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小津監督を巡る文献・資料

小津安二郎を巡る関連文献・資料

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1999年の関連文献・資料

1999
『映画学』第12号(1999年1月29日発行、映画学研究会、165頁)

中山信子「「反歴史」映画から「非歴史」映画へ-小津安二郎の変貌」(6-32頁)
 第一章 小津安二郎と時代
 第二章 小津安二郎の「反歴史」映画:『東京の合唱』、『生まれてはみたけれど』、『一人息子』
 第三章 小津安二郎の変貌
 第四章 「歴史」/「反歴史」/「非歴史」映画
 おわりに

 

 

貴田庄『小津安二郎のまなざし』(1999年5月10日発行、晶文社、312頁)

「1 編集」(15―27頁)
「2 コンティニュイティ」(28―48頁)
「3 ワン・シーン=マルチ・ショット」(49―66頁)
「4 オーバーラップとフェイド」(67―80頁)
「5 円環する映像」(81―92頁)
「6 ライカと写真集」(93―116頁)
「7 カラーフィルムと色彩」(117―133頁)
「8 構図主義」(134―149頁)
「9 小道具の遊戯」(150―161頁)
「10 遮られた遠近法」(162―175頁)
「11 肖像画とまなざし」(176―188頁)
「12 カーテン・ショット」(189―205頁)
「13 見た目のショット」(206―231頁)
「14 ロー・アングル」(232―252頁)
「15 移動撮影」(253―269頁)
「16 映画と文法」(270―286頁)
「終章 小津的であること」(287―295頁)
「注と参考文献」(296―305頁)
「あとがき」(306―307頁)
「小津安二郎フィルモグラフィー」(308―312頁)

『本の都』第七巻第六号通巻第七十三号(1999年5月17日発行、本の都社、12頁)

特集 小津安二郎のキネマ術
貴田庄「小津安二郎のキネマ術」(1-8頁)
※見出しは以下の通り。「『彼岸花』撮影中」、「『足に触った幸運』、「僕のコンティニュィティの実際」、「撮影と絵コンテ」、「不思議なコンティニュィティ」、「『東京物語』と『早春』」。

川本三郎『銀幕の東京 映画でよみがえる昭和』(1999年5月25日発行、中央公論新社、270頁)

「東京物語」(4―18頁)
※冒頭を引用する。「小津安二郎監督の「東京物語」は昭和二十八年(一九五三)に作られている(公開は十一月)。戦後の混乱期がどうにか終わり、徐々に日本の社会が落ち着きを取り戻してきたころである。なんといっても前年四月には対日講和条約が発効し、GHQ(連合国総司令部)は廃止、戦後の占領時代が終わり、日本が独立国家になったことが社会に明るさを与えていた。二十八年の七月には三年に及んだ朝鮮戦争が停戦した。「東京物語」の東京には当時のそんな明るさ、穏やかさが反映されている。そこにはもう「長屋紳士録」(昭和二十二年)で描かれたような焼跡(東京の築地あたり)も上野公園の浮浪児も出てこない。「風の中の牝雞」(昭和二十三年)で描かれた、女性が生活のために身体を売るという貧困の問題もない。」
「早春」(94―108頁)
※冒頭を引用する。「昭和三十一年に作られた小津安二郎監督の「早春」は、結婚して数年になる子どものいない夫婦(池部良と淡島千景)の倦怠期の心のすれちがいを描いている。この夫婦は大田区の蒲田に住んでいる。京浜東北線の蒲田駅と京浜急行の六郷土手駅に挟まれたあたり(大田区仲六郷)。小さな家が軒を並べる庶民的な町である。燐家の主婦、杉村春子が平気で勝手口から上がりこんできて、総菜のいただきものの礼をいい、器にほんのお礼とかりん糖を入れて返す。いたって気楽な住環境である。淡島千景のセリフに、”三ノ輪のおじさん”への家賃が滞っているとあるのを見ると借家のようだ。」

筑紫哲也『筑紫哲也の小津の魔法使い』(1999年7月20日発行、世界文化社、238頁)

「プロローグ 私にとって映画はコメのメシのようなもの」(6―7頁)
「”映画”を歩く デジタル小津安二郎展を訪ねて」(8―12頁)
「小津安二郎監督 架空 インタビュー対談 聞き手:筑紫哲也 小津映画に乾杯!」(13―35頁)
「小津安二郎監督作品リスト」(36―39頁)
「黒澤明と小津安二郎」(40頁)

『小津安二郎記念・蓼科高原映画祭』(1999年8月5日、「小津安二郎記念・蓼科高原映画祭」実行委員会)

小津安二郎記念・蓼科高原映画祭
蓼科の旨い空気が珠玉の小津作品を生んだ。

今年の夏蓼科高原は、”映画祭から音楽祭まで”愉しみ連続!

『小津安二郎記念・蓼科高原映画祭』(1999年8月5日発行、「小津安二郎記念・蓼科高原映画祭」実行委員会、14頁)

蓼科のうまい空気が、珠玉の小津作品を生んだ。
1999年8月5日(木)~8月7日(土)
ごあいさつ「柿沢拓、矢崎和弘、大谷信義、深作欣二」(1-2頁)
笠徹「日だまり 蓼科高原の笠智衆」(3-4頁)
「上映映画紹介 早春」(5頁)
「上映映画紹介 東京物語」(6頁)
「上映映画紹介 戸田家の兄妹、落第はしたけれど」(7頁)
「上映映画紹介 長屋紳士録」「酒蔵前夜祭 その夜の妻 活動弁士 澤登翠」(8頁)
「上映映画紹介 午後の遺言状」(9頁)
「上映映画紹介 小津と語る 東京画」(10頁)
「ゲストプロフィール 淡島千景、池部良、山内静夫、新藤兼人、深作欣二、斎藤武市、田中康義、川又昂」(11-12頁)
田中眞澄「酒の場面」(13頁)
青木富夫「突貫小僧と小津おやじ」(14頁)

『巨匠小津安二郎 東京物語と茅ケ崎館』(1999年9月25日発行、「巨匠小津安二郎 東京物語と茅ケ崎館」実行委員会、8頁)

「ごあいさつ」(0頁)
井上和男「小津安二郎と茅ケ崎館」(1頁)
「茅ケ崎館にて 野田高梧と」他(2頁)
「小津監督作品一覧」(3-4頁)
「小津安二郎略年譜」(5-6頁)
「巨匠小津安二郎 東京物語と茅ケ崎館」へご参加のみなさん」(7-8頁)
「あとがき」(9頁)

『キネマ旬報』No.2107 第1293号(1999年10月1日発行、キネマ旬報社、265頁)

「創刊80周年記念企画 映画作家は語る 小津安二郎 北野武」(67―90頁)
「小津安二郎 TBSラジオ「この道この人」(1961年放送)より」(68―73頁)
奥田均「小津安二郎の肉声」(74頁)

『アミューズ』第52巻第19号通巻2445号(1999年10月13日発行、毎日新聞社、112頁)

「名匠小津安二郎が愛した店」(37―51頁)
「これが噂のグルメ手帖」(38―39頁)
「銀座物語 竹葉亭、ルパン、伊勢廣、長門」(40―43頁)
「インタビュー 小津ハマさん」(44頁)
「あさゑさんの手紙が物語る小津監督母子の素敵な関係」(45頁)
「下町物語 蓬莱屋、笹巻けぬきすし総本店、羽二重団子、中清」(46―48頁)
「小津安二郎の東京”ロケハン”物語」(49頁)
「インタビュー 青木富夫さん」(50頁)
「小津監督が愛した宿 茅ケ崎館」(51頁)

中山信如『古本屋「シネブック」漫歩』(1999年10月31日発行、ワイズ出版、350頁)

「小津安二郎をめぐる本」(110-114頁)
「小津安二郎をめぐる本Ⅱ」(115-118頁)
「小津安二郎をめぐる本Ⅲ」(119-122頁)
「小津安二郎をめぐる本Ⅳ」(123-126頁)
「小津安二郎をめぐる本Ⅴ」(127-130頁)
「小津安二郎をめぐる本Ⅵ」(131-135頁)

『NFCニュースレター』第28号「特集:発掘された映画たち 1999」(1999年11月1日発行、東京国立近代美術館フィルムセンター編、東京国立近代美術館発行、16頁)

大場正敏「『発掘された映画たち』が意味するもの」(2頁)
佐伯知紀「発掘された映画たち 宇賀山コレクションと『滝の白糸』」(3‐5頁)
常石史子「和製喧嘩友達」(7頁)
※佐伯論文から宇賀山氏に関する部分を一部抜粋する。「③寄贈者について 宇賀山氏のお話によれば、これらのパテベビー・フィルムを集めたのは、父、宇賀山正範氏(1903~74)であった。‥宇賀山家は江戸時代の中頃から、塩沢で代々神職をつとめてきた家である。」つまり、「和製喧嘩友達」を土蔵で保管し、今に伝えてくれた宇賀山氏は、小津監督と同年齢であるということである。

園村昌弘原作・中村真理子作画『日本映画監督列伝①小津安二郎の謎』(1999年11月20日発行、小学館、346頁)

原作:園村昌弘、作画:中村真理子
原典:都築正昭、監修:小津家、協力:松竹株式会社
「第1話 謎の墓碑銘」(3―44頁)
「第2話 カツドウヤ」(45―70頁)
「第3話 己喜ちゃん」(71―94頁)
「第4話 揺れる葉鶏頭」(95―118頁)
「第5話 ワイラー幻想」(119―144頁)
「第6話 麥の穂」(145―168頁)
「第7話 東京物語秘話」(169―192頁)
「第8話 東京暮色秘話-大いなる挫折」(193―216頁)
「第9話 高橋無情」(217―241頁)
「第10話 高野行」(242―268頁)
「第11話 恋」(269―292頁)
「第12話 別れ」(293―316頁)
「最終話 ”無”発見」(317―341頁)
「番外編 あとがき」(342―347頁)
「協力者一覧」(349頁)

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