「旅のはじめに」(1―2頁)
「Ⅰ『東京物語』を読む」(11―39頁)
「Ⅱ『東京物語』その後」(40―58頁)
「Ⅲ いま、なぜオヅなのか」(59―69頁)
「Ⅳ 時代に流されない」(70―78頁)
「Ⅴ 寅さんと小津安二郎」(79―92頁)
「Ⅵ 生地・深川にて 地図のない旅・1」(93―119頁)
「Ⅶ 松阪、奥伊勢にて 地図のない旅・2」(120―147頁)
「Ⅷ 尾道にて 地図のない旅・3」(148―178頁)
「Ⅸ 終の栖・鎌倉にて 地図のない旅・4」(179―209頁)
「旅を終えて」(210―211頁)
「参考文献」(212―213頁)
佐崎順昭「小津安二郎、絵画とデザイン、その拡がりへ向けて(下)」(9‐10頁)
照井康夫「野田高梧の『蓼科日記』」(4-26頁)
「はじめに、
・「蓼科日記」とは(6-8頁)
・「蓼科日記」の翻刻について(8-10頁)
・小津記述を中心に編まれた『蓼科日記抄』(10-12頁)
・「野田高梧の蓼科日記」連載開始について(12-16頁)
・第一回「蓼科日記前史」(16-26頁)
デジタル復元で甦る小津・政岡・大藤
小津安二郎作品 デジタル復元版特別上映会
2014年2月13日(木)~16日(日)
東京国立近代美術館フィルムセンター大ホール
「第一章 蒲田の青春」(7-112頁)
「第二章 盛夏炎天」(113-216頁)
「第三章 女の秋」(217-324頁)
「第四章 冬場れのピーカン」(325-348頁)
「主要参考・引用文献」(349-352頁)
「あとがき」(353-364頁)
照井康夫「連載 野田高梧の「蓼科日記」」(32-46頁)
「浄明寺青年連盟のこと」(32-35頁)
「第二回 「蓼科日記前史2」(35-46頁)
「カラー口絵」
「Ⅰ メイン・イベントの記録」(1-23頁)
「Ⅱ プレ・イベントの記録」(24-50頁)
「Ⅲ エッセイ 松阪と小津安二郎」(51-60頁)
「Ⅳ アンケート 小津監督に寄せて」(61-72頁)
「小津監督全作品、映画界入り以前の小津安二郎略年譜」(73頁)
「すべては”小津カラー”のために-」(2-3頁)
「画像修復・カラー調整について」(4-6頁)
「音響修復について」(7-8頁)
「デジタルリマスター版完成・披露・上映スケジュール」(9-10頁)
※Blu-rayBOX「小津安二郎監督カラー4作品」特典ブックレット
第9回鎌倉名画座 彼岸花
12:30 開場
13:00~トーク/山内静夫
13:20~彼岸花
照井康夫「連載第3回 野田高梧の「蓼科日記」」(60-74頁)
「「雑記帳」から「蓼科日記」へ本篇へ」(60-64頁)
「第三回 「蓼科日記」本篇はじまる」(昭和二十九年八月)(64-66頁)
「ここより「蓼科日記」」本篇(66-74頁)
照井康夫「連載第4回 野田高梧の「蓼科日記」」(88-102頁)
「「上高地紀行」と木暮理太郎のこと」(88-92頁)
「第4回 トラちゃんへのプレゼント「上高地紀行」」(昭和二十九年九月)(92-102頁)
相生座名画特集アンケート・監督部門第1位!
小津安二郎特集
長野相生座・ロキシー
照井康夫「連載第5回 野田高梧の「蓼科日記」」(60-72頁)
「『早春』の若者たち、「横須賀線会」のこと」(60-64頁)
「第5回 祝『早春』脱稿、蓼科での和解の日々」(昭和30年初夏)(64-72頁)
とちぎあきら「小津安二郎カラー作品のデジタル復元を支えた3つの力」(8-9頁)
※一部抜粋する。「小津が『彼岸花』を手がけた1958年の雑誌『映画技術』No.82には、東映の技術委員会と日本色彩研究所の連名で、アグファカラーの色再現性に関する調査結果が報告されている(49-52頁)。そこでは、このフィルムの特徴として、三食の混合バランスは緑を主調としていること、自然光でもタングステン光でも再現特性が近似していること、彩度はどの色相も1/2程度減じていること、そして、赤付近の再現性がもっとも安定しないことが指摘されている。こうした特徴は、すでに1956年依頼アグファカラーに取り組んできた東京現像所の技師や大映のスタッフの間でも共有されてきたことであったが、小津は彩度を抑えた渋さを求めながら、自らの赤への偏愛を、その再現がもっとも困難と言われたフィルムに賭けたことになる。その意味で、曇天の空をバックに、赤レンガの東京駅の駅舎を捉えた『彼岸花』のファーストカットは、まさに小津のカラー映画への宣戦布告でもあったわけである。」(8頁)
「はじめに」(9-12頁)
「第一章 ほとんどの小津映画で女優たちは泣いた」(13-30頁)
「第二章 小津映画固有の構造と主題」(31-47頁)
「第三章 思想としての小津映画」(48-63頁)
「第四章 原節子は映画のなかでいかに泣いたか」(64-81頁)
「第五章 原節子をめぐる小津と黒澤明の壮絶な闘い」(82-103頁)
「第六章 『晩春』〔Ⅰ〕-原節子、初めての号泣」(104-134頁)
「第七章 『晩春』〔Ⅱ〕-娘は父親との性的結合を望んでいたか」(135-168頁)
「第八章 『麦秋』-失われた幸福なる家族共同体」(169-192頁)
「第九章 『東京物語』-失われた自然的時間共同体」(193-217頁)
「第十章 喪服を着て涙も見せずスクリーンから消えていった原節子」(218-235頁)
「おわりに」(236-246頁)
「関連年表」(247-250頁)
「主要参考文献」(251-253頁)
小津家・家族との絆 映画監督小津安二郎資料展-小津安二郎 映画のルーツを求めて-
新たに発見された資料を中心に、小津安二郎監督に関連する資料等の展示を行います。
2014年6月24日~7月2日 会場 松阪市文化財センター第3ギャラリー、小津安二郎青春館
照井康夫「連載第6回 野田高梧の「蓼科日記」」(146-159頁)
「山里の人々へのまなざし、其の一」(146-149頁)
「第六回「山ノ神の日」のことを中心に(昭和三十年八月)」(149-159頁)
照井康夫「連載第7回 野田高梧の「蓼科日記」」(144-158頁)
「山里の人々へのまなざし、其の二(野田九浦のことなど)」(144-146頁)
「九浦画伯「山稼ぎ」デッサンと北山小学校の運動会(昭和三十年初秋)」(146-158頁)
栗原好郎「序 ヒーローなき小津映画」(4-5頁)
栗原好郎「小津映画の普遍性~真の深さは軽快さの中に~」(7-46頁)
清水孝純「日常の叙事詩 小津映画を読む」(47-102頁)
岡村民夫「小津安二郎の現代性-海外の監督による二〇〇〇年以降の受容から見えてくるもの」(103-128頁)
「小津安二郎略年譜等」(129-133頁)
栗原好郎「あとがき」(134頁)
照井康夫「連載第8回 野田高梧の「蓼科日記」」(136-150頁)
「小津作品における同窓生ファクターと野田高梧」(136-138頁)
「名古屋第二高等小学校と旧制愛知一中の同級生交歓(昭和30年10月)(138-150頁)
照井康夫「連載第9回 野田高梧の「蓼科日記」」(94-107頁)
「蓼科の拠点拡大整備と『東京暮色』執筆へ」(94-95頁)
「小津安二郎、一年十箇月ぶり蓼科に来訪す」(昭和31年6月下旬)(95-107頁)
第17回小津安二郎記念蓼科高原映画祭
2014年10月4日(土)~10月5日(日)
第17回小津安二郎記念蓼科高原映画祭
2014年10月4日(土)・10月5日(日)
矢崎和美「笠智衆さん、生誕110年」(2頁)
第九回鎌倉芸術祭 小津安二郎映画を聞く~ 音語り 秋刀魚の味
北鎌倉円覚寺「方丈」
中井貴恵(朗読)、松本峰明(ピアノ)
第1部 小津安二郎の思い出を語る トークゲスト 山内静夫(元松竹プロデューサー)
第2部 音語り「秋刀魚の味」
照井康夫「連載第10回 野田高梧の「蓼科日記」」(138-151頁)
「里見弴、井上和男らの初来訪と「村上茂子のこと」」(138-139頁)
「賓客たちの訪れと高原ホテルの焼失」(昭和31年7月~八月上旬)(139-146頁)
笹沼真理子「特別寄稿 村上茂子さんのこと」(146-151頁)
照井康夫「連載第11回 野田高梧の「蓼科日記」」(106-121頁)
「「溝口健二の死」と『東京暮色』のタイトル決定」(106-108頁)
「小津安二郎、片倉製糸と「隔雲荘」の契約準備へ」(昭和31年8月~10月(108-121頁)
第20回オーヅ先生を偲ぶ集い 笠智衆生誕110年記念
笠兼三さんに聞く「祖父 笠智衆」
ゲスト 笠兼三さん
映画上映「父ありき」
場所:松阪市飯高老人福祉センター
「まえがき」(2―7頁)
「目次」(8―13頁)
「第一章 小津安二郎の発言から」(15―130頁)
「第二章 小津安二郎の作品から」(131―217頁)
「あとがき」(218―219頁)
「参考文献」(220―222頁)
期間:2014年12月12日~2015年1月25日
会場:江東区古石場文化センター
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