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小津監督を巡る文献・資料

小津安二郎を巡る関連文献・資料

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1952年の関連文献・資料

1952
『蒲田會人名簿 昭和二十七年現在』(1952年発行)

蒲田時代の俳優、監督、スタッフの住所録。小津安二郎は8頁目に住所記載。

『映画ファン』第12巻第4号通巻第128号(1952年4月1日発行、映画世界社、118頁)

「傑作の生れる静かなお部屋」(56-57頁)
次回作の構想をねっておられる小津安二郎監督と野田高梧氏を、茅ケ崎館に訪れました。
※冒頭を引用する。
 そっくりそのままで
 東京から西へ一時間半ちかく東海道を下ると茅ヶ崎です。一月末のうら枯れた夕暮れ近い道を、駅から海岸に向って二十分ほど歩くと、海岸近く松籟に包まれて茅ケ崎館という旅館が、静かに横たわっております。古びた物静かな旅館ですが、夏は海浜に遊ぶお客さんたちでさぞ賑わうだろうと思わせます。
 去年、『麥秋』の構想をねっておられる小津、野田両氏をお訪ねしたのも兆度今時分だったなと思いあわせながら案内を乞うと、長い廊下を渡った一番奥まった部屋へ通されました。
 この部屋は、やはり昨年お伺いした時、おふたりがおいでになられたのと同じところ、部屋の模様もまるで同じです。八畳の間の真中に据えられた机の上に、茶碗や皿やの食器をはじめ、ウイスキー、調味料、食料品、例えばざるの中に入った卵のたぐいなどが雑然と置かれてあります。これらの雑然さも全く同じ‥。
 ぼくらから見ればたいへん乱雑なこの机も、小津監督の頭の中にはそれなりにキチンとした無秩序の秩序といったものがあるらしく、
「そこんところに栓抜きがあった筈だが。」とか、
「その横に茶碗があるだろう。」とか、さながら掌の上をさす如しといった言葉そのままに、机の上のものの配置をチャンと知っておられるようです。

『映画ファン』第12巻第5号通巻第129号(1952年5月1日発行、映画世界社、118頁)

表紙:原節子
「グラビア 上原謙」(8頁)
※私が初めて円満な感じが出来た「宗方姉妹」が役としての出来はともかく、尤も好きな役でした。
「映画ファン世論調査決定報告」(40頁)
※作品一位「麥秋」、監督四位「小津安二郎」
「キャメラで見た妹、目で見た妹 原節子を語る 東宝キャメラマン 會田吉男」(90―91頁)
「『お茶漬の味』と決定 小津安二郎監督の次回作」(114頁)

『キネマ旬報』1952年6月上旬号「特集 小津安二郎・研究」(1952年6月1日発行、キネマ旬報社、98頁)

飯島正「小津安二郎について」(20-22頁)
双葉十三郎「小津芸術の形式について」(23-24頁)
滋野辰彦「評傳・小津安二郎」(25-27頁)
筈見恒夫「私の小津安二郎観」(28-29頁)
小津安二郎「自作を語る」(30-35頁)

『週刊サンケイ』第1巻第17号(1952年6月15日発行、産業経済新聞社、62頁)

「連載縦横鼎談 第11回 司会:奥野信太郎 志賀直哉☆小津安二郎☆ゲスト尾崎一雄」(45-50頁)
※小見出しは以下の通り、「志賀氏と活動写真」、「田舎ことばの貢献」、「映画と文学の世界」、「徳田秋声、永井荷風」、「白樺の人とその頃」、「芥川龍之介とイワシ」、「批評家というもの」。

『キネマ旬報』No.856 第四十一号(1952年7月1日発行、キネマ旬報社、178頁)

表紙:リタ・ヘイワース
「舞台の演技と映画の演技 新劇女優のザックバランなうちあけ話 座談会 東山千栄子、岸輝子、村瀬幸子、山岡比佐乃、杉村春子、丹阿弥谷津子」(64―70頁)
※東山千栄子「小津先生はすっかり科白もご自分のちゃんときまったものがおありになって、そこに落ち着かなければほかの言い方では‥。」
「撮影所 いよいよ撮影をはじめた『お茶漬の味』」(132頁)
※「スチール一枚も慎重に撮る 昨年度の『麦秋』につぐ小津安二郎監督の『お茶漬の味』は、長らく準備を整えていたが、漸く六月九日、『会社』のセットよりクランクを開始した。開始に先立つ七日には、主演スターの佐分利信、木暮實千代、鶴田浩二、淡島千景、津島恵子の五人による宣伝スチールの撮影が行われたが、例によってスチール一枚といえどもゆるがせにしない小津監督は視線や手の置き方などにまで、慎重な指導を与え、さすがのスター達もいつになく緊張して、衣装や髪形などに細かく気を配っていたという。この五人のスターのうち、木暮、鶴田、津島の三人は、小津監督の作品には、はじめての出演である。また、この作品に特別出演として、往年、名子役と謳われ現在上原謙夫人である小桜葉子が、十数年ぶりにスクリーンにお目見えする。」
「日本映画紹介 お茶漬の味」(135頁)

『スクリーン・ステージ』第300号(1952年7月8日発行、スクリーン・ステージ新聞社、8頁)

「小津安二郎監督の作家魂 『お茶漬の味』の演出」(1頁)
「『お茶漬の味』セット拝見 ”今日はキヨウジ屋だヨ” かざりの日の小津監督」(4-5頁)
「小津作品のプロデューサー山本武氏に訊く 配役が一番の苦心」(5頁)

『キネマ旬報』No.857 第四十二号(1952年7月15日発行、キネマ旬報社、98頁)

表紙:エドウィージ・フウィエール
「グラフィック 小津安二郎の演出ぶり」(1-3頁)
「お茶漬の味」佐竹邸二階茂吉(佐分利信)妙子(木暮實千代)の出ているセット撮影(1頁)
※演出カット6

『藝能画報』第一巻第四号(1952年7月15日発行、国際写真通信社、46頁)

表紙:久我美子
「松竹大船作品 お茶漬の味 解説 物語」(17頁)
※グラビア6カット
「小津安二郎監督は漸く構想成って「お茶漬の味」のスチール写真を皮切りに七日会社のカットからクランクインした。例によってスチール一枚をもゆるがせにしない小津監督はキャメラの脇にどっかと腰を据え、視線から手の置き方に至るまで細々と指導するという慎重さ、それだけに木暮、淡島、津島などのスタアたちも衣裳から髪型まで一々小津監督に見せダメが出るとわざわざ結髪部まで足を運ぶという熱心さである。」続く(46頁)

『家庭よみうり』通巻第三一八号(1952年8月21日発行、読売新聞社出版局、22頁)

表紙:谷さゆり
「新映画 お茶漬の味 監督・小津安二郎 松竹・大船作品」(16-17頁)
※スチル7枚(うち2枚小津監督演出風景)

『東京』第三巻第九号(1952年9月1日発行、東京出版、220頁)

「映画化絵物語 お茶漬の味 野田高梧・小津安二郎脚本、絵:加藤敏郎」(8-12頁)

『映画の友』第20巻第9号(1952年9月5日発行、映画世界社、170頁)

表紙:ベティ・ハットン
大黒東洋士「『お茶漬の味』のセット訪問」(78‐81頁)

『映画と演芸』アサヒグラフ別冊秋季特別号(1952年9月25日発行、朝日新聞社、58頁)

表紙:京マチ子(絵:宮本三郎)
「新作映画紹介 松竹「お茶漬の味」(52-53頁)
「お茶漬の味」広告(53頁)

『松竹NEWS』No.13(1952年9月発行、松竹株式会社東京支店、4頁)

新宿松竹
「次週上映 お茶漬の味」(1頁)
「お茶漬けの味 次週上映」(4頁)

『松竹映画プレス』No.252「お茶漬の味」(1952年10月1日発行、松竹株式会社、4頁)

「お茶漬の味、スタッフ、キャスト
 松竹にして初めて成し得る映画界最高の芸術作!
 名匠小津安二郎が驚異的豪華スタアを得て放つ宿望の野心作!
 解説、宣伝文案、「お茶漬の味」の製作に当って(山本武)、放送原稿、カット、配列表」(2-3頁)

『お茶漬の味』(縮刷シナリオ)(1952年10月1日発行、松竹株式会社、24頁)

三段組、発行日がないので、封切日とした。

『松竹NEWS』No.14(1952年10月1日発行、松竹株式会社東京支店、4頁)

人形町松竹
「スタッフ、キャスト、解説、梗概」(2-3頁)

『第百回記念都民映画特別試写會 お茶漬の味試写會』(1952年10月1日発行、東京都教育廳・東京新聞社、4頁)

「スタッフ、キャスト、物語、解説」(2-3頁)

『小津安二郎監督 松竹映画特作 お茶漬の味試写會』(1952年10月発行、発行者名無、4頁)

「お茶漬の味 松竹作品
スタッフ、キャスト、物語、解説」(2-3頁)

『映画評論』第九巻第十號(1952年10月1日発行、映画出版社、142頁)

飯田心美「趣味の名人藝-小津作品に現われた人間像-」(39―41頁)
「お茶漬の味一面広告」(裏表紙)

『映画ファン』第134号「小津安二郎監督特集」(1952年10月1日発行、映画世界社、168頁)

小津安二郎全集 特集
「現代日本映画界の第一人者小津安二郎監督の生い立ちから、そのひととなり、作品傾向などにあれこれスポットを当ててみましょう。
筈見恒夫「誰からも愛される 小津映画の魅力」(71―73頁)
「小津安二郎・監督作品一覧表」(73頁)
「僕はちっともこわくないよ 小津安二郎監督放談」(きくひと:大黒東洋士)(74―77頁)
津島恵子「小津先生とのひととき」(76頁)
清水崑「『お茶漬の味』とはどんな味? 小津安二郎監督に『お茶漬の味』をきく」(78―79頁)
原節子・三宅邦子・淡島千景「座談会がっちりして大きい小津先生」(80―81頁)
野田高梧「随筆・小津安二郎」(82―86頁)
里見弴「良識」(83頁)
厚田雄春「潔癖な人」(86頁)

同誌には、高橋貞二に関する小特集もある。
「スタア診断10 高橋貞二の魅力を探ぐる 健康的でザックバランの高橋貞二さん」(106―107頁)
「高橋貞二さんとの一問一答」(108―109頁:上段)
井川邦子「学生みたいな気安さ」(108―109頁:下段)
中村登「かんのいい俳優」(109頁:下段)
川島雄三・高橋貞二・岸恵子「座談会 都会の中に田園のある魅力」(110―112頁)
「高橋貞二・作品一覧」(111頁)
「高橋貞二ポートレート」(113頁)

※表紙は、角梨枝子さん。

『アサヒカメラ』第三十七巻第十号通巻230号(1952年10月1日発行、朝日新聞社、184頁)

「三木淳 小津安二郎氏 日本の映画監督6」(27頁)
※小津監督「お茶漬の味」演出風景、木暮實千代、津島恵子、厚田雄春他」

『キネマ旬報』No.862 第四十七号(1952年10月1日発行、キネマ旬報社、190頁)

表紙:ダニエル・ダリュウ
「全面広告 お茶漬の味 日本映画の最高を誇る映画芸術の粹」(29頁)
「旬報サロン 小津安二郎の生地」(125頁)
※「映画人新地図」毎號愛読して居ります。ついては三重県の巻で、小津安二郎氏の生地を、「サンデー毎日」郷土ベストテンや、昭和九年に発行された「映画藝術研究」などでは、三重県の部に加えてありますが、新地図では漏れたのでしょうか。(三重県四日市市)この間まで松阪の療養生活をして、故郷の当地へ引き上げて来たのですが、小津さんは三重県の出身だとばかり思っていましたが、違うのでしょうか。」◎小津さんは東京深川の生れで、伊勢の松阪は、小津さんのお父さんの郷里です。小学生の途中から松阪に住み、中学は山田市の中学を出ました。だから少年時代を三重県で過ごしたことは確かです。」

『NEWS 銀座松竹』No.19(1952年10月1日発行、銀座松竹、4頁)

「お茶漬の味 解説、俳優」(2-3頁)

『松竹映画ウイークリー』No.184 「お茶漬の味・お嬢さん社長と丁稚課長」(1952年10月1日発行、新世界出版社、6頁)

「お茶漬の味 配役、梗概」(3-4頁)
佐藤有「小津映画を讃えて」(6頁)

『SHOCHIKU EIGA PRESS お茶漬の味』(1952年10月1日発行、松竹株式会社大阪支店映画部宣伝課、4頁)

「解説、キャスト、梗概、文案、放送原稿、配列表」(2-3頁)

『NEWS 銀座松竹』No.23「お茶漬の味(ファッション)特集号(1952年10月1日発行、銀座松竹、8頁)

「淡島千景の洋装に就いて」(2頁)
「お茶漬の味 粹をあつめた秋のファッション」(3-6頁)
「津島恵子の洋装に就いて」(7頁)

『お茶漬の味』(1952年10月1日発行、松竹株式会社、12頁)

「小津安二郎監督作品「お茶漬の味」について」(3頁)
「スタッフ、キャスト」(4頁)
「物語」(5頁)
「誰からも愛される小津映画 「お茶漬の味」鑑賞の手引」(6-7頁)
「解説」(8頁)
「人物紹介」(9頁)

『週刊アサヒ芸能新聞』通巻第333号(1952年10月5日発行、アサヒ芸能新聞社、30頁)

表紙:淡島千景
「”お祭り屋”になりたくない 小津安二郎監督談」(5頁)
※一部抜粋する。「別にどこをよく観て下さいとか、ここんところを苦心しましたとかいうことはないね。新しい試みをやったわけでもない。強いて言えば、佐分利、木暮御夫婦の心理の綾なのだろうが、そればかりに重点を置いたわけではない。そういうことは観客が自由に判断されるべきものだ。」

北川冬彦『映画への誘い』(1952年10月10日発行、温故堂出版部、364頁)

飯島正「はしがき」(1―3頁)
「2日本映画の作家 小津安二郎」(137―144頁)
「5映画精神とその周囲 小津安二郎の演出」(272―279頁)

小津安二郎・野田高梧『お茶漬の味他』(1952年10月20日発行、青山書院、362頁)

「お茶漬の味」(3‐120頁)
「麥秋」(121‐262頁)
「晩春」(263‐362頁)
※田中眞澄編『全日記小津安二郎』(1993年、フィルムアート社)343頁に、「昭和二十七年十月二十六日(日)本の署名をする 終日在宅 青山書院くる」とある。

『映画評論』第九巻第十一號(1952年11月1日発行、映画出版社、126頁)

大黒東洋士「作品評 お茶漬の味」(58―60頁)

『伊勢公論』第七號(1952年11月1日発行、伊勢公論社、63頁)

梅川文男「小津安二郎氏」(18‐20頁)
※梅川文男(1906年4月9日-1968年4月4日)は三重県松阪市の第6代市長(在任期間:1957年3月30日-1968年4月4日)である。飯南郡松阪町大字新町(現・松阪市新町)に生まれ、旧制・三重県立宇治山田中等学校卒業。小津安二郎(映画監督)の後輩である。
 冒頭部分を引用する。「映画『お茶漬の味』をみた。昨年暮の松阪大家の火元となり、焼失した松阪第二小学校と、宇治山田中学校で、小津さんはずっと三年上だった。小学校四年生の頃、松阪に転校してきたのでないかとおもう。家は愛宕町だった。『品行方正、学力優秀』の模範生だった。さて、私も山田の中学にはいった。三十数年前、大正七年頃の話である。

『廣島劇場』(1952年11月7日発行、廣島劇場、4頁)

「19日封切 お茶漬の味」(1頁)
「小津芸術の粋を集めてしみじみと味わう感動の名画 お茶漬の味」(2-3頁)

『週刊アサヒ芸能新聞』通巻第338号(1952年11月9日発行、アサヒ芸能新聞社、30頁)

表紙:小月冴子・草笛光子
「今年や監督さんの当たり年」(3頁)
※小津監督の写真がトップに掲載され、以下のような記述。「監督の持駒を一番揃えているのは何と言っても松竹である。終戦後一年一作を標榜しているベテラン小津安二郎は今年もゆうゆう四カ月余りを費やして先般「お茶漬の味」を完成した。一年一作というのはぜいたくすぎるという批判もないではないが、映画に限らず、総じて小説にしてもその他の芸術分野においてもいたずらに濫作してエネルギーを消費するよりは、できればジックリ構想を練って納得のゆくものを作るにこしたことはないわけで、海外の有名な監督の場合に照してみても、小津監督のこうした態度は立派であるといえるし、松竹にそれだけの余裕があるからこそである。」
「日本映画監督10人集」(16-17頁)
※「ピケ帽を被っとるで”オッチャン”などと気安そうに呼ぶ仁もあるが、「佐分利どんでさえフルエ上る」という松竹名物小津安二郎監督の陣頭指揮」とある。

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