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小津監督を巡る文献・資料

小津安二郎を巡る関連文献・資料

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1943年の関連文献・資料

1943
『映画旬報』第六十九號、新年特別號(1943年1月1日発行、映画出版社、80頁)

表紙:「開戦の前夜」木暮實千代、上原謙
一面広告「ビルマ作戦 遙かなり父母の国(假題)
 日本映画界が生んだ最高の作家小津安二郎。彼は支那事変に欣然応召し、戦野に於いて壘を犯し砦に迫ったあの感動を、帰還して三年のこんにち「遙かなり父母の国」に爆発させるのである。新生ビルマ再建とビルマ作戦の激烈さを劇化し、至高雄大の構想、完璧無類の配役陣を得てここに壮観の大劇映画を完成せんとす。ロケ隊一行は勇躍現地ロケに向かい、早くも全映画界期待の的となっている。」
「撮影所通信 東京 松竹大船撮影所 小津安二郎演出の「ビルマ作戦・遙かなり父母の国」は、渡南の準備を進めていたが、佐野周二が一身上の都合により出演不能となったため、脚本の改定を行うとともに、代役の銓衝を急いでいる。」(50頁)

『新映画』第三巻第一號 新年特別號(1943年1月1日発行、映画出版株式会社、116頁)

表紙:「幽霊大いに怒る」高峰三枝子・澁谷實監督
小津安二郎「今年はこれも実行する 一年は短すぎる」(72―73頁)
※『ビルマ作戦、遥かなり父母の國』以降、何を撮るかについてのアイデアを披露している。「戸田家の兄妹」の続編などについても語っている。
早乙女武『僕の長期戦 笠智衆は語る』(78―79頁)
※「近く、ビルマにお立ちになるんですね。」「ええ、小津先生の『遥かなり父母の國』で出かけます。」「どんな役なのですか?」「足立軍曹というんです。」
「製作短信 松竹大船 小津安二郎監督の「ビルマ作戦遥かなり父母の國」(決定題名)のスタッフおよびキャストが決定された。」(115頁)

『新映画』第三巻第三號(1943年3月1日発行、映画出版社、62頁)

表紙:「若き日の歓び」原節子
芸談「眞木潤、笠智衆、渋谷實、岸松雄」(46―49頁)
「昭和十七年度第三回日本映画雑誌協会映画賞作品決定 第二位 父ありき」(53頁)

小津安二郎・池田忠雄『戸田家の兄妹他』(1943年3月10日発行、青山書院、415頁)

装填:小津安二郎
「父ありき」(3‐160頁)
「戸田家の兄妹」(163‐411頁)
池田忠雄「後記」(413‐14頁)
※初版はハードカバー版である。
昭和十八年三月五日印刷
昭和十八年三月十日発行(2000部)

伊丹万作『靜臥雑記』(1943年4月10日発行、国際情報社出版部、397頁)

「人間山中貞雄」(21―28頁)
「シナリオ時評(7)『父ありき』小津・池田・柳井」(293―298頁)

『江戸川松竹映画劇場』(1943年6月、江戸川松竹映画劇場)

「父ありき」17日より(1頁)
「昭和十六年度ベストテン第一位作品 戸田家の兄妹 演出 小津安二郎 俳優 梗概」(2頁)
「昭和十七年度ベストテン第二位 「ハワイ・マレー」に次ぐ名作 小津安二郎演出 乞御期待」(3頁)
「★江戸川放送 名匠小津が昭和十六年度第一位「戸田家の兄妹」昭和十七年度には「父ありき」が「ハワイ・マレー」に次ぐ第二位作品と放って大松竹の誇りを益々高めた‥」(4頁)

小津安二郎・池田忠雄『戸田家の兄妹他』三版(1943年7月20日発行、青山書院、415頁)

昭和十八年七月十五日 三版印刷
昭和十八年七月二十日 三版発行(2000部)

小津安二郎・池田忠雄『戸田家の兄妹他』四版(1943年9月5日発行、青山書院、415頁)

昭和十八年九月一日 四版印刷
昭和十八年九月五日 四版発行(3000部)

『映画旬報』第九十九號(1943年11月11日発行、映画出版社、38頁)

表紙:「生きている孫六」原保美、上原謙
「撮影所通信 東京(11月1日現在)松竹大船撮影所 小津安二郎監督は、次回作品の脚本執筆中。」(22頁)

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