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小津監督を巡る文献・資料

小津安二郎を巡る関連文献・資料

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2022年の関連文献・資料

2022
「マイスター 小津安二郎の世界」(2022年1月1日、新文芸坐)

2022年新春興行 2022年1月1日~10日
小津安二郎の世界
世界に敬愛される小津安二郎監督の傑作群から12作品を厳選上映

『新潮』第百十九巻第二号(2022年2月7日発行(1月7日発売)、新潮社、324頁)

平山周吉「小津安二郎 第十六回 第十六章 「神様」志賀直哉と小津「助監督」(196-206頁)
※冒頭を引用する。
 「全集ありがたく拝受 自分のことの書いてある部分早速拝見致しました。此春は気候不順で少し弱りましたが、漸く少し元気になり来月三日から里見、小津君と一寸旅をする事にしています 御礼草々」
 昭和三十一年(一九五六)五月三十日に出された志賀直哉の葉書である。志賀と里見弴という大尊敬する小説家二人のお伴をして小津が旅行をしたのは、「早春」と「東京暮色」の間に挟まれた時期だった。志賀の葉書を受け取ったのは、鎌倉市雪ノ下に住んでいた小林秀雄である。

『新潮』第百十九巻第四号(2022年4月7日発行(3月7日発売)、新潮社、324頁)

平山周吉「小津安二郎 第十七回 第十七章 「劇術と台詞」里見弴「小」先生への傾倒(248-258頁)
※冒頭を引用する。
 小津があこがれの志賀直哉と初めて話したのは昭和二十二年(一九四七)、戦後第一作「長屋紳士録」公開時の「映画春秋」での座談会だった。志賀の弟分・里見弴の場合は昭和十六(一九四一)で、志那事変帰還第一作「戸田家の兄妹」公開時の「新映画」(昭和16・4)での座談会である。司会の南部圭之助は里見の出席がサプライズで実現したことを冒頭で丁重に述べている。

『新潮』第百十九巻第六号(2022年6月7日発行(5月7日発売)、新潮社、340頁)

平山周吉「小津安二郎 第十八回 第十八章 「道化の精神」と里見、谷崎の老年小説(200-210頁)
※冒頭を引用する。
 「東京暮色」の五番目、つまり一番下の助監督だった田中康義は遺著『豆腐屋はオカラもつくる 映画監督小津安二郎のこと』で、有馬稲子が電車に轢かれる踏切に立つ眼鏡屋の広告看板に言及している。あのシーンは大船近くの「田園踏切」で撮影された。看板は小津が作った〈虚構の看板〉で、美術部が製作し、あの位置に立てた。

『新潮』第百十九巻第八号(2022年8月7日発行(7月7日発売)、新潮社、372頁)

平山周吉「小津安二郎 第十九回 第十九章 臨終近し、日本映画界(286-296頁)
※冒頭を引用する。
 「生物の個体には週末の死がある。老人の身体は火葬場で焼かれる。その煙が青空に流れる。主人公の遺骸を焼く煙を画面に出した映画は世界に稀であろう。家族・親戚たちがその煙を見上げる。誰でも彼と更に自分の運命を思い、無常感に襲われるのが人間の本能であろう。黒いカラスが象徴的に現れる。地蔵さんの石仏が小津好みのフレームの中に並ぶ。外国人が見たら、ここから東洋哲学を感じとって賞讃するかも知れない。笠智衆と望月優子の農家の夫婦を数ショット出して喋らせたのは、人間の死が自然のいとなみとして行われる客観描写のつもりなのだろうが、このような配役をする必然性はないようだ(小倉真美「『小早川家の秋』に見る小津映画の特質」「キネマ旬報」昭和36・11・下)

「第25回小津安二郎記念蓼科高原映画祭」(2022年9月17日、「小津安二郎記念・蓼科高原映画祭」実行委員会、10頁)

2022年9月17日~25日
小津安二郎から21世紀の映画へ 
「山内静夫氏を偲んで」パネル展開催(1頁)
「小津安二郎監督フィルモグラフィー」「小津安二郎と蓼科高原」(2頁)

「映画をデザインする 小津安二郎と市川崑の美学」(2022年9月17日、鎌倉市川喜多映画記念館)

特別展 映画をデザインする 小津安二郎と市川崑の美学
於:鎌倉市川喜多映画記念館
期間:2022年9月17日-12月12日

「築山秀夫コレクション 小津安二郎-美の文法-」(江東区古石場文化センター、2022年11月19日)

小津安二郎紹介展示コーナー特別展
築山秀夫コレクション「小津安二郎-美の文法-」
会場:江東区古石場文化センター
開催:2022年11月19日~2022年2月5日

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