全国小津安二郎ネットワーク

小津監督を巡る文献・資料

『国民百科』第17号(1964年1月20日発行、平凡社、20頁)

飯田心美「今月の人 小津安二郎」(7頁)
1903~63 映画監督。
1923年(大正12)松竹蒲田入社。
大久保忠素監督についたが、時代劇《懺悔(ざんげ)の刃》(1927)で一本立になった。
初期は、短篇笑劇が多く、しだいに長編コメディに転じた。
蒲田の時代劇制作中止にともない現代劇に転じ、大学生活やサラリーマン生活の倦怠(けんたい)、無気力を描いた《大学は出たけれど》(1929)、《會社員生活》(1929)、《落第はしたけれど》(1930)をへて、《東京の合唱》(1931)、《生れては見たけれど》(1932)で蒲田の代表的監督になった。
小市民の生活を悲哀と感傷のうちに描く、いわゆる<小市民映画>は、《出来ごころ》(1933)、《浮草物語》(1934)、《東京の宿》(19359の後、トーキー第一作《一人息子》(1936)で頂点をなした。
動員帰還後《戸田家の兄妹》(1941)、《父ありき》(1942)を作り、第二次世界大戦後は、《長屋紳士録》(1947)、《風の中の牝鶏(めんどり)》(1948)、《宗方姉妹》(1950)のほかに、《晩春》(1949)、《麦秋》(1951)、《東京物語》(1953)、《早春》(1956)、《彼岸花》(1958)、《秋日和》(1960)、《秋刀魚の味》(1962)などを作り、《一人息子》以来、主題を家族関係におく、すぐれた映画をつくった。
 この間33年には《東京物語》で英国第一回サザランド杯を獲得、同年紫綬褒章、34年芸術院賞を受賞、37年映画人として最初の芸術院会員となった。1963年12月死去。

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