全国小津安二郎ネットワーク

小津監督を巡る文献・資料

小津安二郎を巡る関連文献・資料

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2000年の関連文献・資料

2000
『婦人画報』No.1158(2000年1月1日発行、アシェット婦人画報社、382頁)

「小津安二郎が愛した日本(撮影:荒木経惟」(276―293頁)
高橋治「小津安二郎の永遠のまなざし 顔色も変えずに」(278―283頁)
小津ハマ「弟思い、母を大切にし、子供を可愛がる愛の人」(284頁)
長井秀行「口の悪さの底にある温かな心と珠玉の言葉が残る」(285頁)
井上和男「戦争の爪痕を小津流に描いたのが紀子三部作」(285頁)
岸恵子「俺が生きているうちに早く帰って来いよと、愛情こめておっしゃっていた」(286頁)
桜むつ子「浅草の舞台で歌っていた私が、なぜか小津先生に気に入られて常連に」(287頁)
司葉子「構図にも、セリフにも、先生の作品には日本の原点がある」(287頁)
岡田茉莉子「才能ある父のおかげで、素敵や役回りの多かった私」(288―289頁)
荒木経惟「小津安二郎にささげる荒木経惟の鎌倉物語」(290―293頁)

獅騎一郎『黒澤明と小津安二郎』(2000年1月18日発行、宝文館出版、254頁)

「風景で始まる小津安二郎」(13-21頁)
「黒澤明と小津安二郎の関係」(22―32頁)
「仕事も粋にやりたい小津安二郎」(33―53頁)
「非映画を撮る小津安二郎」(79―101頁)
「原節子」(128―132頁)
「笠智衆」(133―135頁)
「『静けさ』を描く小津安二郎」(144―166頁)
「音楽も静かだった小津安二郎」(191―194頁)
「能にこと寄せて訴える小津安二郎」(198―199頁)
「一センチ単位で指導する小津安二郎」(202―221頁)
「結論」(249―251頁)
「あとがき」(252―253頁)
「主要参考文献」(254頁)

Antologia de los diarios de Yasujiro Ozu(2000年2月、Filmoteca Valenciana、357頁)

NOTA A LA EDICION 7
PROLOGO      11
Antologia de los diarios de Yasujiro Ozu 15-338
FILMOGRAFIA 339
BIBLIOGRAFIA SELECCIONADA 349
INDICE DE PELICULAS 351 

『サンデー毎日』第79巻第7号(2000年2月13日発行、毎日新聞社、170頁)

「発見!!故小津安二郎監督の中学生日記」(150―153頁)
※一部抜粋する。「その日記帳は小津の実弟、信三さ(故人)の妻、小津ハマさん(75)の手によって保管されていた。18(大正7)年と21年の2年分で、それぞれ2年生から3年生にかけてと、最終学年の5年生3学期から卒業後にかけてである。年齢的にはぼぼ14歳から17歳の時期に当たる。」「ハマさんの話に耳を傾けてみよう。「94年のことですが、義兄が住んでいた松阪の旧宅の跡を見に行きました。燐家の佐野家でお話をうかがっていると、『小津さんの日記があるんです』と言って渡して下さったのです。話によりますと、51年の大火で旧宅は焼けてしまったのですが、蔵だけは残りました。その後、蔵も処分するということになって、昔の小津をご存じの佐野家の方が『これはヤッちゃんのものだから』と、大切に保存して下さったのです。一読して驚きました。それまで少年時代のことはほとんど分からずにいましたが、本当にいろいろなことが具体的イメージとなって目の前に現れてきました。それも自身が書き残した文章から浮かび上がってきたのです。」(150頁)

四方田犬彦『日本映画史100年』(2000年3月22日発行、集英社、240頁)

「のちに独自の文体が非ハリウッド映画の典型であると評価された小津安二郎にしても、1920年代の初期作品では「バタ臭い」と揶揄されるほど、アメリカ映画から深い影響を受けていた。」(8頁)
「小津は最初、ノンセンス喜劇から出発し、ハリウッドのルビッチやヴィダーの影響を強く受けていたために「バタ臭い」と評された。彼はゆるやかに主題と文体を変え、大学生やサラリーマン、さらに下町の庶民を主人公に、人生をめぐる諦めと達観を好んで描くようになった。『落第はしたけれど』(1930)や『生まれては見たけれど』(1932)は、その典型と言える。ローアングルの固定画面から、人物の行為の無意味な反復まで、小津のフィルムには様式への衝動を強く窺うことができる。五十年代に至って、その文体の厳密さは完璧なものと化し、彼は巨匠として畏敬された。」(66頁)
「小津の描く日本人は政治的無関心において国策に協力もしなかった、進行中の危機に対しても無力かつ従順であり続けた。」(87頁)

『火涼』45号(2004年3月4日発行、火涼会、91頁)

衣斐弘行「小説 谷戸の譚」(1-23頁)
※小津安二郎の鎌倉の自宅に、家政婦として勤めていた小川くみ子を巡る小説

蓮實重彦『映画狂人日記』(2000年3月24日発行、河出書房新社、329頁)

「小津安二郎の幻の作品『突貫小僧』が発見された-小津安二郎監督 ビデオ『突貫小僧』」(154-155頁)

蓮實重彦『映画狂人、神出鬼没』(2000年5月18日発行、河出書房新社、295頁)

「厚田さんの死に、まだ慣れることはできません」(213-216頁)
「●とりあえずのベスト160」(249-261頁)
※冒頭を引用する。「あれこれ思い悩んだ末に決定的な三つの名前、ルノワール、フォード、小津から一本ずつ選ぶことを決断する。順不同である。『ゲームの規則』(ルノワール、39)、『駅馬車』(フォード、39)、『晩春』(小津、49)、すぐさま同じ作家の別の作品に置き換えたい欲望にかられる。『のらくら兵』(ルノワール、28)、『香も高きケンタッキー』(フォード、25)、『非常線の女』(小津、33)いずれも無声映画である。そこで、同じ作家によるトーキー作品が浮上する。『十字路の夜』(ルノワール、32)、『周遊する蒸気船』(フォード、35)、『父ありき』(小津、42)」

都築正昭『ココロニモナキ ウタヲヨミテ -小津安二郎が詠んだ名歌23-』(2000年5月30日発行、朝日ソノラマ、300頁)

「プロローグ 歌詠み小津安二郎」(13―20頁)
「第一章 何の宿世か」(21―82頁)
「第二章 わがいのち」(83―132頁)
「第三章 親と子」(133―188頁)
「第四章 たまゆらのいのち」(189―236頁)
「第五章 われみまかれば」(237―293頁)
「エピローグ 歌詠み小津の”絶唱”」(294―296頁)
「あとがき」(297―298頁)
「主要引用参考文献」(300頁)
※「これらの歌は、人に見られるとか人に見せるという思いはまるでなかった。ましてや歌集にまとめて世に出す意思など露ほどもなかったのである。」(16頁)と書かれているが、実際には小津安二郎は「塘眠堂句集」を編んでいる。

貴田庄『小津安二郎の食卓』(2000年8月5日発行、芳賀書店、261頁)

「プロローグ 死とがんもどき」(7―11頁)
「1 秋刀魚と大根」(13―18頁)
「2 鱧」(19―26頁)
「3 カレーライス」(27―35頁)
「味の散歩<監督昇進と鮭とお茶漬>」(36―39頁)
「4 ラーメン」(41―46頁)
「5 中華まんじゅう」(47―53頁)
「6 珍々軒と東興園」(55―62頁)
「味の散歩<横浜・中華街のサンマーメン>」(63―66頁)
「7 鰻」(67―74頁)
「8 料理屋の女将」(75―82頁)
「9 とんかつ」(83―89頁)
「味の散歩<上野・蓬莱屋のカツレツ>」(90―94頁)
「10 おでん屋」(95―106頁)
「11 寿司屋の客」(107―116頁)
「12 草上の食事」(117―128頁)
「13 家族団欒と同窓会」(129―136頁)
「味の散歩<自作料理はカレーすき焼>」(137―139頁)
「14 パン」(141―149頁)
「15 コカコーラと沢庵」(151―158頁)
「16 オナラと猫いらず」(159―169頁)
「17 お土産と贈り物」(171―178頁)
「味の散歩<戦地日記抄と東京の味>」(179―184頁)
「18 果物嫌い」(185―196頁)
「19 BAR」(197―206頁)
「エピローグ 日常的グルメ映画」(207―217頁)
「引用および参考文献」(218―220頁)
「小津安二郎グルメ手帖」(221―251頁)
「小津安二郎グルメ手帖について」(252―254
「小津安二郎フィルモグラフィー」(255―257
「あとがき」(258―259
「映画作品目録」(260―261頁)

『キネマ旬報』No.2128(2000年8月15日発行、キネマ旬報社、198頁)

山口猛「特別寄稿 小津が見た戦争の地獄-毒ガス戦資料としての小津日記」(75-82頁)
「はじめに」(75-76頁)
「一、南昌攻略作戦の小津」
 ●毒ガス戦兵士としての小津(76-77頁)
 ●南昌作戦(77-78頁)
 ●応城から南昌への道(78-79頁)
「二、小津と戦争」
 ●小津と軍隊(79頁)
 ●中国での毒ガス部隊、森田部隊(80-81頁)
 ●小津の心象風景(81-82頁)
 ●小津が抱えた戦争(82頁)
 ●心の中での死(82頁)

『キネマ旬報』No.2130(2000年9月15日発行、キネマ旬報社、194頁)

「特集松竹大船撮影所 大船の時代が終わって」(86-98頁)
佐藤忠男「大船調とは何か」(86-88頁)
山田洋次×山内静夫「特別対談 先輩たちが築き上げてくれた技術を次の世代に伝えていかないといけない」(89-95頁)
朝原雄三・本木克英「松竹映画はどこへ行くのか」(96-98頁)

佐藤忠男『完本 小津安二郎の芸術』(2000年10月1日発行、朝日新聞社、653頁)

スナップ「小津安二郎監督」
スチル「東京の合唱」、「生まれてはみたけれど」、「父ありき」、「風の中の牝雞」、「晩春」、「麦秋」二葉、「東京物語」二葉、「早春」、「彼岸花」、秋刀魚の味」
「まずは、畳の上での座り方について 「完本 小津安二郎の芸術」の序論として」(3‐9頁)
「もくじ」(11‐16頁)
「扉」(17頁)
「私の見た小津安二郎」(19―31頁)
「小津作品のスタイル」(33‐121頁)
「生いたち」(123―139頁)
「修業時代」(141―169頁)
「初期の作品」(171―210頁)
「アメリカ映画の影響」(211―251頁)
「批判的リアリズムの完成」(253―293頁)
「“喜八もの”の世界」(295―315頁)
「崩壊の感覚」(317―347頁)
「崩壊への抵抗」(349―367頁)
「戦争体験」(369―395頁)
「戦後-痛苦の風景」(397―431頁)
「至福のイメージ」(433―460頁)
「アイロニー」(461―485頁)
「老年」(487―503頁)
「その死と小さな総括」(505―521頁)
増補
「視線と呼びかけ」(525―543頁)
「気遣いの構図」(545―572頁)
「セリフのおかしみ」(573―584頁)
「”遠慮”と”恐怖”について」(585―589頁)
「小津作品の世界への知られ方について」(591―592頁)
「終わりに、酒の飲み方について」(593―596頁)
資料
「作品の保存状況について」(599―607頁)
「小津安二郎年譜」(609―617頁)
「付録全作品目録」(619―650頁)
「あとがき」(651―653頁)

『映画祭通信速報版第4号 第3回小津安二郎記念・蓼科高原映画祭』(2000年10月21日、「小津安二郎記念・蓼科高原映画祭」実行委員会)

10月21日(土)15:00~
「ブッシュ・ド・ノエル」(フランス映画)
会場:車山スカイプラザ2F

中村博男『若き日の小津安二郎』(2000年10月31日発行、キネマ旬報社、229頁)

「序章 学舎の跡」(7‐11頁)
「第一章 東京から松坂へ」(12‐24頁)
「第二章 中学時代の日記」(25‐55頁)
「第三章 スポーツに親しむ 大正七年の日記から」(56‐74頁)
「第四章 寄宿舎の日々」(75‐92頁)
「第五章 映画への目覚め 大正十年の日記から」(93‐149頁)
「第六章 作品に見る中学生活」(150‐169頁)
「第七章 山ふところの村へ」(170‐192頁)
「第八章 『小津安二郎君への手紙』」(193‐219頁)
「終章 友情の碑」(220‐224頁)
「主な参考文献」(226‐227頁)
「あとがき」(228‐229頁)

『第3回小津安二郎記念・蓼科高原映画祭』(2000年11月10日、「小津安二郎記念・蓼科高原映画祭」実行委員会、6頁)

2000年11月10日(金)、11日(土)、12日(日)
会場:新星劇場、アートランドホテル蓼科、やつがねホール

シネマ倶楽部Member`s Card『第3回小津安二郎記念・蓼科高原映画祭』(2000年11月10日、「小津安二郎記念・蓼科高原映画祭」実行委員会)

シネマ倶楽部Member`s Card
第3回小津安二郎記念・蓼科高原映画祭の上映全作品を2名様まで鑑賞できます。
新星劇場(茅野市)の通常の上映映画を300円引きで鑑賞できます。
プレ上映会にご招待いたします。

特別鑑賞券『第3回小津安二郎記念蓼科高原映画祭 「生れては見たけれど」』(2000年11月12日、蓼科高原映画祭実行委員会)

第3回小津安二郎記念蓼科高原映画祭「生れては見たけれど」
やつがねホール

『キネマ旬報』No.2134(2000年11月15日発行、キネマ旬報社、210頁)

「20世紀の映画監督 日本篇 第2位 小津安二郎 53票」(22-23頁)
井上和男「小津映画の境地」(24-25頁)
久我美子・香川京子「日本の映画監督を語る➀ 激変する戦後の日本映画を優しく見つめて」(60-66頁)
 

吉村英夫『松竹大船映画 小津安二郎・木下恵介・山田太一・山田洋次が描く”家族”』(2000年11月30日発行、創土社、299頁)

「第二章 小津安二郎」(52―113頁)

『一個人』No.7(2000年12月1日発行、KKベストセラーズ、138頁)

「特集 小津安二郎の映画の『食』」(69―91頁)
貴田庄「小津安二郎監督が描いた昭和の『食』の風景」(70―71頁)
「小津安二郎が通った昭和の名店」(72―83頁)
「小津安二郎が愛した郷土の味」(84頁)
「小津安二郎が愛した宿」(85頁)
川本三郎「小津作品の家族たちが囲む卓袱台はささやかな幸福の象徴だった」(86―88頁)
「小津安二郎を読む」(89頁)
「小津安二郎の世界 VTR広告」(90―91頁)

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