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小津監督を巡る文献・資料

小津安二郎を巡る関連文献・資料

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2024年の関連文献・資料

2024
平山周吉『小津安二郎』(2023年3月30日発行、新潮社、397頁、2刷 2024年1月25日)

「目次」(1-4頁)
「第一章 「無」と「無常」と「無藝荘」(6-20頁)
「第二章 和田金と宣長と「東京物語」の松阪(21-36頁)
「第三章 「麦秋」の不可思議なキャメラ移動」(37-51頁)
「第四章 「麦秋」の空、「麦秋」のオルゴール(52-68頁)
「第五章 「大和はええぞ、まほろばじゃ」(69-87頁)
「第六章 人の如く鶏頭立てり「東京物語」(88-105頁)
「第七章 「晩春」の壺は、値百万両(106-123頁)
「第八章 「戦争未亡人」紀子と「社会的寡婦」百万人(124-141頁)
「第九章 原節子結婚説ー「痒い」平山「痒い」小津(142-160頁)
「第十章 「秋刀魚」と「鱧」の三角関係(161-179頁)
「第十一章 加藤大介と笠智衆の「軍艦マーチ」(180-197頁)
「第十二章 照れ屋の小津がうたった「軍歌」(198-216頁)
「第十三章 「夫」山村聰が「妻」田中絹代を打擲する「宗方姉妹」(217-234頁)
「第十四章 敗戦国の「肉声のない男」たち(235-252頁)
「第十五章 「日本一のサラリーマン」と「勤続三十一年」の映画監督(253-270頁)
「第十六章 「神様」志賀直哉と小津「助監督」(271-288頁)
「第十七章 「劇術と台詞」里見弴「小」先生への傾倒」(289-306頁)
「第十八章 「道化の精神」と里見、谷崎の老年小説(307-324頁)
「第十九章 臨終近し、日本映画界」(325-342頁)
「第二十章 「いま」への執着、「日米映画戦」へ(343-360頁)
「第二十一章 「紀子」三部作と「春子」三部作(361-378頁)
「エピローグ」(379-390頁)
「あとがき」(391-397頁)

具慧原『小津安二郎はなぜ「日本的」なのか』(2024年3月30日発行、水声社、371頁)

「序章」(11-27頁)
「1 研究目的」(11-12頁)
「2 先行研究における不足点」(13-23頁)
「3 本書の構成」(23-27頁)
「第一部 「日本的なもの」の形成ー1920年代後半から1940年代前半まで」(29-
「第一章 「日本的」映画の成立と小津映画の役割ー1920年代後半から1935年まで」(31-72頁)
「第二章 「伝統的なもの」から「日本人らしさ」へー1935年から終戦まで(73-118頁)
「第二部 戦後の議論ー敗戦から1963年まで」(119-
「第三章 「最も日本的な監督」としての定着ー終戦から1955年まで」(121-171頁)
「第四章 「古い伝統」の象徴的存在ー1956年から1963年まで」(173-226頁)
「第三部 ローカルな議論を越えてー1970年代から1980年代」(227-
「第五章 1970年代のアメリカにおける文化論的解釈」(229-262頁)
「第六章 1980年代における「日本的なもの」の転覆(263-299頁)
「終章」(301-307頁)
「註」(309-342頁)
「参考文献」(343-367頁)
「あとがき」(369-371頁)

小津安二郎発言クロニクルをつくる会+三四郎書館編『小津安二郎発言クロニクル1903-1963』(2024年11月20日発行、三四郎書館、669頁)

「はじめに(凡例に代えて」(4-6頁)
一、本書は、各年度ごとに、発表された主要な発言、テキストを網羅しました(一部、その発言した年代を移動させて記載した例もあります。とりわけ、いまだ無名だった頃を「回想」した発言・テキストは、その相当する年代に掲載しました。
二、小津の発言は、数人の対談、二人での対話として、雑誌に掲載された例が多くあります。本書では、小津の発言だけを対談の中から抽出して掲載しました。独立した内容として理解できる発言を抽出し、選択しました。対談者の発言が不在だと理解できない場合、あるいは理解がより容易になる場合、対談者の発言を〔□□□〕としてゴチック体で文中に表記しました(この発言は簡略化しました。)
三、発言・テキストの内容を補足する場合には、〔注、□□□〕のように、ゴチック体で文中に表記しました。
四、小津の発言、テキストを、より多角的に理解するためには、「第三者の発言・テキスト」を小津の類似する発言・テキストの中に適宜、挿入しました。「第三者の発言・テキスト」は、小津の発言・テキストと区別するために、発言の冒頭部に〔□□□談〕のように、その名前を記した他、発言・テキストの背景に網掛けをしました。
五、現代の読者が自然に読めるように、適宜、表記は現代的な漢字、送り仮名に変更しました。同様に、句読点等も、現代の読者の読みやすさを優先し、適宜、変更しました。また、小津の発言やテキストの冒頭部には、「小見出し」を入れました。日記からの引用文については、その雰囲気を壊したくなく、小見出しを入れませんでした。ただし、出征中の日記や手紙は、当時の状況を詳細に物語る唯一の資料でもあり、また、心覚え以上の記述となっているために、小見出しを付けました。
「第一章 明治三十六年 〇歳→十九歳」(7-36頁)
※「とりわけ、いまだ無名だった頃を「回想」した発言・テキストは、その相当する年代に掲載しました。」とあり、11頁には、(井上和男編『小津安二郎作品集Ⅱ』(立風書房))を参考文献として、「僕は深川生まれで、家の近所に喜八のモデルになるような‥」が掲載されている。同書245頁に掲載されているが、これは初出ではないので、孫引きとなる。孫引きでも頁数を挙示してあると便利だと思われる。また、小津ファンならば、この言葉が、TBSラジオ「この道この人」(1961年3月26日放送)の小津監督の肉声を活字化したものだと分かるだろう。「僕は深川生まれで」の前に、「喜八ものだとか、かあやんだとかの一連の長屋ものですねえ。あれはまあ、」という言葉が入る。これは、LPやCD「小津安二郎の世界」をお聞き頂くか、『キネマ旬報』1999年10月上旬特別号の70頁を読んで頂きたい。
「第二章 大正十二年 二十歳→三十二歳」(37-145頁)
「第三章 昭和十一年 三十三歳→三十六歳」(147-216頁)
「第四章 昭和十五年 三十七歳→四十二歳」(217-294頁)
「第五章 昭和二十一年 四十三歳→五十歳」(295-435頁)
「第六章 昭和二十九年 五十一歳→五十四歳」(437-500頁)
「第七章 昭和三十三年 五十五歳→五十七歳」(501-600頁)
「第八章 昭和三十六年 五十八歳→六十歳」(601-667頁)
「主要な参考文献」(668-669頁)

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