全国小津安二郎ネットワーク

小津監督を巡る文献・資料

『キネマ旬報』No.834 第十九号(1951年7月15日発行、キネマ旬報社、76頁)

表紙:ジイン・クレイン
グラビア「小津安二郎の麥秋」(1頁)
※「原節子、村瀬禅を演技指導する小津監督」、「笠智衆を演技指導する小津監督」
「内田岐三雄氏追悼」(29―32頁)
小津安二郎「古武士的な風格」(30頁)
※紹介しよう。「終戦の翌年の二月、僕が南方から還って来た時には、もう内田岐三雄はいなかった。南方には、十八年の六月に行ったのだが、最後に会ったのは、いつか、どこで、どんなふうに分かれたものか、今は、すっかり忘れている。これは、その前の日、ともに酒を飲んだ水町青磁の場合とちがってまた、頼りなく、はかない。内田岐三雄とは、僕が助監督の時分からの知合いだった。もう二十六七年も前のことになる。爾来、教えられるところ、甚だ多い。曲がったことの嫌いな男で、どこか古武士的な風格があった。何でもよく憶えていて、それがまた、まことに確かだった。大変惜しい男だった。」
「『麥秋』に慎重な小津監督」(40頁)
※「十四日クランク・インした『麥秋』は大和、鎌倉、大船近郊とロケを一応終了、七月三日よりセットに入った。クランクアップは八月下旬の予定であるが、消息通の予想では九月三日頃とのこと。脚本完成に約半歳を要している小津監督の慎重さを以てすれば、約三ヶ月の撮影日数も長いとは言えまい。上の写真は撮影開始前、小津監督の丁寧な注意に耳を傾ける出演者たち。左より佐野周二、小津監督、原節子、笠智衆、三宅邦子、高堂國典、野田高梧、山本武。」

最新の記事

カテゴリ

月別に見る

このホームページ内のテキスト・画像の無断使用はご遠慮下さい。