『CREA』第6巻第2号(1994年2月1日発行、文藝春秋、182頁)
島田雅彦「三畳間で酒を飲みながら見る小津映画の世界。いつの間にか胸がいっぱいに。」(104頁)
田中眞澄「第二の小津安二郎を探して」(110-113頁)
※冒頭を引用しよう。「回を重ねるごとに気勢が上がらなくなって行く東京国際映画祭だが、それでも去年の秋は小津安二郎の生誕九十年・没後三十年にかこつけた、小津の現存全作品の回顧上映がホットな部分となっていたし、一連の小津がらみの企画もそれぞれ成功を収めたらしい。こうした近年の小津人気も、要するに海外での高い評価を逆輸入したに過ぎない、所詮はブランド志向じゃないかと、日頃日本映画の旧作を時にはひと桁の観客の一人として見続けている私などは疑ってしまうのだが、この小津ブームが過去の日本映画の再発見に拡がって行くきっかけになって、今回のプロジェクトも無駄ではなかったと思ってみたいものである。現在の映画状況が、制作会社、国籍、ジャンルの違いさえ曖昧になっている以上、時間の枠にもとらわれずに、自由に映画に接してもいいのではないか。
小津安二郎の時代は、同時に日本映画が質量ともに最も充実していた時代であった。いま一番パワフルな中国映画も足元にも及ばない。小津以外にも有能な監督たちが傑れた作品を作っていた。何も外国の評価を待たなくても、第二、第三の小津を発見するのはそれ程困難ではない。ただ、過去の名作で、戦災・人災で失われたものが、日本映画の場合は甚だ多い。それはもう見られないのだから、今に残されている作品で考えることにしよう。
日本映画の全盛時代は、一九三〇年代と一九五〇年代であった。その時代に活躍した監督たちの名前を書き出すだけでも、与えられた紙数をはみ出すだろうから、一応の選択基準を設ける。まず小津以前にブランド化している黒澤明と溝口健二、この二人はいまさら取り上げる必要はないだろう。一九五〇年代の名監督、これだけでも数多いので、目を瞑って省略しよう。木下恵介、吉村公三郎、今井正等々、申し訳ない。
そこで、本稿では、一九三〇年代から活動していた映画監督を、思いつくままに十人程名前を挙げてみようということになった。」
成瀬巳喜男、内田吐夢、清水宏、島津保次郎、五所平之助、豊田四郎、伊藤大輔、山中貞雄、斎藤寅次郎、田坂具隆