『映画世界』第2巻第7号通巻16号(1949年7月1日発行、映画世界社、50頁)
野田高梧「小津安二郎の新作『晩春』のこと」(30-31頁)
※一部抜粋する。「なんという題にきまるかまだわからない。兎に角、一応は「晩春」とつけた。それが作品の内容に一番ふさわしいと思ったからである。十二三年も昔、アン・ハーディングか誰かが主演した同名のアメリカ映画があったことも承知の上のことであった。ところが、この題は、現在、会社側からいろいろ文句が出ている。理由は、この作品が上映されるのはおそらく晩夏か初秋のころになろうから、そうなると季節感のうえで興行的に損だというのが第一で、そのほか、そういう題は宣伝するのに中心的なポイントがないから困るというような説もある。いずれにしても大した理由とは考えられないが、しかしこれ以上に一層内容にふさわしいものがあれば、或いは変えることになるかもわからない。廣澤さんの原作は「父と娘」という題の短篇で、おそらくは太平洋戦争以前に婦人雑誌か何かに書かれたものらしく、『純情』という小説集の中に収められている。ページ数にして三十六ページ。細君を亡くして以来、娘と二人きりで暮らして来た父親が、娘を嫁にやろうとすると、娘は父親のそばを離れたがらない。そこで父親が後妻でも貰うかのような例え話をすると、娘はそれを本気にして、一旦は失望するが、やがてみずから結婚を決意して、父にはその法律事務所の女秘書と後妻として迎えさせる、というのが大体の筋で、背景は勿論、人物の性格や境遇、登場人物の粕谷局面の設定方法、などなど、今度のシナリオとは大分ちがっている点が多いが、しかし父親が後妻を貰うかのような例え話をするという点だけは、廣澤さんのアイデアそのまま頂いている。だから、今度のシナリオが形の上では廣澤さんの原作からどんなに離れていようとも、そのアイデアがなかったらやっぱり生まれなかったろうと思う。」
「三月十日に茅ケ崎の宿屋へ出かけて、四月の二十四日にそこを引揚げるまで四十五日間、その間、東西対抗の野球も見に行ったし、染井の能楽堂へは二度もお能見物に出かけたし、円覚寺の茶会へも行き、更にまた間々には、いろんな親切な(?)人たちが、入れ代わり立ち代わり慰問に来てくれて、お土産に持ってきてくれた(のだろうと思う)ウイスキーを自分で吞んでしまって酔っぱらって泊まっていってくれたり、中でも一番行き届いている人は、僕等がその宿屋へ行った十日目からそこへ泊まり込んで、あと三十幾日間、日も欠かさず夜毎に僕等の部屋へあらわれて、いろいろ親切に邪魔してくれたばかりでなく、今もってそのままそこに泊まっているというくらいなもので、四十五日間というものの、実数にしたら三十幾日ということになろうが、それを四十五日間とみて、その間、コンストラクションに十六日、シナリオにかかって二十九日、大体、一日のうち、明るい間に三四時間、夜は食後九時ごろからまた三時間ばかりーそれが大体、毎日のスケジュールであった。」
「日本映画再建の母体生まる」(33頁)
初代会長には溝口健二、副会長に牛原虚彦、幹事長には山本嘉次郎が推され、スポークスマンとして小津安二郎、伊藤大輔の名が連なっている。