全国小津安二郎ネットワーク

小津監督を巡る文献・資料

「映画100年・戦後50年~蘇る昭和~ 映画監督・小津安二郎」(1995年4月1日、ACTミニシアター、4頁)

1995・ACT特別企画「映画100年・戦後50年~蘇る昭和~ 映画監督・小津安二郎」
1929年 若き日 第8作。主として短篇喜劇で腕を磨いていた小津初の長編作。
1929年 大学は出たけれど 第10作。昭和初期の不況を背景にコメディ・タッチで描いた快作。現存する12分短縮版。
1930年 朗らかに歩め 第14作 清水宏原案の恋愛ものを思いきりモダンに演出。背景に映るポスターが見もの。
1930年 落第はしたけれど 第15作。洗練されたギャグいっぱいの小津初のカレッジもの。笠智衆が初めて役付き。
1930年 その夜の妻 第16作。心理劇を極めて精緻で密度の濃い作品に仕上げた小津モダニズム映画の逸品。
1931年 淑女と髯 天才役者岡田時彦にほれ込んだ小津第20作。そのアクション・ギャグの見事さは必見。
1931年 東京の合唱 第22作。ハリウッド完全指向から転換点となもなる注目作。この年、コンテ第一主義を宣言。
1932年 生れてはみたけれど 第24作。”大人の見る絵本”というサブタイトルの付いた小津小市民映画の最高傑作。
1932年 青春の夢いまいづこ 第26作。小津得意の学生喜劇だが、明朗なキャラクターの中に人生の感慨をにじませる。
1933年 東京の女 第28作。ロー・ポジションのカメラアングルなど小津独特の技法を典型的に採用した意欲作。
1933年 非常線の女 アメリカ映画の影響を色濃く受けた、前作に続く小津サイレント技法の逸品。
1933年 出来ごころ 第30作。東京下町を舞台にした人情喜劇”喜八もの”シリーズの傑作。キネ旬ベストワン。
1934年 母を恋はずや 第31作。母子の情愛を細やかに描いた秀作。全9巻のうち1巻と9巻が現在未発見で欠落。
1934年 浮草物語 第32作。人情噺を得意とした小津喜八ものの傑作。本作でキネ旬ベストワン三年連続受賞。
1935年 東京の宿 第34作。深刻な社会不況を背景に、人情味あふれる喜八がとった行動とは?サウンド版。
1936年 一人息子 第36作。茂原式の完成を熱望していた小津初のトーキー作。この年蒲田閉鎖。大船開所。
1937年 淑女は何を忘れたか 第37作。小津のモダニストぶりがあふれるソフィスティケイテッド・コメディの傑作。
1941年 戸田家の兄妹 第38作。父の死による家族の解体を見つめた秀作。厚田雄春が正キャメラマンとして初参加。
1942年 父ありき 第39作。古武士の如き利巧化された父と子の交流を描いた名作。笠智衆がフケ役を熱演。
1947年 長屋紳士録 第40作。ほのぼのとした人情とユーモアあふれる小津戦後第一作。喜八ものだが脇に徹す。
1948年 風の中の牝鶏 第41作。戦後の混乱時に一度だけ売春した妻と帰還した夫の苦悩。移植の小津戦後第二作。
1949年 晩春 第42作。野田高梧との名コンビで後期の小津映画の基調を定めた傑作。原節子が実に美しい。
1950年 宗方姉妹 第43作。古風な姉と新しがりやの妹を対照的に描いた小津初の他社作品。大佛次郎原作。
1951年 麦秋 第44作。娘の結婚をめぐる家族の人間模様を描いた小津の佐久港傑作の一つ。キネ旬ベストワン。
1952年 お茶漬の味 第45作。戦時中に検閲で却下された脚本をもとに映画化。戦地への応召が海外出張に改訂。
1953年 東京物語 第46作。戦後日本の家族生活の崩壊を描いて、人間の孤独感、死生観をも描写した傑作。
1956年 早春 第47作。倦怠期の夫婦の危機を、若い世代との交流を通して描いた珍しいシリアスドラマ。
1957年 東京暮色 第48作。寂漠の人間模様を甘い感傷に溺れる事なく描写した戦後小津映画の異色作。
1958年 彼岸花 第49作。豪華な女優陣を配した華やかな小津ホームドラマの名作。初のカラー作品。
1959年 お早よう 第50作。住宅地に住む人々ののどかな日常を、オナラごっこ等ユーモアたっぷりに描いた佳作。
1959年 浮草 第51作。戦前の「浮草物語」のリメイクだが、大映で映画化。カメラに宮川一夫を起用。
1960年 秋日和 第52作。それまでの娘役の原節子が母親役を演じた晩年の傑作。東宝より司葉子が特別参加。
1961年 小早川家の秋 第53作。小早川家にかかわる人々の悲喜こもごもを感情豊かに描いた名作。初の東宝作品。
1962年 秋刀魚の味 第54作。娘を嫁にだした父の孤独を笠智衆が迫真の演技。小津の遺作。翌年60歳にて死す。
34本 見よ! 小津の魔法使い
4月1日(土)~5月20日(火)

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