『映画ファン』第15巻第一号通巻161号(1955年1月1日発行、映画世界社、166頁)
表紙:岸恵子
「奈良を舞台に撮影快調 月は上りぬ」(66-67頁)
「月は奈良から上る」(数々の話題をまき注目を浴びた田中絹代監督の「月は上りぬ」の政策は愈々奈良ロケより開始された)
※冒頭を紹介する。
田中絹代第二回監督の「月は上りぬ」も、奈良のロケーションから撮影が始まり、今はセット撮影が順調に進んでいるが、この企画が発表になってから撮影に至るまで、映画界を賑わした数々の話題はすでに新聞や雑誌などで御承知の方もあることと思いますので、簡単にお知らせしますが、その前にこの「月は上りぬ」の脚本(小津安二郎、斎藤良輔)は、昭和二十三年に完成していて?今回の「月は上りぬ」のプロデューサー兒井英生が、小津監督と相談の結果、当時渡米中だった田中絹代の帰朝第一回の出演映画として小津監督が新東宝で製作すべく準備をしたことがあったものなのです。そして、その時の予定配役は、佐分利信、上原謙、佐野周二、入江たか子、原節子、高峰秀子と言う豪華配役を予定したゐたのですが、当時新東宝にあった兒井プロデューサーは、「宗方姉妹」の映画化を獲得しその準備も出来ていたので、田中絹代帰朝第一回の出演映画は、その「宗方姉妹」となり、「月は上りぬ」の脚本はそのままになってしまったのである。
そして、一昨年、監督協会の企画作品として「月は上りぬ」を兒井プロデューサーが日活に持ち込み、監督協会が監督として田中絹代をすいせんしたという形になったのである。
「大船撮影所付近」(148-150頁)
※ミカサ、月ヶ瀬、松尾食堂、グルーメなどの地図
一部紹介する。「食堂とその常連のこと 「月ヶ瀬」には、小津安二郎監督が頑張っていたが、フリーとなってからは余りみえない。奥の方で、飲んでいる小津監督の姿がみえないのは大船映画に一抹の寂しさを感じさせる。佐野周二もここのご常連だったが、今は佐田啓二が二代目となってNOー。