全国小津安二郎ネットワーク

小津監督を巡る文献・資料

山中貞雄『日本シナリオ文学全集 山中貞雄集』(1956年1月20日発行、理論社、233頁)

岸松雄「解説」(225-233頁)
※小津との交流に関する部分を引用する。
「山中貞雄が監督になってから、初めて東京へ出て来たのは、日活に移った昭和八年の初春だった。その前年、偶然にも《山中貞雄の発見者》の栄誉を担うことになった私は、西下して本人の山中貞雄と初めて対面した。以来、親しい交わりを続けるようになった。
 山中が初めて東京へ出てくると、私は彼を連れて、当時未だ蒲田にあった松竹の撮影所を訪れ、そこで小津安二郎や清水宏に引き合わせた。山中は忽ち小津や清水と親しくなり、それから私以上に彼等と深い交わりをするようになった。このことは、それからの山中の作品に非常に大きな変化をもたらした。
 まったく、山中の、小津や清水に対する傾倒の深さは、おどろく程であった。例えば小津の作った『非常線の女』では、やくざな男女が堅気になって平和なくらしがしたいとねがい、出来ることなら”小鳥が啼いて””芝生があって”ささやかながらも美しい一軒の家を持ちたいと夢みる場面がある。山中はその”小鳥が啼いて””芝生があって”というタイトルが余程気に入ったらしく、それからは、シナリオを書きながらも、酒飲みながらも、ひとり楽しそうに口ずさむほどであった。」(229-230頁)

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