全国小津安二郎ネットワーク

小津監督を巡る文献・資料

小津安二郎を巡る関連文献・資料

全て見る(2088件)

1957年の関連文献・資料

1957
『東京暮色』台本(1957年発行、松竹撮影所印刷部、124頁)

紐綴じ、発行日がないので、便宜的に封切年とした。

菅原通濟『ほど・ほど』(1957年発行、常盤山文庫出版部、231頁)

「”東京暮色”(マージャン屋にて)」、「”東京暮色”の出を待つ菅原通濟と有馬稲子」冒頭写真(1―2頁)
「小津長屋」(56―60頁)
※冒頭を引用する。「小津映画のよさは、一家揃って愉しめるところにある。それも、音もなく流れる大河に水鳥がおりたって、面白おかしなかっこうで、狂い遊んでるような図で、鰐が飛び込んだり、河童が首を出すわけではない。庶民のありきたりの日常の生活のなかに、云い知れぬ愉しさをさがし求め、庶民とと共に愉しむので、それが為めには、撮影する者も、俳優も、作者も、共に愉しむのが小津映画である。そこには、ケレンもなければハッタリもない。ましてや何とか賞を求めるでなし商売ケも何もない。芸術作品だ、なんて云われるのは周囲のものが勝手につけたお題目で、だしのいい味噌汁で御飯をよくかみしめながら食う甘い味である。」

『キネマ旬報』No.983 第一六八号(1957年2月1日発行、キネマ旬報社、266頁)

表紙:ナタリー・ウッド
「キネマ旬報1956年度内外映画ベスト・テン 第6位 早春」(36-38頁)
「映画人と家庭 小津安二郎」(79頁)
※コタツで談笑する小津安二郎と母、コタツの上に、東裁の湯飲み二つ、壁に小林古径の鮒の絵が掛けてある。
「シナリオ 東京暮色」(171-191頁)
「キネマ旬報ベスト・テン30回特別グラフィック」(197-225頁)
「キネマ旬報ベスト・テン一覧表」(229-237頁)
※224頁に監督別キネマ旬報ベスト・テンが掲載されている。小津監督は1位が6本の断トツ。
小津安二郎「あの日あの頃」(249頁)

『速報 東京暮色』(1957年、松竹株式会社)

速報 東京暮色
日本映画を代表する最高スタアを揃えて
名匠小津安二郎監督が
親と子の愛情の絆を通して
人生哀感の姿を描いた感動の名篇!

『OFUNA TIMES』No.50~1(1957年2月5日発行、松竹大船撮影所宣伝課、1頁)

「名匠小津安二郎監督が日本映画を代表する最高スタアを揃えて親と子の愛情のしがらみを哀歓こめて描く 感動の名篇 東京暮色 撮影始まる」
ショートストーリー

『OFUNA TIMES』NO.50~2 TOTAL No.16(1957年2月11日、松竹大船撮影所宣伝部)

小津安二郎監督が豪華最高配役を揃えて哀感をこめて描く感動作
スタッフ、キャスト、解説、ものがたり

『キネマ旬報』No.985 第一七〇号(1957年3月1日発行、キネマ旬報社、154頁)

表紙:マーサ・ハイヤー
「キネマ旬報一九五六年度ベスト・テン表彰式」(8頁)
※「1月25日、築地東劇においてキネマ旬報ベスト・テン表彰式及び30回記念式典が盛大に行われた。」小津監督のキネマ旬報ベスト・テン三十回記念の盾の画像あり。
飯田心美「『東京暮色』と小津監督」(42-43頁)
※小津監督と飯田心美のツーショット写真あり。
「キネマ旬報一九五六年度ベスト・テン表彰式祝賀会」(54-55頁)
※「津村秀夫、高峰秀子、田中絹代、小津監督」(54頁)、「津村秀夫、木下恵介、小津監督、キネ旬大橋社長」(55頁)のショット

野田高梧・小津安二郎『シナリオ新書・21 松竹映画シナリオ 東京暮色』(1957年3月10日発行、映画タイムス社、79頁)

表紙:原正治郎
スチル写真「孝子・原節子と明子・有馬稲子」、「浦邊粂子」、「原節子・有馬稲子」、「田中春雄」、「有馬稲子、田浦正巳」、「笠智衆、山村聡」、「高橋貞二、有馬稲子、須賀不二夫、長谷部朋香」、「野田高梧」、「有馬稲子の化粧を直す小津安二郎監督」
中表紙(1頁)
「かいせつ」(3-4頁)
「小津安二郎の作品、野田高梧の作品」(5頁)
「スタッフ」(6頁)
「キャスト」(7頁)
「シナリオ 東京暮色」(8-79頁)

栞「東京暮色」(1957年、松竹映画)

名匠・小津安二郎監督作品
脚本 野田高梧・小津安二郎
裏面 時間割(曜日/時間)明るく楽しい松竹映画

『キネマ旬報』No.986 第一七一号(1957年3月15日発行、キネマ旬報社、146頁)

表紙:ホープ・レンジ
「特別口絵 華燭の典を挙げた佐田啓二さん」(8頁)
※「左より、木下恵介、新郎、新婦、小津安二郎、佐野周二夫妻の諸氏」

『松竹社報』第84号(1957年4月発行、松竹株式会社調査室、16頁)

表紙:松竹春期超大作「東京暮色」撮影中の一コマ。有馬稲子(左)に演技をつける小津安二郎監督(左)
「ゴールデンウイークを席捲する巨編 東京暮色」(8頁)

『東京暮色』(縮刷シナリオ)(1957年4月30日発行、松竹株式会社、27頁)

三段組、発行日がないので、封切日とした。

『松竹映画超特作 東京暮色』(1957年、松竹株式会社)

構想一年余!感動胸を打つ映画芸術の真髄!
名匠小津安二郎監督作品 東京暮色
解説、ストーリー、スタッフ、キャスト

SHOCHIKU NEWS PHOTO NEWS写真ニュース「東京暮色」(1957年、松竹株式会社)

508×725㎜
構想年余!全映画界の注視を集める小津芸術の真髄!
名匠小津安二郎監督作品 東京暮色
母の過ちが娘に残した暗い心のかげ!子の孫の倖せゆえに孤独の人生を歩む父の姿!

画像は、左上の一部

マッチラベル『東京暮色』(1957年、松竹遊楽座)

父と娘の情愛と人生の哀歓が胸をうつ最高芸術大作!
名匠小津安二郎監督の正調大船調!
2日封切
裏「寿司 ラーメン 出前迅速 二河屋食堂部 美唄市我路 北酸のプロパンガス」

『東京暮色』(1957年4月30日発行、新世界芸能社、6頁)

表紙:原節子、有馬稲子、高橋貞二、山田五十鈴、笠智衆、田浦正巳、杉村春子、山村聰
「解説」(1頁)
「小津安二郎監督が豪華最高配役を揃え哀歓こめて描く感動作 スタッフ、キャスト」(2頁)
「東京暮色の話題を追って 一月二十二日から三月十六日」(3-4頁)
「ものがたり」(5-6頁)
裏表紙:ヨウモウトニック広告

『松竹NEWS 東京暮色/折鶴さんど笠』(1957年4月30日発行、松竹株式会社、8頁)

小津安二郎「正調の大船調を」(2頁)
「劇を織る人々、有馬稲子、原節子、山田五十鈴、高橋貞二、田浦正巳、杉村春子、山村聰、笠智衆」(2-3頁)
「スタッフ、キャスト、あらすじ」(4-5頁)

『東京暮色』(1957年4月30日発行、松竹株式会社東京支店邦画部宣伝課、10頁)

表紙:原節子、有馬稲子
「スタッフ、解説、物語」(1-2頁)
「正調の大船調がこれだ 世間の批判に応える小津監督」(3頁)
「日本映画の良識と謳われる 小津芸術の輝かしき系譜 キネマ旬報ベストテン入選一覧表」(4頁)
「今までにない劇的要素を盛り込んだ小津芸術 グラビア8カット」(5-6頁)
「じっくり腰を据えた小津監督! 有馬・原の初顔合せ セリフのやり直し二十回、映写3分間の場面も2日間がかり 全快の山田五十鈴も大張り切り 緊張で体がふるえる」(7-8頁)
「撮影余話 ネコちゃんがコップ酒 志賀氏セット訪問 麻雀出来ぬ麻雀狂」(9頁)
広告「西田工学工業(ウェスタ―オートロール)」「小田急 新緑割引」(10頁)
裏表紙:続く大作、傑作陣!

見開き前売券『東京暮色』(1957年5月1日、松竹株式会社)

見開き前売券『東京暮色』
同時上映『折鶴さんど笠』
キャスト、ストオリイ

『上野松竹ニュース』No.174(1957年5月1日、上野松竹)

上野松竹ニュースNo.174 東京暮色
物語り、スタッフ、キャスト
小津安二郎「正調の大船調を」

『平凡』第十三巻第七号(1957年5月5日発行、平凡出版、314頁)

「おめでとう 佐田啓二さん」(29-31頁)
※「女房の方はもういりませんが、演技賞は何度もらってもよろしいから皆さんのご指導よろしきを得て‥」仲人役の小津安二郎監督がユーモアたっぷりに新郎を紹介すれば、佐田新夫妻も、お仲人の木下監督も何となく照れくさそう」(31頁)
「スタジオ告知版『東京暮色』」(51頁)
「ゴールデン座談会 3つの結婚」(津島恵子、佐田啓二、岸恵子)(154-161頁)

特別団体割引券『東京暮色』(1957年5月15日、シネマパレス)

特別団体割引券 東京暮色
名匠小津安二郎監督作品
構想一年余!感動胸うつ映画芸術の真髄!
「東京物語」から「東京暮色」へ是非見たい小津作品

『読売報道写真集1957』(1957年5月15日発行、読売新聞社、136頁)

「佐田啓二 恋のクランク・アップ 2月28日」(19頁)
※「31年度のブルー・リボン賞男優主演賞をとった松竹大船の二枚目佐田啓二(31歳)は、恋仲の撮影所レストラン”月ヶ瀬”の娘杉戸益子さん(28歳)と結婚、仲人は小津・木下の両独身監督」

『NAMIKI-ZA』Weekly No.164(1957年6月4日発行、銀座並木座、4頁)

小津安二郎「正調の大船調を」(1頁)
「東京暮色 松竹大船作品 昭和32年5月1日封切
 物語、スタッフ、キャスト」(2-3頁)
「解説 期待される小津芸術」(3頁)

『特集文藝春秋 映画讀本』(1957年6月5日発行、文藝春秋新社、228頁)

表紙:山本富士子(撮影:木村伊兵衛)
津村秀夫「批評家雑記帳」(106―109頁)
※一部抜粋する。「ハムの贈り主 戦後の小津安二郎と野田高梧は毎年一作のシナリオを製作するのに茅ケ崎の旅館に陣取って書くのを常としているが、数年前の『東京物語』の時は、誘われるままに、わたくしも陣中見舞に行った‥。五月だというのに、二人は汚い部屋でコタツにあたって向かい合い、しょんぼりしていた。この陽気にコタツとは、風邪でも引いたのかというと、‥。いや、このコタツには火が入っていないという。」(108―109頁)
山本嘉次郎「情炎の男・英パン忠魂碑」(180―186頁)
※一部抜粋する。「斎藤達雄が、長いアゴをしゃくりながら、相槌を打った。「私も英パンさんとは、松竹蒲田時代、小津さんの写真で、よく、おつきあい(共演)をしたんでしたが、あの天下一品ウルサイ小津さんが、英パンさんの演技については、何ひとつ、コレポッチもいわないんですからな。小津さんがいってました。英パンって、オレの考える以上のことを演るんだ。畜生!と思ったことが、ときどきあるね‥まったく、あのひとの芝居と来たら、頭の良い動きでね、ちっとも無駄がない。」

『興行情報』No.561(1957年7月5日発行、興行情報社、12頁)

「映画各社の内幕シリーズ 松竹の内幕 松竹の現有監督陣 小津安二郎」(3頁)
※冒頭を引用する。「大正十二年蒲田撮影所入社というから、その経歴は松竹とともにあったようなもの。その間松竹から一歩も外に出ずに営々と映画を作って来たのを見れば小津安二郎ほど蒲田及び大船調精神を体得している人は外にいないといってよい。そしてその間、つねに松竹の代表作としてもいいような、優秀な良心作を続々発表し、その面目を支えたのだから、松竹にとって小津安二郎の存在は大きい。」続く

『キネマ旬報』別冊 日本映画代表シナリオ全集①(1957年12月25日発行、キネマ旬報社、178頁)

「シナリオ 生れてはみたけれど」(153-165頁)
伏見晃「「‥けれど」もののこと」(155頁)
小林勝「滲み出る日本の歩み 収録シナリオ解説 生れてはみたけれど」(177-178頁)

このホームページ内のテキスト・画像の無断使用はご遠慮下さい。