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小津監督を巡る文献・資料

小津安二郎を巡る関連文献・資料

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1936年の関連文献・資料

1936
『旭舘』(1936年発行、旭舘、1頁)

「大学よいとこ 松竹大作サウンド版 

『オール、サウンド 大学よいとこ 全十三巻』(1936年発行、松竹キネマ株式會社臺本係、158頁)

紐綴じ、ガリ版刷、発行年がないので、封切年とした。
警察(大井警察)の検閲の印が最初と最終頁に押されている。

『映画評論』第十八巻第一号(1936年1月1日発行、映画出版社、268頁)

グラフ「大学よいとこ」(13頁)
大塚恭一「現代劇映画論」(32―34頁)※小津監督の小市民物や「東京の宿」に言及
吉村公三郎「心境映画について」(50‐55頁)※心境映画について何か書くことを引き受けたので、その材料にと、小津、島津、五所に聞いたことを書くとして、まず小津監督の言葉を載せている。一部抜粋する。「小津安二郎氏の言葉。「何?心境映画だって?僕あそんなものは知らないね。何も僕は心境映画と名付ける作品をこさえてやろうとした訳じゃない。誰かが勝手に言い出したんだよ。」(50頁)「1932年の小津作品『生まれては見たけれど』は日本映画始まって以来の最高芸術映画とな銘打たれ、心境映画の完成された一姿態とされたのである。心境映画と言えば、『生まれては見たけれど』、唯一の芸術監督と言えば小津安二郎氏と、それは映画批評壇の常識とさえなった。従って、心境映画を語るには先ず『生まれては見たけれど』から取り上げていくのが、一番便利なようである。」(52―53頁)
戸方佐千夫「特集映画批判 松竹蒲田映画 東京の宿」(202―204頁)

『スタア』第四巻第三號通巻第六十四號(1936年2月1日発行、スタア社、34頁)

「日本映画監督の展望―昨年の成績を中心に-」(8―9頁)
※希望三人男として、山中貞雄、成瀬己喜男、島津保次郎、沈滞大家六人男として、衣笠貞之助、小津安二郎、五所平之助、伊丹万作、溝口健二、村田實、中堅余人男として、稲垣浩、清水宏、野村浩將、井上金太郎、新進三人男として、山本嘉次郎、新井良平、野淵昶について述べている。

『浅草帝國館ニュース』No.358(1936年2月15日発行、浅草帝國館、12頁)

「大學よいとこ 小津安二郎監督 松竹音響版」(6頁)

『大毎ニュース』「大学よいとこ・修羅八荒・千両小路」(1936年3月発行、大日館、1頁)

「大學なんかそれ程素晴らしい所ではない!卒業しても職がなければかと云って退学する奴が少ない!
 世の若き人々にこの一篇を贈る
 城南にそびゆる豪華な大學の影に誰かこれ程胸をえぐられる様な悲劇を想像し得やう鬼才小津監督がその校舎の影にそして教室にこっそりキャメラを向ける果たして大學よいとこであったか?
 明朗な学生生活に一抹な哀愁味を盛って描く‥名匠小津の良心明快篇!!
 小津に私淑する中川信夫監督『修羅八荒』も同時上映している。」
※発行年がないので、封切月を発行年月とした。

『友樂舘週報』No.12(1936年3月12日発行、福岡市東中洲友樂舘、12頁)

「名匠・小津安二郎・監督 大学よいとこ 音響版 愈々 十九日 封切決定」(12頁)

『松竹週報』No.912(1936年3月15日発行、松竹座宣傳部、4頁)

「鬼才小津安二郎監督 大学よいとこ」(4頁)

『新宿松竹館週報』(1936年3月19日発行、新宿松竹館、12頁)

「大学よいとこ」(表紙)
「オール・サウンド版 大學よいとこ スタッフ、俳優、梗概」(4頁)

飯島正・内田岐三雄・岸松雄・筈見恒夫編『映画年鑑1936年版』(1936年3月20日発行、第一書房、334頁)

双葉十三郎「日本映画ベスト・テン『東京の宿』」(95―97頁)
小津安二郎「印象に残った人々 W・S・ヴァンダイク」(109―110頁)
※全文紹介する。「批評家たちはどう思っているか知らないがW・S・ヴァンダイクなんて男は、結局大した代物じゃない。フランク・キャプラと比べたら、雲泥の差がある。だから、僕の助手によくいうんだが、われわれはキャプラの道を行くならば良いが、決してヴァンダイクの道を行こうとしちゃいけない。『男の世界』なんて、ゲエブルとボウエルを使い乍ら、あの程度のものしか作れん様では、底が知れている。メロドラマを作っても『或る夜の出来事』のキャプラの足許にもよりつけない。」

『SHINTOKYO NEWS』1936-No.62(1936年3月26日発行、下谷竹町 新東京、4頁)

「大學よいとこ 音響版 四月一日より」(表紙)

松竹キネマ株式會社『大船撮影所 落成披露』(1936年4月19日発行、松竹キネマ株式會社、12頁)

「御挨拶 大谷竹次郎」(表紙裏)
「御挨拶 城戸四郎」(1-4頁)
「大船撮影所案内」(5-10頁)
「大船撮影所の歌」(11頁)
「大船音頭」(12頁)
「松竹キネマ大船撮影所配置図」(裏表紙裏)
「一人息子 陽春の映画界を賑わす松竹大船映画」(裏表紙)
附録「松竹キネマ株式會社大船撮影所建設工事概要」(工事施工 株式會社竹田組)

『週報・新宿松竹館』(1936年4月22日発行、新宿松竹館、12頁)

「小津安二郎監督第一回トーキー
原作・ジェームズ槇 一人息子」(9頁)

『日本映画監督協會設立通知書』(1936年5月発行)

日本映画監督協會設立の通知書
発起人として、小津を含め23名の監督の名前がある。

『キネマ旬報』No.575(1936年5月11日発行、キネマ旬報社、120頁)

表紙:アイリーン・ダン
花屋太郎「新選読者寄書 陽春愚言抄」(75頁)
※冒頭引用する。「山中貞雄は秋山耕作と共に小津安二郎を私淑している。小津先輩はこの二人を愛している。」
「日本映画紹介 一人息子」(107頁)
松竹・大船
原作 ジェームス・槇
脚色 池田忠雄
同  荒田正雄(ママ)
監督 小津安二郎
撮影 杉本正二郎
録音 茂原英朗
作曲・演奏指揮 伊藤宣二
配役
野々宮つね 飯田蝶子
息子良助 日守新一
その子ども時代 葉山正雄
杉子 坪内美子
大久保先生 笠智衆
細君 浪花友子
おたか 吉川満子
富坊 突貫小僧
解説 待望久しかりし小津安二郎監督の第一回トーキーである。
略筋
「本邦撮影所通信 松竹(大船)小津安二郎は、既報「一人息子」の信州田舎家セットを再び撮影中。」(118頁)

『映画評論』第十八巻第一号(1936年6月1日発行、映画出版社、268頁)

野田高梧研究
小津安二郎「ひとこと」(21頁)
※野田高梧氏の近影、小津監督の署名があるが、晩年のどの署名とも似ていない書体であり、安二郎と判読難しい。
稲津延一「野田高梧評伝」(22-26頁)
安田清夫「脚本家野田高梧」(27-34頁)
瀧澤初芳「野田高梧及び小津安二郎-こんなこともいえるのではないか」(35-44頁)
泉洋之介「野田高梧と會社員生活者-生活と感情との把握-」(45-51頁)
「野田高梧作品目録」(52-59頁)
上野一郎「映画批評 非常線の女」(147-148頁)

『月刊映画と演藝』第十三巻第六號(1936年6月1日発行、東京・大阪朝日新聞社、94頁)

表紙:チャーリー・チャップリン
「初夏の日本映画 松竹『一人息子』」(32頁)
※飯田蝶子・葉山正雄 さあいよいよ小津安二郎君のトーキーである。録音は、茂原技師による「SMS式」、題材は昨年計画した「東京よいとこ」。

『映画評論』第十八巻第八号(1936年8月1日発行、映画出版社、180頁)

特集:映画藝術読本
大塚恭一「日本映画監督論」(84―106頁)
※「五所平之助に次いで蒲田の最前線に進出したものは小津安二郎である。彼は傾向映画の全盛を他所に『大學は出たけれど』(昭和四年)、『結婚學入門』『落第はしたけれど』『お嬢さん』の如き喜劇作品の中に、現実を見る鋭い眼を以て、小市民生活の哀愁を描いた。」(94頁)「永年の協力者茂原技師の新システムによってその第一回トーキー作品を手がけんとする小津安二郎は、異色ある喜劇監督として現在最初のトーキーを製作中の斎藤寅次郎とともに、現在までの所無声映画の世界に取り残されている。」(100頁)

『丸ノ内松竹劇場ニュース』No.117(1936年9月1日発行、丸ノ内松竹劇場、12頁)

「小津最初の全發聲 一人息子
 藝術の秋-秋の訪れと共に喜ばしきこの名畫」(11頁)

『丸ノ内松竹劇場ニュース』No.118(1936年9月10日発行、丸ノ内松竹劇場、12頁)

「近日開催 ▲一般公開に先ち当劇場にてミッド・ナイト・ショウ開催
 一人息子 小津安二郎 第一回 全發聲 ミッド・ナイト・オープニング・ショウ
 深夜有料試写會 講演 小津安二郎 飯田蝶子 其他 50銭均一 於 当丸ノ内松竹」(3頁)
「九月第四週封切予定 一人息子」(8頁)

『丸ノ内松竹劇場ニュース』No.119(1936年9月18日発行、丸ノ内松竹劇場、12頁)

「「一人息子」に対する期待
 (1)(2)(3)
 22日夜9時 一般公開に先ち当劇場にてミッド・ナイト・ショウ開催
 一人息子 小津安二郎第一回全發聲
 深夜有料試写會 講演 小津安二郎 飯田蝶子 岩崎昶氏 其他 50銭均一 於 当丸ノ内松竹」(3頁)
「名匠小津安二郎最初の全發聲作品 一人息子 次週封切」(6頁)

『浅草帝國館ニュース』No.389(1936年9月18日発行、浅草帝國館、12頁)

「沈黙の謎を解きて今こそ起き上がる名匠小津安二郎の輝く一聲作品愈々完成!! 一人息子」(6-7頁)

『一人息子試写会招待状』(1936年9月19日発行、松竹キネマ株式会社、1頁)

「一、日時 九月二十二日(火)午後九時
 二、場所 丸之内松竹劇場
 『一人息子』」
「封筒 松竹大船撮影所 企画部」

『キネマ旬報』No.588(1936年9月21日発行、キネマ旬報社、115頁)

表紙:ケティ・ガリアン
全面広告「一人息子」(100頁)
「本邦撮影所通信 松竹(大船)小津安二郎氏の「一人息子に」次ぐ第二回トーキーは、心境的作品と異なったスペクタクル的な作品を制作と内定し、直ちにオリジナル・ストーリーの構成に着手。」(113頁)

『一人息子 深夜有料試寫會』(1936年9月22日発行、丸ノ内松竹劇場、4頁)

小津安二郎作品 一人息子 深夜有料試寫會
プログラム(九月廿三日)※廿二の誤植
一、朝日世界ニュース 9:00PM-9:10PM
二、講演       9:12PM-9:27PM
  小津安二郎、飯田蝶子、岩崎昶
三、一人息子     9:32PM-10:58PM

スタッフ、配役、梗概
  

『キネマ旬報』No.589(1936年10月1日発行、キネマ旬報社、126頁)

表紙:ロチエル・ハドソン
横手五郎「小津とトーキー」(10頁)
※冒頭を引用する。「トーキーが怖くて、手が出ないんだろう、などと口善悪ない連中に取沙汰されていた、サイレント映画最後の騎士、小津安二郎がいよいよトーキーに進出した。長い間の懸案がやっと解決された感じで、われわれ見物の側も肩の荷が下りたのだが、さて、その成績はどんなものだったか。-一口に言うと、小津安二郎はトーキーだろうが、サイレントだろうが、遂に小津安二郎だということである。」
水町青磁「主要日本映画批評 一人息子」(115頁)
「本邦撮影所通信(9月25日調査)松竹(大船)小津安二郎は「一人息子」に次ぐ第二回全発声作品を準備中」(124頁)

『オール松竹』第15巻第10號通巻172號(1936年10月1日発行、映画世界社、112頁)

表紙:川崎弘子
坂本武「出来ごころと喜八」(55頁)
「松竹スタジオニュース 8月12日調査」(108頁)
※小津安二郎氏は、全発声第一回作「一人息子」を鋭意撮影続行中である。

シナリオ文學全集委員會代表岸松雄『シナリオ文學全集第二巻 日本シナリオ傑作集』(1936年10月30日発行、河出書房、416頁)

グラビア「一人息子」
「一人息子」(小津安二郎作品)129-162頁
人生の悲劇の第一幕は親子となったことにはじまっているー侏儒の言葉-から始まる
岸松雄「跋(おくがき)」(403-416頁)
※「一人息子」について、次のように書いている。「これは前に「東京よいとこ」なる題名の許に企画されサウンド版として製作される予定であったものであるが、主演者の病気などによって一時中止され、改めてトーキーとして製作されるに到ったものである。小津安二郎がトーキーに中々手を染めないでいる間中、トーキーさへ撮ればガラリ一変した小津作品が生まれるように方言して歩いていた連中を知っているが、さて「一人息子」が出てしまうとそれらのひとびととは唖のように黙りこんでしまった。トーキーとなっても依然として小津安二郎は固有のスタイルを守りつづけていたからであろう。そのことを怪しむ必要は毫(すこし)もない。映画作家のスタイルは個性から滲み出たもの、浪花節の文句ではないけれど、こいつは死ななきゃ直らない。ジュリアン・デュヴィヴィエは夥しいスタイルを身に付けている作家であるとはいわれるが、あれはまだスアイル以前のもの、言うならばデュヴィヴィエは目下スタイルを持とうと努めている最中なのではあるまいか。」

『セルパン』第69號(1936年11月1日発行、靑年社、156頁)

「最近の映画批評の再検討」
筧清「『一人息子』その他」(112―114頁)
井伊亞夫「新聞批評の惰眠 *小津安二郎の「一人息子」評に就いて」(114―116頁)
今村太平「小津安二郎のテンポ」(116―117頁) 

『淑女は何を忘れたか』台本(1936年11月23日発行、松竹株式会社企画部、226頁)

紐綴じ、ガリ版刷、表紙に「小津組」の印あり
最終頁に、「11.11.23」という表記あり

『セルパン』第70號(1936年12月1日発行、靑年社、154頁)

小津安二郎「映畫雑記」(96―97頁)
※無声映画を撮影するときのキャメラの回転数と発声映画の場合のそれを比較し、発声映画の場合の有音と無音のカットを繋げる場合の問題について述べている。

『オール松竹』第15巻第12號通巻174號(1936年12月1日発行、映画世界社、112頁)

表紙:高杉早苗
岸松雄「今年度松竹映画に関する感想」(38-39頁)
※小津監督の「大學よいとこ」「一人息子」に関する言及がある。
「銀幕のアベック 笠智衆・坪内美子」(70頁)
※「とんかつ」と書いた旗が工場街の空に舞っていた「一人息子」。大久保先生と杉子の現実ならぬ映画から、映画ならぬ現実への復帰した姿です。
小松海作「『一人息子』管見」(94-95頁)
「大船新聞 笠智衆スター陣へ」(100頁)
※「一人息子」の大久保先生を演じて名声富に上った大船のかくれたる名優笠智衆は、各方面から絶賛を博し大船においても彼をスターとして起用することに決定、野村監督の全発声「人妻椿」の網元の役で活躍するのを手始めとして将来大船の堅塁スターダムの一雄として頑張ることになった。
「大船新聞 小津監督の第二回トーキーで 岡田嘉子大船に返り咲く 松竹スター陣充実」(101頁)
※今春松竹と契約期間満了と共に小津作品「東京の宿」を最後に幾多映画界への功績を残して松竹蒲田を去り、舞台に走っていたが、今回再び銀幕に、約半年ぶりで大船に返り咲く模様である。
「松竹スタジオ 10月22日調査」(108頁)
※小津安二郎氏は、次回作品は池田忠雄、伏見晃の脚本による全発声と決定、脚本脱稿次第準備にとりかかる予定である。第一回全発声「一人息子」に次ぐ同氏の作品は、いろんな意味に於いて各方面から注目が注がれているが、ここで方向を一転して徹底的明朗篇を発表することになった。

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