「晩春」(表紙)
「Retrospektive Yasujiro Ozu(2)」(4-6頁)
Dekigokoro, Ukikusa Monogatari, Tokyo no Yado, Hitori Musuko, Toda-ke no Kyodai, Chichi Ariki、Nagaya Shinshi-Roku, Kaze no Naka no Mendori, Ikite wa Mita keredo
上映スケジュール
1989年2月4日(土)20:00 Dekigokoro
2月5日(日)17:30 Ukikusa Monogatari
2月8日(水)15:30 Umarete wa Mita Keredo
22:00 Tokyo no Yado
2月12日(日)22:00 Hitori Musuko
2月14日(火)17:30 Hitori Musuko
2月16日(木)17:30 Toda-ke no kyodai
2月17日(金)20:00 Chichi Ariki
2月18日(土)17:30 Chichi Ariki
2月19日(日)22:00 Ikite wa Mita Keredo
2月21日(火)22:00 Nagaya Shinshi-Roku
2月22日(水)22:00 Kaze no Naka no Mendori
2月23日(木)17:30 Ikite wa Mita Keredo
2月24日(土)20:00 Kaze no Naka no Mendori
「第五章 小津安二郎との賭け」(131―157頁)
※「宗方姉妹」プロデューサーである児井の回想録
児井のために寄稿された文書(31本)をまとめた「児井さんへのラブコール」(私家版)とともに謹呈された。
独語・仏語・英語版 日本語訳別冊10頁
『東京画』からのカラー写真9葉(数寄屋橋風景、第一勧業銀行・ビックカメラ他、笠智衆、パチンコ・エスカレーター他、東京タワーミニチュアと公衆電話(黄・赤)、原宿で踊る若者、蟹と厚田雄春、監督墓とキャメラ他)
冒頭を引用する。
「もしわれわれの世紀が聖なるものにまだ場を与えるとすれば、映画の神殿を建てるとすれば、私は個人的にそこに日本の映画作家、小津安二郎の作品を置くだろう。彼は二十年代には無声映画を、三十年代、四十年代には白黒映画を、そして、1963年12月12日、60歳の誕生日に亡くなるまではカラー映画を、全部で54本の作品を撮った。」
「If in our century something sacred still existed…if there were something like a sacred tresure of the cinema,then for me that would have to be the work of the Japanese director,Yasujiro Ozu. He made fifty-four films. Silent films in the Twenties, black-and-White films in the Thirties and Fourties,and finally color films until his death on December 12th.1963,on his birthday.」
「目次」
「凡例」
「第Ⅰ章 昭和21(1946)年-昭和26(1951)年」(15‐110頁)
「第Ⅱ章 昭和27(1952)年-昭和29(1954)年」(111―222頁)
「第Ⅲ章 昭和30(1955)年-昭和33(1958)年」(223―314頁)
「第Ⅳ章 昭和34(1959)年-昭和37(1962)年」(315―408頁)
「終章 昭和38(1963)年」(409―423頁)
「追補」(424―426頁)
「註」(427―469頁)
「文献付記」(470―473頁)
「索引」(474―493頁)
「後記」
厚田雄春「序にかえて」(ⅰ‐ⅱ)
「Ⅰ 大震災で蒲田に行けた」(3‐22頁)
「Ⅱ 小津組キャメラ番の誕生」(23‐46頁)
「Ⅲ 小津安二郎と蒲田の仲間たち」(47‐78頁)
「Ⅳ 露出計もない修業時代」(79‐108頁)
「Ⅴ 日本軍占領地に英国国旗ひろがえる」(109‐138頁)
「Ⅵ 小津組の役者たち」(139‐172頁)
「Ⅶ お召列車に敬礼」(173‐202頁)
「Ⅷ 『お釜』と「蟹」のロー・ポジション」(203‐238頁)
「Ⅸ 真夏のロケ・ハン」(239‐266頁)
「Ⅹ ピーカンの光の中で」(267‐291頁)
「小津安二郎監督作品目録」(292‐300頁)
「厚田雄春撮影監督作品目録」(301‐310頁)
「おわりに」(311頁)
「あとがき」(312頁)
索引
蓮實重彦「映画に無が眩んで㊴「生きていてよかったと思いますよ」という厚田雄春の言葉はヴェンダースに捧げられた最上のオマージュである。」(266-269頁)
「イントロダクション」(2-3頁)
ヴィム・ヴェンダース「東京画」(4-5頁)
淀川長治「日本人が外国人の「東京画」を見るつもりが‥。」(6-7頁)
「WHO’S WHO」(8-9頁)
景山民夫「失われたものの意味」(10頁)
中野翠「二人の監督の才能」(11頁)
笠智衆「小津先生の思い出」(12頁)
厚田雄春「ヴェンダースさんのこと」(13頁)
「ヴィム・ヴェンダース フィルモグラフィー」(14-15頁)
「東京画」シナリオ採録(16-23頁)
「昭和天皇さまのこと」(1-17頁)
「大内山の狸」(19-26頁)
「紅売り」(27-33頁)
「映画メトロポリス」(35-41頁)
「新幹線レール捕り物帖」(43-49頁)
「便利で不便なこの頃」(51-58頁)
「右と左」(59-66頁)
「天安門広場は広い」(67-73頁)
「花のゆき」(75-81頁)
「子狸じゅんちゃん・猫嶽のこと」(83-92頁)
「遠い日の想い出」(93-159頁)
「想い出の写真」(161-180頁)
「あとがき」(181-183頁)
「日記抄」(5-74頁)
「小津安二郎をめぐって・PART1」
野田高梧「小津安二郎という男-交遊四十年とりとめもなく-」(76-84頁)
厚田雄春「ロー・ポジションの秘密」(85‐88頁)
八尋不二「祇園の一夜-小津さんのこと-」(89‐91頁)
伊藤大輔「石・紫蘇・など…」(92‐95頁)
「評論&ルポ」
新藤兼人「小津映画から何を学ぶか」(98‐110頁)
岩崎昶「小津安二郎と日本映画」(111‐122頁)
中川信夫「小津安二郎について」(123‐127頁)
飯田心美「ルポ 東京暮色と小津監督」(128‐129頁)
双葉十三郎「小津芸術の形式」(130‐134頁)
「小津安二郎をめぐって・PART2」
岸松雄「小津のごひいき俳優たち」(136‐143頁)
笠智衆「小津先生とわたし」(144‐145頁)
佐田啓二「老童謡『高野行』‐小津さんのこと」(146‐148頁)
「作品評」
「戸田家の兄妹」内田岐三雄「演出」、筈見恒夫「小津安二郎一つの成長」(150‐155頁)
「父ありき」飯島正(156‐163頁)
「風の中の牝鶏」北川冬彦・登川直樹(164‐166頁)
「晩春」清水千代太「世界無比の小津芸術」、清々しい生活「水町青磁」(167‐170頁)
「全自作を語る&批評」(171‐254頁)
「初出一覧」(255頁)
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