2020.04.05
『映画評論』第15巻第10号(1958年10月1日発行、映画出版社、158頁)
佐藤忠男「第一線監督論」(24-27頁)
※冒頭を引用する。「小津安二郎の『彼岸花』に、随分下卑たセリフがある。「お手洗い」などという言葉が何度も繰返され、そのたびに客を笑わせているのもどうかと思うけれど、男の方が強いと女の子が生まれ、女の方が強いと男の子が生まれる、などという会話を”ギャグの三段返し”で繰返し笑いのタネにつかっているのもいい気なものだなあと思う。勿論、我々誰しも、日常もっと猥雑な話をしている場合が多いから、会話の卑俗さそれ自体は大して問題ではないが、我々なら、そういう卑俗な話題の通じる仲間同志の解放された雰囲気を一生懸命享受しようとして、ついぶざまに表情を崩したり、下卑た口調になったりするところを、この映画では、ひどくおおように紳士然と構えた連中が、もっともらしい態度のまま、ろくに表情も動かさずに話し合っているために、なんとなく、通人、あるいは粋人の会話といった感じになる。そこで観客は、日頃自分たちが、いくぶん後ろめたい感じで喋っている程度の話題や趣味のままで、通人で物分かりのいいお金持ちたちのサロンに、さあさあどうぞ、と気易く招待されたような気分になり、なんとなくなごやかで幸福なみたいな気持になってしまう。」
酒井章一、村松剛「『彼岸花』をめぐって」(58-61頁)