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小津監督を巡る文献・資料

小津安二郎を巡る関連文献・資料

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1958年の関連文献・資料

1958
『彼岸花』台本(1958年発行、松竹撮影所印刷部、114頁)

紐綴じ、発行日がないので、便宜的に撮影年とした。

『キネマ旬報』No.1009 第一九四号(1958年1月1日発行、キネマ旬報社、210頁)

表紙:シャーリー・ジョーンズ
「大根役者シナリオ 脚本:野田高梧、小津安二郎」(187―205頁)
小津安二郎「作者のことば」(189頁)

『映画評論』第十五巻第三號(1958年3月1日発行、映画出版社、166頁)

小津安二郎「石原裕次郎に想う」(談)
※「石原慎太郎君にはニ、三度会ったことがあるが、なかなか好青年だ。そこで、その弟裕次郎君について何か語れというのだが、実は彼の作品は一本も見ていないのだ。もっとも非常に関心は持っている。」

『中央公論』第73年第3號第837號(1958年3月1日発行、中央公論社、394頁)

岩崎昶「小津安二郎の芸術」(267―274頁)
※構成は、「1 彼の低い姿勢」、「2 彼と戦争」、「3 彼の開拓したもの」、「4 彼の追求するもの」、「5 怒りから嘆息へ」、「6 彼が壊すべきパターン」

『キネマ旬報』別冊 日本映画代表シナリオ全集②(1958年3月5日発行、キネマ旬報社、168頁)

「シナリオ 出来ごころ」(135-149頁)
池田忠雄「「出来ごころ」の頃」(137頁)
小津安二郎「モダンな庶民もの」(137頁)
小林勝「シナリオとその背景-収録シナリオ解説 出来ごころ」(167-168頁)

『キネマ旬報』別冊 日本映画代表シナリオ全集③(1958年5月5日発行、キネマ旬報社、192頁)

「シナリオ 限りなき前進」(39-55頁)
脚本 八木保太郎
原作 小津安二郎
監督 内田吐夢
内田吐夢「「限りなき前進」の思い出」(41頁)
八木保太郎「忘れられない作品」(41頁)
「シナリオ 戸田家の兄妹」(121-143頁)
池田忠雄「「戸田家の兄妹」の頃」(123頁)
小林勝「シナリオの歩んできた道ー収録シナリオ解説―限りなき前進」(189頁)
小林勝「シナリオの歩んできた道ー収録シナリオ解説―戸田家の兄妹」(191頁)

『OFUNA TIMES』No.144 91~3(1958年6月14日発行、松竹大船撮影所宣傳課、1頁)

「空前の三大女優の顔合せを中心に綴る 名匠小津安二郎監督初の色彩藝術大作! 
小津安二郎監督 演出に当って
有馬稲子 再び小津作品に出演して
山本富士子 他社出演の喜びと共に
久我美子 恐いような嬉しいような」

『キネマ旬報』No.1021 第二百六号(1958年6月15日発行、キネマ旬報社、152頁)

表紙:スージー・パーカー
「筈見恒夫君を悼む」(52―53頁)
「今日の傍訳5 笠智衆と演技の年輪」(67―70頁)
笠智衆「わたしと小津先生」(67―70頁)
筈見恒夫「笠智衆と平凡の強み」(68―69頁)

『OFUNA TIMES』No.148 91~4(1958年6月19日発行、松竹大船撮影所宣伝課、1頁)

「あっちこっち、眞ッ盛りの彼岸花で、それを見ているうちに、‥ちっとも悲しいわけじゃないんですけど、どうしてだか、へんに涙が零れちゃってね‥(小説”彼岸花”より) 車窓から眺めた彼岸花の風景は、人生流転の哀歓か‥ 彼岸花」

『OFUNA TIMES』No.152 92~4(1958年6月26日発行、松竹大船撮影所宣伝課、1頁)

「爽秋の銀幕に贈る名匠の色彩藝術大作! 彼岸花
佐分利信 実人生の父親に扮して
田中絹代 世の奥様方に御覧頂けるような
佐田啓二 十一年目の誇り
高橋貞二 巧まざるユーモアを
笠智衆  再び光栄に思うこと
桑野みゆき 小津先生はお優しい
渡辺文雄 初出演の興奮
浪花千栄子 勿体ないくらいの喜び」

『キネマ旬報』第208号通巻1023号 創刊四十年記念号①(1958年7月1日発行、キネマ旬報社、190頁)

飯田心美「日本映画を創った人々 小津安二郎」(64-65頁)
小津安二郎「私とキネマ旬報 重宝な記録」(79頁)

『OFUNA TIMES』No.154(1958年7月10日発行、松竹大船撮影所宣伝課、1頁)

「初の色彩作品に演出生活三十有余年の情熱を傾ける名匠ひさびさの芸術大作!
★珍しい三監督の競演?
★模範家庭さながら
★赤いヤカンの初演出記」

『キネマ旬報』臨時増刊 名作シナリオ集(1958年7月10日発行、キネマ旬報社、160頁)

「シナリオ 彼岸花」(9-30頁)
野田高梧「一言(六月十日記)」(11頁)

『毎日グラフ』第十一年第二十九号通巻四二九号(1958年7月13日発行、毎日新聞社、30頁)

表紙:中島淑恵
対談 小津安二郎・横山隆一「天下国家を論じ損なう」(18-19頁)
※「彼岸花」を撮影中の小津安二郎氏が、漫画映画「ひゅうたんすずめ」を製作中の横山隆一氏を、鎌倉のオトギプロ・スタジオに訪ねた。隆ちゃん、小津ちゃんと呼び合う、ごく親しい仲だ。まず、酒の話から始まる。小津「初めてカラー映画をとってみて、小道具にニセ物を使えないということを発見した。小津コレクションは全部出動したが、まだ足りない。絵にしても複製はだめだ。カラーで撮影することをすすめたのは、隆ちゃん、君が最初だったな。」

岩崎昶『日本映画作家論』(1958年7月20日発行、中央公論社、340頁)

「彼岸花撮影中の小津監督」「風の中の牝雞撮影中の小津監督」(グラビア15頁)
「十一 小津安二郎の芸術」(193-213頁)

『OFUNA TIMES』No.158 91~7(1958年7月26日発行、松竹大船撮影所宣伝課、1頁)

「親たち娘たちの愛の交錯を描く待望の名作!
選ばれた二新人、辰平から現代青年へ 佐田初出演で天晴れ及第、落涙場面を使い分ける有馬の好演」

『映画評論』第15巻第8号(1958年8月1日発行、映画出版社、154頁)

ドナルド・リチイ{日本の伝統-小津安二郎論―」(42-46頁)

『映画ファン』第18巻第8号通巻第205号(1958年8月1日発行、映画世界社、220頁)

「シネスコ★小津安二郎監督”彼岸花”の三人」(7頁)

『Shochiku Reports No.29』(1958年発行、松竹株式会社、8頁)

表紙:彼岸花

『Shochiku Reports No.30』(1958年発行、松竹株式会社、6頁)

裏表紙:彼岸花

暑中見舞い葉書『彼岸花』(1958年8月発行、松竹株式会社九州宣伝課、1頁)

「暑中お見舞申し上げます アグファカラー総天然色 彼岸花」

『キネマ旬報』No.1026 第二一一号(1958年8月1日発行、キネマ旬報社、150頁)

表紙:パイパー・ロウリー
「一面広告 彼岸花」(68頁)
「編集室」(150頁)
※「岩崎、飯田両氏とともに、「彼岸花」撮影中の小津安二郎監督を大船にたずねる。‥」

野田高梧・小津安二郎『シナリオ文庫・55 映画シナリオ 彼岸花』(1958年8月5日発行、映画タイムス社、50頁)

表紙:有馬稲子
グラビア「平山・幸子(佐分利信・山本富士子)、「長沼・文子(渡辺文雄・久我美子)(1頁)
グラビア「平山・河合・堀江(佐分利信・中村伸郎・北竜二)」、「幸子(山本富士子)」、「久子(桑野みゆき)」(2頁)

「解説」(6‐7頁)
「彼岸花ものがたり」(8‐9頁)
塙英夫「シナリオ『彼岸花』を読んで」(10‐11頁)
「スタッフ」(11頁)
「シナリオ彼岸花」(12‐49頁)
「広告・奥付」(50頁)
※小津安二郎「演出について」(5頁)の冒頭を引用する。「今度はじめてのカラー作品で、また暫らくぶりに原作ものを手がけるのだが、ぼくは昔から今度の原作者里見先生の愛読者で、従来のぼくのオリジナルものには度々ヒントを頂いていた位だ。」

『Shochiku Reports No.31』(1958年発行、松竹株式会社、6頁)

表紙:彼岸花

『週刊朝日』第63巻第33号通巻2029号(1958年8月10日号、朝日新聞社、86頁)

小津安二郎「母を語る20 ここが楢山」(46頁)
※一部抜粋する。「母は明治八年生まれ。三男二女ををもうけて、僕はその二男に当る。他の兄妹は、それぞれ嫁をもらい、嫁にゆき、残った母と僕との生活が始まってもう二十年以上になる。一人ももの僕の処が居心地がいいのか、まだまだ僕から目が離せないのか、それは分からないが、とにかく、のんきに二人で暮している。」

『キネマ旬報』No.1027 第二百十二号(1958年8月15日発行、キネマ旬報社、150頁)

表紙:クリスティーヌ・キャレル
「鼎談 酒は古いほど味がよい『彼岸花』のセットを訪ねて 小津芸術を訊く 小津安二郎、岩崎昶、飯田心美」(44―49頁)
※有名な小津監督の言葉「なんでもないことは流行に従う、重大なことは道徳に従う。芸術のことは自分に従う。」が、岩崎や飯田が小津監督に大型スクリーン(ワイド)やパンを何故やらないのかを聞いた返答として発せられた。
具体的には、「性に合わないんだ。ぼくの生活条件として、なんでもないことは流行に従う、重大なことは道徳に従う。芸術のことは自分に従うから、どうにもきらいなものはどうにもならないんだ。だからこれは不自然だと云うことは百も承知で、しかもぼくは嫌いなんだ。そう云うことはあるでしょう。嫌いなんだが、理屈にあわない。理屈にあわないが、嫌いだからやらない。こういう所から僕の個性が出て来るので、ゆるがせにはできない。理屈にあわなくてもぼくはそれをやる」と続く。

里見弴『彼岸花』(1958年8月30日発行、角川書店、223頁)

「彼岸花」(5―56頁)
「山小屋」(57―81頁)
「臥柳自生枝(ぐわりうおのづからえだをしやうず)」(83―100頁)
「ノイローゼ」(101―129頁)
「火蛾(ひとりむし)」(131―164頁)
「薄れ行く燈」(165―176頁)
「原田文書に関する記録」(177―219頁)
「あとがき」(220―223頁)
※あとがきより一部抜粋する。「小津安二郎、野田高梧の両君は、私の親しい友達だが、二十年来、原作のあるなしに拘らず、映画のシナリオを合作して、世に「名コンビ」と謳われているし、現にまた、数か月間も旅館に起居を共にしながら、仕事に勤しんでをられるところへ、心なくもお邪魔に罷り出たこともある。が、依然として共同制作の骨法は、私には不可解なものだった。ところが、それこそ「不思議な御縁」とでも言はうか、今年の正月、小津君から、私の原作を映画にしたい、との申出があり、それならば著作のあれこれを詮議するより、いっそ映画化されることを意識して、新たに一作を書きおろさうではないか、との相談が一決し、早速、小津、野田両君と三人で湯河原に滞在し、どうやらおほあらましの筋が立って、嘗てはゴンクール兄弟を不思議がった私自身が、思ひがけなくもその轍を踏むことになった。もっとも、両君は両君で、初めからシナリオを作る気だし、私は私で、ぼぼ似たような筋の小説を書けばいいので、正確な意味での合作とは言へないが。こんな経緯があって、私の作としてはいくぶん毛色の変ったこの作品が出来上がったので、だいぶ両君のお知恵もはいっているわけだ。この作品が、そういふ制約の下に、多少なりとも歪められているかどうか、そこは読者のご判断に任せる。昭和三十三年六月號の文藝春秋に発表。」

スピードポスター『彼岸花』(1958年9月、松竹株式会社)

日本映画最高の豪華顔合せ!
原作 里見弴 脚本 野田高梧・小津安二郎
名匠小津安二郎監督の香り高き名作!
アグファカラー・総天然色
彼岸花
平和な家庭に思わぬ波紋を投げた娘の結婚問題!
スタッフ、キャスト、物語、解説
小津安二郎「演出に当って」
宣伝文案、放送原稿

『彼岸花』(1958年9月、東京映画宣材株式会社)

松竹映画 彼岸花 小津安二郎監督 総天然色アグファカラー 芸術祭参加作品
 
362×510

『彼岸花』(1958年9月、興芸社)

松竹映画 監督・小津安二郎 原作・里見弴 彼岸花
小津安二郎監督が日本一の最高配役で描く初の総天然色大作
410×510

プレスシート『彼岸花』(1958年9月、松竹株式会社中部支社)

三大女優はじめ日本映画最高の顔合せで贈る名匠小津安二郎監督の女性大作!
昭和三十三年度芸術祭参加作品 アグファカラー総天然色
彼岸花
かいせつ、スタッフ、キャスト、ものがたり
小津安二郎「演出に当って」
文案、放送原稿、配列表

スピードポスター『彼岸花』(1958年、飯劇)

総天然色 彼岸花
名匠小津安二郎監督が描く香り高き文芸大作!

『SHOCHIKU MOVIE PHOTO NEWS 写真ニュース 彼岸花』(1958年、松竹株式会社)

日本映画、最高の豪華配役!!名匠小津安二郎監督が贈る香り高き待望の名作!
写真10葉

『キネマ旬報』No.1028 第二一三号(1958年9月1日発行、キネマ旬報社、150頁)

表紙:コニー・スティーブンス
特別口絵「里見弴原作『彼岸花』の小津組」(8頁)
新作グラビア「彼岸花 小津安二郎作品」(26-27頁)
※スチル写真5カット、うち3カットに小津監督。

『キネマ旬報』別冊 日本映画代表シナリオ全集➄(1958年9月5日発行、キネマ旬報社、176頁)

「シナリオ 父ありき」(105-118頁)
脚本 池田忠雄。柳井隆雄、小津安二郎
監督 小津安二郎
池田忠雄「「父ありき」の頃」(109頁)
柳井隆雄「「父ありき」ぜんご」(109頁)
小林勝「名作とその時代-収録シナリオ解説ー父ありき」(174-175頁)

『彼岸花』(縮刷シナリオ)(1958年9月7日発行、松竹株式会社、38頁)

二段組、発行日がないので、封切日とした。

『彼岸花 完成記念特別招待試写会(東京劇場)』(1958年9月6日発行、松竹株式会社、8頁)

1958年9月6日午后6時30分開場、東京劇場、完成記念特別試写会配布時八折パンフレット
表紙:有馬稲子、山本富士子、久我美子
「日本映画界最高の顔合せ! 有馬稲子「再び小津作品に出演して」、佐田啓二「十一年目の誇り」、佐分利信「実人生の父親に扮して」、田中絹代「世の奥様方にご覧頂けるような」、桑野みゆき「小津先生はお優しい」(2頁)
「解説、スタッフ、キャスト、物語、珍しい三監督の競演?、落涙場面を使い分ける有馬の好演、辰平から現代青年へ、ドーランも汗でおちる真夏の結婚式、佐田初出演で天晴れ及第、佐分利、田中の落ち着いた味、ロケを喜ぶ桑野、本建築さながらの平山家セット、山本富士子、立派に他社初出演を果す!、入念な小津演出を原作者里見弴氏二時間に亘って見学」(3-6頁)
久我美子「恐いような嬉しいような」、高橋貞二「巧まざるユーモア」、山本富士子「他社出演の喜びと共に」、浪花千栄子「勿体ないくらいの喜び」、渡辺文雄「初出演の興奮」、笠智衆「再び光栄に思うこと」(7頁)
小津安二郎監督「演出に当って」、贋物は一切オフリミット総額二千万円を超える書画骨董(8頁)

特別割引優待券『彼岸花』(1958年9月7日、築地東宝映画劇場)

「松竹会館二周年記念 サービス月間 全プロ新作揃い!9月の松竹映画」

『彼岸花』(1958年9月7日発行、松竹株式会社、9頁)

表紙:山本富士子、有馬稲子、久我美子
「スタッフ、キャスト、解説、物語」(1頁)
裏表紙:佐田啓二、有馬稲子

『彼岸花』(1958年9月7日発行、松竹株式会社、6頁)

表紙:山本富士子、有馬稲子、久我美子
「スタッフ、キャスト」(1頁)
「解説」(2頁)

『松竹NEWS 彼岸花』(1958年9月7日発行、松竹株式会社、6頁)

「スタッフ、解説」(1頁)
小津安二郎「演出に当って」、有馬稲子「再び小津作品に出演して」、山本富士子「他社出演の喜びと共に」、久我美子「恐いような嬉しいような」、佐分利信「実人生の父親に扮して」、田中絹代「世の奥様方にご覧頂けるような」(5頁)
佐田啓二「十一年目の誇り」、高橋貞二「巧まざるユーモア」、笠智衆「再び光栄に思うこと」、桑野みゆき「小津先生はお優しい」、渡辺文雄「初出演の興奮」(2頁)
「キャスト、物語」(3-4頁)
発行日がないので、封切日とした。

『TOKYO GEKIJO No.155 彼岸花』(1958年9月7日発行、松竹株式会社事業部、12頁)

表紙:山本富士子、有馬稲子、久我美子
表紙裏:小津安二郎「演出に当って」
「グラビア」(1頁)
「STORY OF THE LYCORIS(HIGANBANA)」(2頁)
「スタッフ、キャスト」(3頁)
「解説、物語」(4頁)
有馬稲子「再び小津作品に出演して」、山本富士子「他社出演の喜びと共に」、久我美子「恐いような嬉しいような」、佐分利信「実人生の父親に扮して」、田中絹代「世の奥様方にご覧頂けるような」(5頁)
佐田啓二「十一年目の誇り」、高橋貞二「巧まざるユーモア」、笠智衆「再び光栄に思うこと」、桑野みゆき「小津先生はお優しい」、渡辺文雄「初出演の興奮」(6頁)
「脚本ぬきがき集」(7-8頁)
「小津安二郎の輝く足跡」(9頁)
東劇支配人「随想散筆―名匠気質のことなど~彼岸花完成記念ロードショウに当って-」(10-11頁)
発行日がないので、封切日とした。

『松竹宣伝ガイド』No.21(1958年9月9日発行、松竹株式会社宣伝部)

「明るく楽しく、香り高く感動させる 小津名匠の『彼岸花』俄然好調ベストワンの呼び声高し」速報第一報
待望の大船作品、名匠小津安二郎監督初のカラー作品「彼岸花」は実に百四日の撮影日数を要して九月五日夜完成を見ましたが、六日夜七時からの東京劇場での「完成記念特別招待試写会」は満員の招待客全てを楽しませながら深い感動を与え、次いで翌七日の「完成記念特別ロードショウ」(同劇場)では、九時三十分の打ち込み前に約百五十米の長蛇の列を組むという、すばらしい好調ぶりを見せ、秋映画シーズンの劈頭を飾る名作として、本年度ベストワンの呼び声が次第に高まっています。
☆完成記念特別試写会
☆完成記念特別ロードショウ
☆文部省(選定)、東京都教育庁(特選)に、九月六日夜文部省選定(青年成人向)九月八日東京都教育庁(特選―成人向、選定―青年向)が決定した。
☆知名士、評論家から絶賛の嵐、次のような讃辞が集まったが、なお引き続き各方面より寄せられますので、続報します。
志賀直哉「小津君の映画は台詞も映画も折目正しくきちんと整っていて気持ちがいい。今度は特にそれを感じた。色はどぎついのをさけているが、こういうのが却って本当の色彩映画だという気がした。]

小中学生割引券・父兄割引券『彼岸花』(1958年9月13日、名古屋松竹)

「親と娘の愛情の交流を描いて全篇ユーモアと感動の流麗名画!
名古屋市映画放送教育研究会選定 文部省選定 彼岸花」

『彼岸花』(1958年9月14日発行、立川松竹、両面)

「日本映画、再考の豪華配役!!名匠小津安二郎監督が贈る香り高き待望の名作!
彼岸花」
「演出に当って 監督小津安二郎 スタッフ、キャスト、物語」

『全映座 彼岸花』(1958年9月14日発行、全映座、1頁)

「空前の豪華配役で贈る香り高き最高名作! 名匠小津安二郎監督 彼岸花」

前売鑑賞券『彼岸花』(1958年9月14日、松竹聚樂舘)

「御招待券 松竹全プロ新作2本立公開記念 100万円の豪華賞品が当る 彼岸花」

学生団体御鑑賞券『彼岸花』(1958年9月14日、松竹聚楽館)

「名匠小津安二郎監督初の色彩文芸超大作! 総天然色 彼岸花」

『松竹会館開場二周年記念特別披露公開冊子』(1958年9月14日発行、松竹株式会社、24頁)

表紙:彼岸花
「彼岸花 解説」(2頁)
小津安二郎監督「演出に当って」有馬稲子「再び小津作品に出演して」、山本富士子「他社出演の喜びと共に」、田中絹代「世の奥様方にご覧頂けるような」笠智衆「再び光栄に思うこと」(3頁)

『毎日グラフ』第十一年第三十八号通巻第四三八号(1958年9月14日発行、毎日新聞社、30頁)

表紙:藤里美保
「映画 彼岸花」(24-25頁)
※スチル7枚(うち1枚小津監督演出風景)

『松竹大阪支店宣伝至急報』(1958年9月16日発行、松竹大阪支店)

松竹躍進の大攻勢成る!
彼岸花に凱歌挙る 封切全館驚異の超記録!
 九月十四日、「彼岸花」は待望の初日を迎えました!封切各館は一斉に早朝会場で蓋をあけましたが、開場を待ち兼ねた観客は、あたかも堰を切った怒涛の如く殺到!どんどん詰めかけるファンは最終回まで引きも切らず、場内を埋め尽くした観客の感激のどよめき、館を取り囲んだ入場を急ぐファンの歓声、この日、松竹封切全館の場内外は恰も正月興行を思わせる空前の大当たり景気が爆発しました!
 観客は女性が圧倒的ですが、テーマの結婚問題、父親の心理が関心をよんで男性も多く、女性六〇%、男性四〇%という比例がみられ、男性観客にも吸引力を持つことが立証されました。小津作品の性格上、観客の年齢は比較的高く、封切宣伝では、溌溂たる若さ、愉しい明るさを大いに売りましたが、この点、若い年齢層への宣伝にも特に今後ご注意ください。

『荻窪松竹』No.38(1958年9月発行、荻窪松竹、4頁)

「彼岸花」(1頁)
「彼岸花 スタッフ、キャスト、物語」(2頁)

『映画評論』第15巻第10号(1958年10月1日発行、映画出版社、158頁)

佐藤忠男「第一線監督論」(24-27頁)
※冒頭を引用する。「小津安二郎の『彼岸花』に、随分下卑たセリフがある。「お手洗い」などという言葉が何度も繰返され、そのたびに客を笑わせているのもどうかと思うけれど、男の方が強いと女の子が生まれ、女の方が強いと男の子が生まれる、などという会話を”ギャグの三段返し”で繰返し笑いのタネにつかっているのもいい気なものだなあと思う。勿論、我々誰しも、日常もっと猥雑な話をしている場合が多いから、会話の卑俗さそれ自体は大して問題ではないが、我々なら、そういう卑俗な話題の通じる仲間同志の解放された雰囲気を一生懸命享受しようとして、ついぶざまに表情を崩したり、下卑た口調になったりするところを、この映画では、ひどくおおように紳士然と構えた連中が、もっともらしい態度のまま、ろくに表情も動かさずに話し合っているために、なんとなく、通人、あるいは粋人の会話といった感じになる。そこで観客は、日頃自分たちが、いくぶん後ろめたい感じで喋っている程度の話題や趣味のままで、通人で物分かりのいいお金持ちたちのサロンに、さあさあどうぞ、と気易く招待されたような気分になり、なんとなくなごやかで幸福なみたいな気持になってしまう。」
酒井章一、村松剛「『彼岸花』をめぐって」(58-61頁)

『文藝春秋』第三十六巻第十二號(1958年11月1日発行、文藝春秋新社、354頁)

小津安二郎「映画界・小言幸兵衛-泥棒しても儲ければよいが困る!!-」(268―273頁)
※見出しを抜き出す。「阿保が監督しても客は来る」、「子供と一緒に見られる映画」、「新人の持つ新鮮さ」、「アテにならない人気」、「参考にならない映画評」

『キネマ旬報』No.1032第二一七号(1958年11月1日発行、キネマ旬報社、150頁)

表紙:キャスリーン・ギャラント

飯田心美「「東京物語」受賞の吉報」(35頁)冒頭を抜粋する。「十月十四日ロンドンからの通信によると日本映画「東京物語」が過去一年間に英国の国立映画劇場で上映された映画のうちの最高として英国映画協会から賞牌をさずけられた由である。「東京物語」はいうまでもなく小津監督が一九五三年に発表した作で東京に世帯をもつ子供たちのくらしぶりを見にはるばる田舎から出てきた老夫婦が失望して帰ってゆく話だ。Their First Trip to Tokyoという英文題名のもとにロンドンで公開された小津一流の心境描写が理解されないのではないかという日本側の心配をよそに英人観客に強くアッピールしたらしい。」

葉山暎「旬報論壇 「彼岸花」と小津様式」(70-77頁)冒頭を抜粋する。「「彼岸花」は大変世辞を呼んで、ふだん余り映画を観ない人でも、この映画を観ないでは、何か茶飲話の仲間にはいれないような錯覚をおこしていそいしと映画館に行っているようである。観た人の話をきくと「大変いい」ということだ。「大変いい」と言うのだから「どこが?」とこちらもつい訊いてみたくなる。答えは一様に筋書を話してその後に娘を手離す親の気持ちが分かるような気がする‥‥といったていどのことで、三十位の女の人なら山本富士子の美しさ、とりわけ着物を問題にしている。手機(てばた)紬による藍色の弁慶格子、八かけにエンジの錦紗、帯はザックリした紬地の名古屋、色は八かけと同じエンジ、素晴らしいわ‥‥といった話。三十位のサラリーマンはあの格調高い渋さが、とてもいいという。なるほど「格調高い」という言葉はキャッチフレーズにもあったが、いったい「格調高い」ということはどんなことなのだろう。その他「よかったけれど生活がない」とか「もう少し娘の気持ちになったらどうか」とか「キャメラ・ポジションが低いんだわ」と今更のように言う人もいて、だいたい世辞は常識の域を出ないことを知り、かつそんなものかなと自分自身に問を発した。

『毎日グラフ』第十一年第四十八号通巻第四四八号(1958年12月23日発行、毎日新聞社、30頁)

表紙:高千穂佑子
「人間模様 紫綬褒章を受章して 小津安二郎氏(54)」(21頁)
※「こんどの受賞は、まったく寝耳に水で、いままで何の話もありませんでした。受賞に値するような仕事はあまりやっていませんし、受賞したからといって、これ以上の作品はできるわけでもありません。まったく、恥かしいような気持ちです。皮肉で言っているのでは、ありませんよ。映画界でだれがこういう賞をもらったか、はっきりした記憶はありませんが、僕より先輩諸公がたくさんいますからね‥。」同時に、衣笠貞之助監督(62)も紫綬褒章を受章した。

『キネマ旬報』No.1036臨時増刊「目で見る日本映画の六十年 グラビア特集」(1958年12月25日発行、キネマ旬報社、192頁)

「大学は出たけれど」(59頁)
「お嬢さん」(61頁)
「東京の合唱」(70頁)
「淑女と髯」(71頁)
「生まれては見たけれど」(72頁)
「出来ごころ」「また逢う日まで」(73頁)
「出来ごころ」(76頁)
「浮草物語」(79頁)
「東京の宿」(81頁)
「一人息子」(86頁)
「淑女は何を忘れたか」(92頁)
「戸田家の兄妹」(107頁)
「長屋紳士録」(126頁)
「風の中の牝鶏」(129頁)
「晩春」(133頁)
「宗方姉妹」(137頁)
「麦秋」(140頁)
「お茶漬の味」(146頁)
「東京物語」(150頁)
「早春」(169頁)
「彼岸花」(175頁)

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