小津安二郎ネットワーク

小津監督の人と仕事

小津監督の人と仕事に関しては、既に、いろいろな文献等で、掲載されているところである。主要なものを確認してみよう。

「小津安二郎 年譜」 1.

「小津安二郎 年譜」(作成 小津信三、下河原友雄、菅野昭彦)1969年、35頁

 おそらく、2及び3の年譜を作成するための基礎となったものと考えられる。

『小津安二郎・人と仕事』 2.

「小津安二郎年譜」佐藤忠男『小津安二郎の芸術』(朝日新聞社、1971年12月15日発行、pp.339‐345

 あとがきに、「『小津安二郎年譜』は、下河原友雄氏その他の方々が苦心してつくられたくわしい年譜を参照させていただいた。」と書かれているので、1の「小津安二郎年譜」を参照したことが分かる。

『小津安二郎・人と仕事』 3.

「年譜」(下河原友雄編)小津安二郎・人と仕事刊行会編『小津安二郎・人と仕事』蛮友社、1972年、pp.422-697

『監督小津安二郎』 4.

「監督作品目録」(作成:関口良一)蓮實重彦『監督小津安二郎』筑摩書房、1983年、pp.249-258

(※人名表記等は、主に『フィルムセンター』64号<小津安二郎監督特集>を参考にした。封切日が資料によって異なるものは、当時の新聞にあたって確かめた。出演者の後の項目は封切月日、封切館、長さ(戦前は「検閲時報」、戦後は「キネマ旬報」による)を示す。またSはサイレント、SDはサウンド、無印はトーキーを示す。なお、より詳細な記録をお知りになりたい方は、フィルムアート社の労作『小津安二郎を読む』を参照されたい。)

「年譜」(作成:関口良一)蓮實重彦『監督小津安二郎』筑摩書房、1983年、pp.259-277

(※本年譜は、『小津安二郎-人と仕事-』所収の年譜を基礎資料として、さらに同書所収の日記、記事を参照、引用した。その上で、『小津安二郎を読む』、「キネマ旬報増刊 小津安二郎・人と芸術」(特に「自作を語る」)佐藤忠男『小津安二郎の芸術』、ドナルド・リチー『小津安二郎の美学』、田中純一郎『日本映画発達史』、「キネマ旬報」(特に時報欄)、「映画史研究」14号(藤田明「代用教員・小津安二郎」)、当時の新聞記事、広告等を参照し、適宜追加、修正を行なった。年間作品本数、配収順位等は、「キネマ旬報」の決算特別号の資料に依ったので、他の資料と異なる場合がある。)

『特別展 小津安二郎展 人と仕事』 5.

「略年譜」鎌倉市教育委員会・鎌倉文学館『特別展 小津安二郎展 人と仕事』1986年、p.26

『小津安二郎全発言1933~1945』 6.

「監督作品目録」(作成:田中眞澄)田中眞澄編『小津安二郎全発言(1933~1945)』泰流社、1987年、pp.297-304、
「略年譜」(作成:田中眞澄)田中眞澄編『小津安二郎全発言(1933~1945)』泰流社、1987年、pp.305-308

(※「小津安二郎・人と仕事」及び蓮實重彦「監督小津安二郎」に詳細な年譜が収められているので、簡略な記述にとどめた。)

『小津安二郎新発見』 7.

「小津安二郎年譜」(作成:本地陽彦、協力:小津ハマ・山内静夫)松竹編『小津安二郎新発見』講談社、1993年、pp.289-301

『小津安二郎映画読本 [東京]そして「家族」』 8.

「小津安二郎略年譜」松竹(株)映像版権部編『小津安二郎映画読本 [東京]そして「家族」』フィルムアート社、1993年、pp.108-109

(※本年譜は、『監督小津安二郎』(蓮實重彦著、ちくま学芸文庫 92年刊)所収の関口良一氏作成の年譜、及び『小津安二郎全発言(1933~1945)』(田中眞澄編、泰流社87年刊)所収の田中眞澄氏作成の年譜を照合、両氏の御許可を得て摘要したものである。)

『小津安二郎映画読本 [東京]そして「家族」』 9.

「監督作品目録」(作成:関口良一)蓮實重彦『監督小津安二郎 増補決定版』筑摩書房、2003年、pp.309-318

(※人名表記等は、主に『フィルムセンター』64号<小津安二郎監督特集>を参考にした。封切日が資料によって異なるものは、当時の新聞にあたって確かめた。出演者の後の項目は封切月日、封切館、長さ(戦前は「検閲時報」、戦後は「キネマ旬報」による)を示す。またSはサイレント、SDはサウンド、無印はトーキーを示す。改訂に際しては目録・年譜ともに田中眞澄氏の御協力を得た。)

「年譜」同pp.319-338

『小津安二郎と深川』 10.

「小津安二郎の生涯」江東区文化コミュニティ財団・古石場文化センター『小津安二郎と深川』2014年、pp.8-9

11.

小津ハマさん作成年譜

小津安二郎の弟信三の妻ハマさんにより作成された年譜。丁寧な文字でノートに書かれた詳細な年譜。この年譜をみると、小津の生誕地は、1~9の文献にあるように、東京市深川区万年町ではないことが分かる。10の文献にあるように、深川区亀住町4番地である。そのことは、昭和35年5月3日、『蓼科日記』に小津監督自らが書いている通りである。

『小津安二郎映画読本 [東京]そして「家族」』

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