全国小津安二郎ネットワーク

小津監督を巡る文献・資料

『キネマ旬報』No.462(1933年2月21日発行、キネマ旬報社、84頁)

表紙:ルーペ・ベレス
「キネマ旬報主催、昭和七年度推薦名画鑑賞会
日時:三月七日午後六時開会
場所:丸ノ内朝日講堂
会費:金五十銭
プログラム 一、開会の辞 田中三郎
      二、挨拶 小津安二郎
      一、映画「生まれては見たけれど」説明 池田重近」(9頁)
北川冬彦「雑感一束 四、小津安二郎賞讃」(53頁)
※冒頭を引用する。「古いことばかりをいうようであるが、小津安二郎の『また逢う日まで』はいい映画であったことがなかなか忘れられない。コンティニュイティの緻密、カメラの正確、それは人々のいうところで、もちろん僕としても異議のないところなのだが、僕はあの映画の音響、伴奏にも相当感心したのである。ことに音響として、品川駅で発車する汽笛の音はすこぶる効果的であった。機関車の前半の上部の大寫が画面に出、白い汽笛の蒸気が噴き出すとともに鳴り出したあの汽笛の音は、別離の感情を十分に唆った。別離と言えば、老婆と恐らくその息子だろう。兵士とが別れを告げているところがあったが、あそこはひどく僕を打った。」
滋野辰彦「たわごと」(54頁)
※全篇、「東京の女」について書かれている。
北川冬彦「主要日本映画批評 東京の女」(76頁)
「日本各社撮影所通信 松竹蒲田通信(2月14日調査)小津安二郎氏は、「東京の女」を完成して、一時撮影を中止していた「非常線の女」を再び開始した。
「東京の女」
※冒頭を引用する。「小津安二郎の作品が興行的に成功した例は今迄に少ないようである。恒に、失敗しているという訳ではないが、何時も彼のものは普通の入りで、あまり栄ある興行成績を記録した例は今迄にないようである。例えば、最近の「青春の夢いまいづこ」「また逢う日まで」でも、わるい入りではなくとも普通の成績を出でたことはない。だからと言って、小津作品が興行的に意味を持たないのではなく、逆に立派な意義を持っている。小津作品というものは、他の松竹の現代映画が包含している観客層以外のものに、恒に触手を伸ばし、そして現在獲得している。例えば、知識階級層である。この層に今後深く食入る作品は、小津安二郎のものを置いて他にない。」

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