、好ましいギャクの連発、ユーモアの流露、ペーソスの湧出、等々。特に私は下宿の二階への薄暗い階段での絹代さんとのラブシーンは、とても印象的で未だに私の頭から消えない。」(29頁)

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