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小津監督を巡る文献・資料

小津安二郎を巡る関連文献・資料

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2021年の関連文献・資料

2021
『新潮』第百十八巻第二号(2021年2月7日発行(1月7日発売)、新潮社、420頁)

平山周吉「小津安二郎 第六回 第六章 「人の如く鶏頭立てり「東京物語」」(258-268頁)
※冒頭を引用する。
 二〇一九(令和元)年の歳末は、まだ当然のごとく忘年会がさかんに行われていた。「三密」などという言葉はなかった。私の場合、この年最後の忘年会は、江東区の門前仲町であった。隅田川を地下鉄東西線で通り過ぎてしまうのは味気ない。せっかくの永代橋の橋梁と橋からの夜景を眺めることができないからだ。小津のトーキー第一作「一人息子」(昭和十一年)では、信州から上京した飯田蝶子を乗せた円タクは、永代橋で隅田川を渡った。飯田蝶子のかあやんが一人息子(日守新一)に案内されて着いた場所は、空き地が荒涼とひろがる東京の場末で、期待した息子は夜学の教師でしかない。「東京物語」では町医者の山村聰が、隅田川の向こうで生計をたてていた。「一人息子」は「東京物語」のあきらかな先行作である。飯田蝶子の失望と落胆は、「東京物語」の笠智衆、東山千栄子の老夫婦よりも直截で、最後に漏れる溜息は笠と東山よりもあからさまだった。

『新潮』第百十八巻第三号(2021年3月7日発行(2月5日発売)、新潮社、388頁)

平山周吉「小津安二郎 第七回 第七章 「晩春」の壺は、値百万両」(178-188頁)
※冒頭を引用する。
 突然、シネスイッチ銀座のスクリーンに山中貞雄監督の「河内山宗俊」のタイトルが流れ始めた。小津の「麦秋」に強く影を落とす映画として言及してきた。十五歳の原節子の時代劇出演作である。その「河内山宗俊」の冒頭部分が、第七十七回ヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞(監督賞9を受賞した「スパイの妻」に挿入されている。観客に強く印象づけるためか、かなり長く流れる。ヴェネチアを通して、サダオ・ヤマナカの名前はこれから世界の映画人に間違いなく知られていく。そうかくしんさせるに足る、「河内山宗俊」の不意打ち映像だった。

『新潮』第百十八巻第四号(2021年4月7日発行(3月5日発売)、新潮社、420頁)

平山周吉「小津安二郎 第八回 第八章 「戦争未亡人」紀子と「社会的寡婦」百万人」(234-244頁)
※冒頭を引用する。
 昨年亡くなった古井由吉に『東京物語考』という本がある。昭和五十九年(一九八四)に出ていて、その時に読んでいるのだが、すっかり忘れていた。『「東京物語」考』だとてっきり思い込み、勢い込んで読み始めたら、肩すかしを喰らわされた。古井が関心を持つ徳田秋聲、葛西善蔵、嘉村礒多など、東京に移住した作家たちを「東京者」として括った上での文学論であった。その『東京物語考』の冒頭に「東京物語」のことが出ていると教えられ、久しぶりに手にとった。「東京物語」が公開された昭和二十八年(一九五三)に日比谷高校に入った古井少年は、五反田の映画館でひとり「東京物語」を観た。その日の回想から『東京物語考』は始まる。映画館を出ようとした時、古井少年は刑事に呼び止められた。

『安ちゃん 青春のまち 松阪』オープン記念号(2021年3月31日発行、松阪市産業文化部文化課、8頁)

「”安ちゃん”の面影と出会う」(2-3頁)
「小津安二郎略年譜」(3頁)
「小津安二郎松阪記念館ご案内」(4-5頁)
「主な小津作品一覧」(5頁)
「小津安二郎ゆかりの地マップ」(6頁)
藤田明「小津作品と私 回想の70余年」(7頁)
「イベント案内」(8頁)

『映画監督小津安二郎 ゆかりの地21か所巡り』(2021年3月31日発行、松阪市・文化課、8頁)

「日本映画の至宝かつ世界的な映画監督」(2頁)
「小津安二郎 青春のまち松阪 ゆかりの地 マップ」(3-6頁)
「小津安二郎年表、主な代表作品」(7頁)

「映画監督小津安二郎企画展 青春のまち松阪展」(2021年4月3日発行、松阪市立歴史民俗資料館)

リニューアルオープン記念
2021年4月3日(土)~6月6日(日)
於:松阪市立歴史民俗資料館

築山秀夫『映画監督小津安二郎 企画展「青春のまち 松阪展」』(2021年4月3日発行、松阪市立歴史民俗資料館)

築山秀夫「現代の映画作家としての小津安二郎」
築山秀夫「世界の小津安二郎、小津好みコーナーについて」

『新潮』第百十八巻第五号(2021年5月7日発行(4月7日発売)、新潮社、396頁)

平山周吉「小津安二郎 第九回 第九章 原節子結婚説-「痒い」平山「痒い」小津(224-234頁)
※冒頭を引用する。
「本誌 今日は『小津安二郎監督を語る』という題で、小津作品に縁の深い、また小津監督のお気に入りの皆さま方に‥。
淡島 嘘だァ(笑)
原 何云ってんの。今度の『お茶漬の味』にも出ているじゃァないの、淡島さんは‥。
淡島 だって、私なんかおつきあい一番浅いわ。『麦秋』と『お茶漬の味』の二本ですもの‥。
三宅 そういう意味でなくてさ、原さんなんか‥。
原 なアーに?
三宅 ご謙遜。
原 何を云っているのよ。私だって『晩春』と『麦秋』の二本よ。
三宅 その二本がねえー。(笑)
淡島 この中では、小津先生の作品に出演されたのは三宅さんが一番多いんでしょう?
三宅 そうでもないわ。最初が『戸田家の兄妹』で、『晩春』、『麦秋』、それから今度の『お茶漬の味』でしょう。四本だわ。
原 私たち二本ずつだから、三宅さんは私たちの倍しゃべらなくちゃァね。
淡島 そうよ、ねえー」
 原節子と三宅邦子と淡島千景が和気藹々のうちに語る座談会「かっちりして大きい小津先生」の出だしのやりとりである。

『新潮』第百十八巻第六号(2021年6月7日発行(5月7日発売)、新潮社、404頁)

平山周吉「小津安二郎 第十回 第十章 「秋刀魚」と「鱧」の三角関係(204-214頁)
※冒頭を引用する。
 「十二月十二日の午後、小津安二郎先生の死を知らせる電話が鳴りました。何度かのお見舞いで衰弱なさった先生の様子を心配してはおりましたが、目の前で死を知らされますと、胸が急につまってくる思いでした。その直後、新聞社からの電話で「小津先生をしのんで感想を?」と問われても、驚きと悲しみが先に立って、とうてい言葉ではいいあらわせない気持ちでした。とるものもとりあえず、通夜の席にかけつけたのですが、悲しみの思いが胸にこみあげてきて、自分ではそんなにとり乱してはいなかったと思っていたのに、週刊誌に「-その中では原節子が終始涙を流し、声をあげて泣いていた姿が印象的だった」などと書かれてしまって、ずいぶんとり乱して悲しみの中に身を置いていたのだな、と知らされたのでした。通夜、葬儀をすませたあと、落ち着いて先生のお仕事ぶりをふり返ってみますと、戦後の私の女優生活の中で、どうしても欠くことのできない人であったことがよく判ります」原節子の小津追悼文である。こんな記事が存在していることに今まで気づかれなかった。「婦人倶楽部」昭和三十九年(一九六四)二月号に載った「いま、小津先生の想い出も悲しく」という二頁の記事で、文末に「(この記事は談話をもとにしてまとめました)」とある。

『新潮』第百十八巻第七号(2021年7月7日発行(6月7日発売)、新潮社、420頁)

平山周吉「小津安二郎 第十一回 第十一章 加東大介と笠智衆の「軍艦マーチ」(228-238頁)
※冒頭を引用する。
 「原節子さんと初めて会ったのは、前進座の映画「河内山宗俊」に娘主人公として特別出演されたときで、もう十数年ほど前のことだ。そのときの清純な美しさは目もまばゆいくらいで、思わずため息が出た。/その第一印象が今でも強く「大番」の仕事が始まり、ギューちゃんの永遠の恋人可奈子さんに原さんが出られると聞いて、世の中はせまいと思った。果して、セットで顔を合わせセリフをいうとき、柄にもなく胸がドキドキして、ギューちゃんと自分の区別がなくなってしまう。/映画の可奈子さんは三十年来の恋人である。こんどの完結編で原さんと、いや可奈子さんとお別れとは寂しい限りである」「清純な原さん」と題された短いエッセイ(「娯楽よみうり」昭和33・7・1)の筆者が、名脇役の加東大介である。

宮本明子『台本からたどる小津安二郎』(2021年7月30日発行、龜鳴屋、201頁)

「序章」(11-62頁)
「第二章 「悪い男たち」の系譜」(63-78頁)
「第三章 鏡の中の紀子―『晩春』における「杜若 戀之舞」(79-104頁)
「終章」(105-109頁)
「巻末資料」(111―131頁)
「資料2「『早春』修正入台本」(公益財団法人川喜多記念映画文化財団寄託)調査結果」(133-192頁)
「あとがき」(194-197頁)

『新潮』第百十八巻第八号(2021年8月7日発行(7月7日発売)、新潮社、396頁)

平山周吉「小津安二郎 第十二回 第十二章 照れ屋の小津がうたった「軍歌」(228-238頁)
※冒頭を引用する。
 昭和三十四年(一九五九)五月二日(土)は、小津の生涯の中でも五本の指に入る佳き日だった。カラー第二作「お早よう」の完成試写会が午後にあり、夜にはカラー第一作「彼岸花」の日本芸術院賞受賞祝賀パーティーが盛大に行われた。試写会には畏敬する志賀直哉、里見弴の二文豪が出席し、夜の銀座の二次会には原節子が駆けつけている(『全日記 小津安二郎』)。
 芸術院賞は映画界初ゆえに、小津個人を超えてのお祝いとなった。この時、小津は五十五歳で、同時に受賞した『氷壁』の井上靖は五十一歳、『自然主義の研究』の吉田精一(東京教育大教授)は五十歳である。映画が文学よりも一段も二段も三段も下に見られていた時代の受賞だった。「キネマ旬報」(昭和34・7・下9では、「芸術院賞を受賞した小津安二郎」というグラビア頁で小津を特写している。その記事は、祝賀会の様子に触れている。

『新潮』第百十八巻第十号(2021年10月7日発行(9月7日発売)、新潮社、428頁)

平山周吉「小津安二郎 第十三回 第十三章 「夫」山村聰が「妻」田中絹代を打擲する「宗方姉妹」(234-244頁)
※冒頭を引用する。
 長女の有馬稲子の恋愛結婚に猛反対して、理不尽に怒り散らす「彼岸花」(昭和三十三年)の頑固オヤジは、佐分利信にぴったりだった。妻の田中絹代は夫の佐分利信を最終的に屈服させる自信があり、余裕綽々だった。有馬には京都からの助っ人・山本富士子と次女の桑野みゆきが応援団でついている。家庭内暴君の佐分利は、自分の思い通りに事が運ばず、部屋の中を動物園の熊状態になって、行ったり来たり徘徊する。佐分利本人の主観とは大違いで、一家の主としての権威はもはやない。頑固オヤジはこれでもかと戯画化されている。

『新潮』第百十八巻第十一号(2021年11月7日発行(10月7日発売)、新潮社、428頁)

平山周吉「小津安二郎 第十四回 第十四章 敗戦国の「肉声のない男」たち(230-240頁)
※冒頭を引用する。
 「「晩春」と「麦秋」と「東京物語」を、つづけて、並木座で、やるそうである。どれも、みな、同じやうな作品だ。今度は何か一つ、変わったものをやらないか、と、よくひとから云われる。そんな時、いつも僕は、豆腐屋なんだから、精々、豆腐の他、焼豆腐か、油揚げか、飛龍頭しか出来ないのだ、と、返事をする。さう変わったものは、一人の僕からは、生れさうにもない。今のところ、うまい豆腐を、うまい飛龍頭を、拵らへることだけで一杯だ。変わったものなら、デパートの食堂に行けばある。」『「復刻版」銀座並木座ウィークリー』(三交社)に載っている小津の短文である。小津の書いた「豆腐之圖」に添えられた文章で、わずか六頁の無料プログラム「並木座ウィークリー」昭和二十九年(一九五四)三月十日号のために書かれたものだ。

『新潮』第百十八巻第十二号(2021年12月7日発行(11月6日発売)、新潮社、356頁)

平山周吉「小津安二郎 第十五回 第十五章 「日本一のサラリーマン」と「勤続三十一年」の映画監督(194-204頁)
※冒頭を引用する。
 「東京物語」の場末の開業医「肉声のない男」山村聰は、敗戦国の戦後を生きる「戦中派」小津安二郎にとって、ひそかに自らの感慨を託し得る存在だったのではないか。「宗方姉妹」→(「麦秋」)→「東京物語」と山村聰の役柄に沿って見直して、そこに辿り着いた。次の「早春」に向かう前に、小津映画の中で、小津が感慨を託し得た役者、登場人物を簡単におさらいしておきたい。

尾形敏朗『晩秋の味』(2021年11月30日発行、河出書房新社、203頁)

「第一章 人生のラスト・ムービー」(7-13頁)
「第二章 秋刀魚の歌が聞える」(14-21頁)
「第三章 山中貞雄を想う」(22-30頁)
「第四章 変な家(うち)の女」(31-37頁)
「第五章 幽明の加東大介」(38-44頁)
「第六章 葉鶏頭をキャメラの方へ」(45-51頁)
「第七章 ひとりぼっちのメロディ」(52-59頁)
「第八章 キリンからムジナへ」(60-67頁)
「第九章 回復へのキャッチボール」(68-74頁)
「第十章 終わった人、はじまる」(75-81頁)
「第十一章 まほろばの人」(82-88頁)
「第十二章 老成という罰」(89-95頁)
「第十三章 紀子の中にいる他人」(96-102頁)
「第十四章 〈昭和〉の悲しみ」(103-109頁)
「第十五章 消えた婚期」(110-116頁)
「第十六章 結婚はしたけれど」(117-123頁)
「第十七章 戦いのあとの風景」(124-131頁)
「第十八章 志賀と成瀬と戦後と」(132-139頁)
「第十九章 サセレシアの女」(140-146頁)
「第二十章 小津ふたり」(147-153頁)
「第二十一章 やわらかな修復」(154-161頁)
「第二十二章 なつかしい人」(162-169頁)
「第二十三章 蓼科の憂鬱」(170-176頁)
「第二十四章 小父さまたちの秋」(177-183頁)
「第二十五章 老いの残り火」(184-191頁)
「最終章 それぞれの戦争」(192-200頁)
「あとがき」(201-203頁)

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