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小津監督を巡る文献・資料

小津安二郎を巡る関連文献・資料

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1948年の関連文献・資料

1948
『風の中の牝雞』台本(1948年発行、松竹株式会社、76頁)

紐綴じ、発行年がないので、便宜的に封切年とした。

『近代映画』第四巻第二號通巻第二十六號(1948年2月1日発行、近代映画社、32頁)

表紙:轟夕起子
飯田心美「『月は上りぬ』に就て」(18‐19頁)
※小津安二郎監督新作の準備に入る。これはけんらんたる花札の配札を思わせるキャストを編成する豪華版!
小津さんの監督部屋は小津さんの映画がそうであるように部屋一杯の凝った調度品と趣味で飾られている。

『キネマ旬報』No.764 第二十八号(1948年2月15日発行、キネマ旬報社、42頁)

表紙:アン・シェリダン
「キネマ旬報主催 1947年度ベストテン決定 第4位 長屋紳士録」(8頁)
「ベストテン集計表」(11頁)
※一位は「安生家の舞踏会」172点、二位は「戦争と平和」164点、三位は「今ひとたびの」150点、四位は「長屋紳士録」132点、五位は「女優」114点である。

『近代映画』第四巻第三號通巻第二十七號(1948年3月1日発行、近代映画社、32頁)

表紙:原節子
津村秀夫「小津安二郎との対談」(12―14頁)
※事故のために、横浜線のプラットフォームで復旧を待つ間に、小津監督と久しぶりに会い、その時に語った内容について書かれている。

『キネマ旬報』No.768 第三十二号(1948年4月15日発行、キネマ旬報社、42頁)

表紙:カリン・ブース
「『手をつなぐ子等』をめぐって対談」小津安二郎・北川冬彦・飯田心美(16-17頁)
「撮影所(3月25日調査 松竹大船 小津安二郎は斎藤良輔と共同脚本の『風の中の牝雞』を田中絹代、三宅邦子、佐野周二、笠智衆、村田千栄子らの出演で製作準備中。

『映畫春秋』第14號(1948年5月1日発行、映畫春秋社、64頁)

表紙:ジイン・テイアニイ
「グラビア作家掌篇 小津安二郎」(1頁)
※「ますますたかくなるぶっか ますますうすくなるにんじょう ますますむずかしくなるえいが さてなんとしよう」
「シナリオ 風の中の牝雞」(37-63頁)

『キネマ旬報』No.770 第三十四号(1948年5月15日発行、キネマ旬報社、42頁)

表紙:ジュディ・ガーランド
池田忠雄「シナリオと演出」(18頁)

『キネマ旬報』No.771第三十五号(1948年6月1日発行、キネマ旬報社、42頁)

表紙:マアナ・デル
「日本映画紹介 風の中の牝雞」(32頁)

『映画世界』第一巻第三号(1948年6月1日発行、映画世界社、35頁)

飯田心美「小津安二郎の新作《風の中の牝鶏》について」(9頁)
※冒頭を引用する。
 季節の関係から「月は上りぬ」の撮影を一時延ばした小津安二郎監督は、同作の着手前に一本上げようと、目下新しい準備をはじめている。この新作は題名を「風の中の牝鶏」と名づけられ、小津監督の構想もまとまり、斎藤良輔の協力を得てシナリオも大体に書き上がったというから、撮影開始も間もないことと想像される。つい先日、シノプシスを読む機会をもったので、この新作の輪郭もつかめたから一応ここに紹介してみる。

『キネマ旬報』No.772 第三十六号(1948年6月15日発行、キネマ旬報社、42頁)

表紙:ジャネット・ブレヤア
「特集 藝術性と企業性」(12―23頁)
小津安二郎「幅のある藝術」(21頁)
※冒頭を紹介する。「映画の場合、藝術と企業というものを全然別個に考えることはできない。むしろ企業の中で藝術的なものをこしらえるということが成り立つのではないか。」
「撮影所(5月27日調査)松竹大船 小津安二郎は「風の中の牝雞」を都内ロケよりクランク開始」(42頁)

『アサヒグラフ』第五十巻第一號通巻一千二百四十四號(1948年7月7日発行、朝日新聞社、18頁)

「映画スター推薦 天下の美男子告知板」(14-15頁)
「高峰三枝子さん推薦 映画監督小津安二郎氏(46)」(15頁)
※一部抜粋する。「”父ありき””長屋紳士録”等一連の人情ものの作風で知られる氏は、終戦後シンガポールから引揚げ、目下第二作”風の中の牝鶏”を撮影中「僕が美男子になりましたか」と笑う五尺八寸十八貫余の大きな体が胸のあたりで大きく揺れる。」

『近代映画』第四巻第八號通巻第三十二號(1948年8月1日発行、近代映画社、32頁)

表紙:轟夕起子
『風の中の牝雞』(30‐31頁)
さきに「長屋紳士録」を発表した小津安二郎監督は、1948年度秋季作品として「月は上りぬ」を準備中であったが、この程、本年度春季作品として、齋藤良輔と共同脚本による「風の中の牝雞」を準備し、「夜の女たち」出演の田中絹代の帰京を待って5月26日本読み、顔合わせ、つづいて衣装合わせを終わり、6月10日南千住方面のロケーションより撮影を開始した。
スナップ「衣装調べ 田中絹代、小津監督、村田知英子」「着付けする田中絹代、三浦光子」
スチル「時子(田中絹代)」、「修一(佐野周二)と時子(田中絹代)」、「時子(田中絹代)と秀坊(中川秀人)」

『新映画』第5巻第8号(1948年8月1日発行、日本映画出版株式会社、34頁)

表紙:高峰秀子
「広告 風の中の牝鶏」(裏表紙)
「小津監督と田中絹代」(18頁)
※「小津監督のことば 田中さんとはスタジオでは時々顔を合わせているが、一緒に仕事をするのは随分久しぶりです。私の作品に出演するスターの顔ぶれはいつもあまり大差はない。しかし、今度の「風の中の牝鶏」では今までと変わった人たちの登場がある。田中さんもその一人だと言えるかもしれない。私はスタアというものを高く評価している。スタアとは立派な演技者のことである。‥」
※本読みをしている写真あり

『映画世界』第一巻第五号(1948年8月1日発行、映画世界社、34頁)

表紙:クロオデツト・コルベール(直木久蓉・画)
登川直樹「風の中の牝雞 小津安二郎作品の涙」(20‐21頁)
※グラビア「台本を持つ田中絹代とキャメラの横にいる小津監督」、「佐野周二と田中絹代」、「佐野周二」、「子供を看病する田中絹代」

『現代の藝術』1948年版(讀賣新聞社文化部編、1948年8月20日、304頁)

小津安二郎「映画的な」(243―244頁)
※「文藝作品の映画化」というテーマのもと、小津安二郎と田坂具隆がそれぞれ文章を寄せている。田坂は、「描寫の差」(244―245頁)。それ以外に、「映画経営の危機」(245―247頁)というタイトルで、讀賣の河上記者が書いている。
 小津監督の文章で最も本質的な指摘をしているセンテンスを次に抜き出してみよう。「このあたりでもう一度映畫の中に映畫を見よう。映畫的なあまりにも映畫的なものがあってもよさそうだ。」

『近代映画』第四巻第九號通巻第三十三號(1948年9月1日発行、近代映画社、32頁)

小津組と吉村組の野球試合(22‐23頁)
松竹大船撮影所で目下撮影中の「風の中の牝雞」の小津組と、「わが生涯のかがやける日」の吉村組の野球試合が去る7月8日に撮影所のグランドで行われた。小津チームの応援団長は田中絹代さん、吉村チームは李香蘭こと山口淑子さん。
スナップ写真①試合開始前、小津、吉村両監督の握手。②バットを手にニコニコ顔の吉村監督と山口、瀧澤修さん。③小津名(迷)?監督と田中さん。④小津チームの名二塁手佐野やん。⑤本社商品を手に右より小津、田中、山口、吉村さん達。

『映画グラフ』第9号(1948年9月1日発行、シネマグラフ社、32頁)

表紙:田中絹代
「田中絹代の表情 風の中の牝雞の時子」(2‐3頁)
※「ここに絹代さんがならんでいる。小津安二郎監督の”風の中の牝雞”の中の一カットだ。最初の第一駒をみると、カチンコが映っている。それに白墨で31と書かれているのは、シーン・ナンバーである。病室で、自分の子どもの看護に一夜を明かした彼女が、医者の診察を心配そうに見ているところ。わずか数秒の演技だが、ここでも、やつれた親よりももっと雄弁に、乱れ髪をかきあげる何気ないしぐさ片手が、立派な主役をつとめているではないか。」
「映画人は野球がお好き ここ松竹大船では併行撮影中の小津安二郎監督の”風の中の牝雞”と吉村公三郎監督の”わが生涯の輝ける日”の両スタッフが”親睦はまず野球から”というわけで、七月のある午後、双方監督、プロデウサア、撮影技師、録音技師、俳優総出演の珍野球試合を所内のグラウンドで行った。」(12‐13頁)
※グラビア7葉

『新映画』第五巻第九號(1948年9月1日発行、日本映画出版株式会社、34頁)

「新映画推薦作品 風の中の牝雞」(12頁)
「スナップセクション 19頁)
※「風の中の牝雞」の都内ロケですが、田中絹代が抱いている坊やは勿論借りものなので、付添のお母さんの方ばかり見ています。この坊やの父親に扮する佐野周二は炎天とレフの射熱で汗だくの形。カメラをのぞいているのは小津監督です。

『キネマ旬報』No.778 第四十二号(1948年9月15日発行、キネマ旬報社、42頁)

表紙:ルネ・アシャースン
裏表紙:広告「風の中の牝雞 小津安二郎の野心成る 汚れた家並ガスタンクを望む街々
東京の下町は生活に喘ぐ人々の悲しい人生の裏町でもある‥
名匠が稀にみる豪華キャストを得てにじみ出る人間味のなかに描いた憂愁人生悲歌!」

『プログラム 各社封切映画のストーリイ集』(1948年9月20日発行、週刊プログラム社、4頁)

「風の中の牝雞」(梗概、スタッフ、キャスト)(3頁)

『松竹映画NEWS34 風の中の牝雞』(1948年9月20日発行、松竹、4頁)

「スタッフ、キャスト、製作意図、前記」(2頁)
「ものがたり、解説」(3頁)

野田高梧『シナリオ方法論 限定版』(1948年10月1日発行、シナリオ社、337頁)

装填:野田九浦
目次の前ページに野田高梧のポートレートと直筆サイン
序論(1-31頁)
概論(33―61頁)
基本(Ⅰ)(63-95頁)
基本(Ⅱ)(97-126頁)
構成(127-176頁)
局面(177-256頁)
映画的構成(257-278頁)
性格(279-334頁)
結語(335-337頁)

野田高梧『シナリオ方法論』(1948年10月1日発行、シナリオ社、334頁)

装填:渡邊三郎
序論(1-31頁)
概論(32―60頁)
基本(Ⅰ)(61-93頁)
基本(Ⅱ)(94-123頁)
構成(124-173頁)
局面(174-253頁)
映画的構成(254-275頁)
性格(276-334頁)

『近代映画』第四巻第十号通巻第三十四号(1948年10月1日発行、近代映画社、32頁)

表紙:原節子
岸松雄「映画のつくり方 その三 監督について」(4―5頁)
※一部抜粋する。「ところが、小津安二郎さんの監督ぶりなどを見学していると、監督とはかくの如きものであるかとその精進のきびしさを看おとして、その醍醐味をさえ想像できるのであります。「風の中の牝雞」の撮影中でした。佐野周二さんの肩をなめて、隣り座敷に子供が寝ています。小津さんはキャメラの位置を決め、照明に注文を出し、俳優の指の末にいたるまでこまかく指導しています。枕許にあるミシン、それに対応して椅子の位置を右に左にとズラしてみて、こんどは枕當のタオルの色が気に入らないといってとりかえさせる始末です。何から何まで自分の思うままなのです。画面を形成する一切のものが、一木一草はおろかなことです。セットの中の埃まで、小津安二郎というすぐれた芸術家の掌のうちにおさめられているわけであります。」

『日本映画』第三巻十月号(1948年10月1日発行、日本映画協会、32頁)

表紙:原節子
「秋の新作紹介 風の中の牝雞 松竹作品」(14頁)

『松竹』第三巻第十一號(1948年11月1日発行、松竹出版部、34頁)

表紙:原節子
「映画女優の師表 田中絹代 『風の中の牝雞』に次ぐ作品は」(20頁)
「スタジオニュース 大船 小津安二郎監督 齋藤良輔との共同脚本に成る『月は上りぬ』を製作の予定で準備中。」(27頁)

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