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小津監督を巡る文献・資料

小津安二郎を巡る関連文献・資料

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1934年の関連文献・資料

1934
『冨士新年號附録 映画花形大寫眞帖』第七巻第一號附録(1934年1月1日発行、大日本雄辯會講談社、128頁)

「齋藤達雄 生まれてはみたけれど」(20頁)
「岡田時彦 美人哀愁」(33頁)
「高田稔 大學は出たけれど」(66頁)
「青木富夫 突貫小僧」(87頁)
「大日方傳 出来ごころ」(112頁)
「飯塚敏子 淑女と髯」(115頁)

『S.Y.ニュース』第三十三號(1934年1月14日発行、松竹洋画興行社宣傳部、16頁)

「春は朗かに!一幕二場 蒲田實演 
 演出 小津安二郎
 原作 野田高梧
 装置 金須孝
 配役 岸本卓二‥日守新一
    妻 里子‥及川道子
    兄 耕一‥大山健二
    妻 富子‥飯田蝶子
    女中お豊‥江坂静子
    女中お初‥秋田道代 
 梗概           」(7頁)
 

『月刊ライカ』第一巻第二號(1934年2月1日発行、アルス、64頁)

小津安二郎「静物」(37頁)
五所平之助「夜の酒場で」(37頁)
木村伊兵衛「玩具店」

『横濱常設館週報』第一二一號(1934年3月14日発行、横常編輯部、8頁)

「蒲田春季特作 母を恋はずや」(2頁)

『キネマ旬報』No.500(1934年3月21日発行、キネマ旬報社、104頁)

表紙:ケイ・フランシス
「日本映画紹介 母を戀はずや」(95頁)
「撮影所通信 松竹蒲田通信(3月13日調査)小津安二郎氏は、「母を戀はずや」を鋭意撮影中。」(103頁)

『キング』第十巻第四號(1934年4月1日発行、大日本雄辯會講談社、648頁)

「映画監督打明け話座談會」78-91頁
出席者(イロハ順)池田義信、石山稔、野村芳亭、小津安二郎、五所平之助、清水宏
※小津監督の発言を取り上げてみよう。小津監督は9回発言している。
小津「どういう人が伸びるかというと、しっかり個性を持った人です。直ぐ有名なスターを真似たり、同化したりするような人は、決して成功しません。真似したのでは、そのスター以上になれませんからね。聡明な人、美しい人もよいが、しかし、それだけでは足りない。例えば、線の太い人、或いは反対に性格的な弱い線を持った人、いずれにしても特徴のある型の人がその持ち味を生かすことによって成功します。例えば岡譲二君など線が太くて、活躍していますし、この間亡くなった岡田時彦君などは千の弱い人ですが、やはり、その弱さを生かしてた役者でした。だから顔ばかり美しくても駄目です。むしろ口だけで親しめる人、という具合に全体的に言えば不均衡な容姿の人でも、その特徴によって成功している例が沢山あります。松之助は口と眼に魅力がありましたし、栗島さんなどはあのやや腫れぼったいようなーというと池田さんが怒るかもしれないが、あそこがやはり一つの特徴でしょう。」
小津「映画を製作するのは、せんべいを焼くのと同じで、何時も同じことをしているように思うのですが、結局、一本一本違います。人はどう見るか知らぬが、自分としてはそれぞれに力を入れているつもりです。で、五年前のものでも、今から見れば幼稚かも知れないが、あの時はあれでよかったと思う。しかし、田舎の常設館などで、自分の古びた、キズだらけの写真をみると、ちょいと淋しくなりますね。」
31歳、監督歴6年の小津が、自分の作品を見ること、そしてその感想に言及していることは興味深い。

『出来ごころ/刺青判官』(1934年4月13日発行、山口金龍館)

朽る事なき藝術の光彩是ぞ映画界の宝玉編
松竹蒲田現代劇部藝術作品超得策
長屋紳士録第一話 出来ごころ
監督 小津安二郎
原作 ゼームス槇
脚色 池田忠雄
撮影 杉本正次郎
坂本武 大日方傳 伏見信子 主演
小津監督の繊細な神経がまざまざと描き出す人間の寂しき本性
裏店の三十男そして青年 街で拾った処女の涙の甘さ一抹の哀愁!
温情と思慕と侠気の織り綯ひそこに醸される愁ひと喜びの表情
集の香りも高き明朗な珠玉篇!これど蒲田の代表的作品

『スタア』第二巻第八號通巻第二十三號(1934年4月15日発行、スタア社、30頁)

表紙:ドロレス・デル・リオ
「松竹新作 『母を戀はずや』(小津安二郎監督作品)(20頁)
※グラビア「上段右と左:大日方傳と逢初夢子、二段左、大日方傳と三井秀男」

『キネマ旬報』No.503(1934年4月21日発行、キネマ旬報社、108頁)

表紙:アンナ・ステン
「旬報グラフィック 小津安二郎と山中貞雄」(93頁)
※鴻毛よりも軽い仕事帽を冠った小津安二郎と、長い顎を外套の襟に深く埋めた山中貞雄とは、そこでもう一人の腕の良い職人清水宏のキャメラに収められたというわけ
「小津安二郎の「母を戀はずや」の逢初夢子と大日方傳」(98頁)
※松竹大船通信掲載なし

『蒲田』第十三巻第五號通巻一四二號、五月春季特別號(1934年5月1日発行、蒲田雑誌社、150頁)

表紙:川崎弘子
「新作ピックアップ 『母を戀はずや』」(34-35、39-38頁)
飯田心美「人間・小津安二郎」(60-61頁)
「映画物語『母を戀はずや』」(90-91頁)
菊池三之助」「蒲田スタヂオ キャメラ行脚」(92-93頁)
※一部抜粋する「いちばん新しい仕事らしい仕事をしている小津安二郎監督が、同じやうに是も、時代劇方面で好い仕事をしている日活の山中貞雄監督を連れて来て、二人して漫然と撮影所内を万遍なく案内して歩いている。普段、それもチョンマゲ物ばかり撮っている山中監督には、蒲田でかうして現代劇を撮っているのを見るのが、相当に珍しいらしい。このふたりの並べて撮るのは、相当興味があるではありませんか?」(小津と山中のショットあり)
エム坊「撮影所日記 十九日 昨年度優秀映画の会がキネマ旬報社主催で午後六時から報知新聞社講堂で開かれた。蒲田、小津監督作品で「出来ごごろ」が昨年度優秀映画として当選されたので、今夜は表彰式を兼ね、同映画を上映するので、小津監督を始め阪本武、飯田蝶子、突貫小僧が舞台より挨拶する。大盛会であったといふ。」(130頁)
「松竹スタジオニュース 蒲田通信 小津安二郎氏は、昨年八月「出来心」を発表以来休養だったが愈々半ヶ年に亘る準備を終え小宮周太郎原作、野田高梧構成、池田忠雄脚色になる『母を戀はずや』に着手した。

『大松竹』第九巻第五号(1934年5月1日発行、映光社、100頁)

表紙:水久保澄子
グラビア「母を恋はずや」(20-21頁)
「映画物語 母を恋はずや」(80-82頁)

『帝國館ニュース』No.267(1934年5月4日発行、浅草帝國館、12頁)

「近日封切 母を戀はずや 名匠小津安二郎」(8頁)

『SHINTOMIZA NEWS』(1934年5月4日発行、新富座、12頁)

「近日封切 母を戀はずや 小津作品」(9頁)

『三日月次郎吉・母を恋はずや・生さぬ仲』(1934年5月11日発行、演藝館、1頁)

「松竹蒲田大名篇・監督・巨匠・小津安二郎快心の作品 あなたの胸にしみじみふれるときの感傷 心が淋しさに慄へる時 胸が悲しさに泣く時!限りなく恋しきは溢るるばかりの母の愛」
発行日がないので、封切日とした。

『上のすずもと・ニュース・上野鈴本キネマ週報』No.22 (1934年5月17日発行、上野鈴本キネマ、4頁)

「母を戀はずや
 原作 小宮周太郎
 監督 小津安二郎
 構成 野田高梧
 脚色 池田忠雄
 撮影 青木勇・荒田正男
 配役、梗概
 説明 美山晴香・戸田紫朗」(2頁)

『松竹座週報』第八一二號(1934年5月24日発行、松竹キネマ直営金澤松竹座、4頁)

「近日封切 母を戀はずや 小津安二郎監督作品」(2-3頁)

『映画観賞券』(1934年5月26日発行、名古屋学生映画聯盟、1頁)

「映画観賞券 三文オペラ(G・W・パプスト)
       出来心(小津安二郎)
 主催:名古屋学生映画聯盟
 後援:大阪朝日新聞支局
 時:昭和九年五月二十六日・夕六時
 所:市公会堂

『キネマ旬報』No.507(1934年6月1日発行、キネマ旬報社、114頁)

表紙:マーガレット・リンゼイ
白川朝夫「読者寄稿欄 「母を戀はずや」に関するきれぎれなる感想」(71-72頁)
岸松雄「主要日本映画批評 母を戀はずや」(106頁)
「撮影所通信 松竹蒲田通信(5月23日調査)小津氏:欠」(114頁)

『松竹座ニュース』第六巻第二十五號(1934年6月13日発行、札幌松竹座、16頁)

「近日公開 蒲田特作 母を恋はずや 小津安二郎監督
 一年の沈黙を破り、更に新たな心境を以て新傾向の
 作品を発表せんとする小津監督の自信篇

 面白い映画を作り得る監督は沢山いる。しかし眞にわれわれの心を打つ映画を作り得る作家は日本では小津安二郎唯一人である。
この作品は巷に溢れる無数映画とはまるで段違いな高い世界に座しているような気がする、小津安二郎を讃える世の映画學徒たちの八釜しいほどの讃辞も別段不当でないと思われるような作品である。
 先ず何より誉められていいのは題材の掴み方である。同時に、彼が掴んだ題材の性格である。そこには窺える題材のあらゆる細部に透徹する小津安二郎の誠実のこもった心づかいがある。
 夫の先妻の子を本当の子よりも愛しようと力める母性、弟に対するよりもつと優しい母の心づかいを訝り、厭ふ兄、この二つの心が食い違って醸される悲劇を真正面から取り組んで描き得る素質の映画作家が日本で小津安二郎を除いて一人でもいただろうか。恐らくいないように思われる。」(11-12頁)

『映光』第三號(1934年6月20日発行、関西学院映画研究會発行、46頁)

日比武彦「映画が藝術であることと 小津安二郎の場合」(16‐18頁)
太田憲治「小津安二郎」(21‐22頁)

『月刊映画と演藝』第十二巻第七号(1934年7月1日発行、東京・大阪朝日新聞社、48頁)

表紙:久美京子、櫻緋紗子、大空ひろみ
筈見恒夫「『彼』の心境 小津安二郎との一問一答」(19頁)

『映画藝術研究』第二年第九輯(1934年7月4日発行、藝術社、200頁)

The Study of Cinema No.9
三木伸太郎「小津安二郎に関する覚書」(62―71頁)
※冒頭を引用する。「真っ向から、小津に、天才だなんて呼べば、恐らく氏はテレ臭い思ひをするに違ひない。實のところ、彼の作風は天啓的匂ひをもっているのだから、決して過分な讃辞じゃないのだが、なんしろ、根が静謐で謙譲ときているんだから、大向ふ的呼称は適さないのであるらしい。僕は彼をスタジオや銀座舗道で数回見かけたことがあるが、始めて見た時なんか、すっかり面喰ってしまったのである。何に面喰ったかというと、作品を通じての想像から割り出した風貌と事実とは大変な相違であったことにである。お見かけ申したところ、どうみたって、棟梁のやうな角ばった骨格と、土方のやうな肌目の荒い皮膚をしているのである。この人が、あの繊細な感受性と、温容な風格を漂はせた作品を作るのか、と一応は疑った程である。」

『キネマ旬報』No.518(1934年9月21日発行、キネマ旬報社、126頁)

表紙:カザリン・ヘップバーン
「旬報グラフィック 浮草物語」(111-112頁)
「日本映画紹介 浮草物語」(116頁)
「撮影所通信 松竹蒲田通信」:欠

『丸ノ内松竹劇場ニュース』No.17(1934年10月3日発行、丸ノ内松竹劇場、12頁)

「瓦版かちかち山
 原作 ゼエムス・槇
 監督 井上金太郎
 脚色 荒田正男
 撮影 伊藤武夫
 配役、梗概」(7頁)

『横濱常設館週報』第百五十三號(1934年10月3日発行、横常編輯部、8頁)

「近日封切 サウンド版 浮草物語」(3頁)
「瓦版カチカチ山 スタッフ、配役、梗概」(3頁)

『むなしの・週報』No.77(1934年10月18日発行、池袋武蔵野館、4頁)

「瓦版かちかち山 原作 ジェームス・槇 
         監督 井上金太郎
         脚色 荒田正男
         撮影 伊藤武夫 梗概」(3頁)
「近日公開 蒲田大作サウンド版 浮草物語」(4頁)

『KINRYUKAN NEWS』No.645(1934年10月19日発行、松竹キネマ特約金龍舘、4頁)

「母を戀はずや 松竹キネマ蒲田特作映画
 原作 小宮周太郎
 脚色 池田忠雄
 監督 小津安二郎
 撮影 青木勇
 配役、梗概」(2-3頁)

『東洋キネマ・ニュース』No.47(1934年11月8日発行、九段 東洋キネマ、4頁)

「近日封切 浮草物語」(3頁)

『週報・新宿松竹館』vol.10 No.440(1934年11月8日発行、新宿松竹館、12頁)

「鬼才小津安二郎監督作品
浮草物語 オール・サウンド版 鎌田特作映画
旅から旅へ、浮草家業の旅藝人に描かれてゆく、人情恩愛の極致、鬼才小津安二郎が得意の心境もの。」(11頁)

『丸ノ内松竹劇場ニュース』No.24(1934年11月15日発行、丸ノ内松竹劇場、12頁)

「浮草物語 スタッフ、キャスト、梗概」(4-5頁)

『上のすずもと・ニュース・上野鈴本キネマ週報』No.23 (1934年11月22日発行、上野鈴本キネマ、4頁)

「次週上映 蒲田超特作 サウンド 浮草物語」(表紙)

『横濱常設館週報』No.160(1934年11月22日発行、横常宣傳部、8頁)

「サウンド版 浮草物語 配役と梗概」(2-4頁)

『浅草帝國館』(1934年11月22日発行、浅草帝國館、1頁)

「浮草物語、殿様隠密、流行小唄の独唱」(1頁)

『帝国館ニュース』No.296(1934年11月22日発行、浅草帝國館、12頁)

「サウンド 浮草物語
原作・脚色 池田忠雄
監督    小津安二郎
撮影    茂原英雄
喜八    坂本武
おつね   飯田蝶子
信吉    三井秀男
おたか   八雲理恵子
おとき   坪内美子
とっさん  谷麗光
富坊    突貫小僧
マア公   山田長正
梗概        」(6頁)
「プログラム
 サウンド 浮草物語 解説 淺井錦麗 西村小楽天 靜田錦波」(7頁)

『浮草の歌・しぐれ旅』(1934年11月、ポリドールレコード)

流行歌「浮草の歌 松竹映画『浮草物語』より
(佐藤惣之助作詩、大村能章作曲)
新橋 喜代三 三味線 豊吉 日本ポリドール管弦楽団 2106-A
流行歌「しぐれ旅 松竹映画『浮草物語』より
(佐藤惣之助作詩、三界稔作曲)
東海林太郎 日本ポリドール管弦楽団 2106-B

『澁谷劇場・ニュース』No.50(1934年11月29日発行、澁谷劇場、4頁)

「サウンド 浮草物語、スタッフ、配役、梗概」(3頁)

『巣鴨松竹ニュース』No.24(1934年11月29日発行、巣鴨松竹館、6頁)

「次週上映 浮草物語」(表紙)

『松竹』第五巻第十二號(1934年12月1日発行、豊國社、164頁)

表紙:田中絹代
グラヒック「浮草物語」(29頁)
「松竹蒲田撮影所製作日報 小津安二郎監督 「浮草物語」九月十八日着手 十月十日進行中」
※九月十七日から二十九日までの動きが書かれている。

『キネマ旬報』No.526(1934年12月11日発行、キネマ旬報社、96頁)

表紙:バーバラ・スタンウィック
今津好「読者寄書 編輯部選 「浮草物語」から」(69-70頁)
北川冬彦「主要日本映画批評 浮草物語」(84頁)
※冒頭を引用する。「この間の記念旅行で、どこであったかははっきり覚えていないが、どこかの座談会で、「小津安二郎は古風な人なのではありませんか」という質問が出た。その時、私も「そうですよ」と言ったと覚えるが、岸君は、「勿論そうですよ」と言っていたが、この作を見て、いよいよその感を深くした。恐らく読者諸氏もそうに違いなかろう」
「撮影所通信 松竹蒲田通信(12月3日調査)小津安二郎氏は、新春作品から方向転換を見せるべく目下ストーリーを選定中。」

『丸ノ内松竹劇場ニュース』No.28(1934年12月22日発行、丸ノ内松竹劇場、12頁)

「出来ごころ」(28日-29日)(5頁)
「サウンド版 箱入娘」鬼才・小津監督が描く涙の喜劇(10頁)

『帝國館ニュース』No.300(1934年12月31日発行、浅草帝國館、11頁)

「サウンド蒲田大作 箱入り娘
★正月第四週
原作 式亭三右
脚色 池田忠雄
監督 小津安二郎
撮影 茂原英雄
音楽指揮 早乙女光

竹内良一
田中絹代
飯田蝶子
坂本武
突貫小僧
大塚君代
井上雪子
大山健三
忍節子
・蒲田総動員」11頁

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