全国小津安二郎ネットワーク

小津監督を巡る文献・資料

『キネマ旬報』No.1080 第ニ六五号(1960年8月15日発行、キネマ旬報社、149頁)

「キネマ旬報 無題欄」(58頁)
中川信夫「小津安二郎」(58頁)
「今夜はすこし酔っております。麦酒を二本のみました。
むかし、おそらくは三十幾年前です。京都、第二京極の
小便くさい館で、無声映画「宝の山」を見ました。それが、
小津安二郎ファンになるキッカケでした。
三十年ぶりで、先夜、その、小津安二郎と或るバーでのむ
チャンスがありました。むろん小生と二人でなく、誰かが
同座しました。
小津安二郎は、理屈を、ひとつもいわなかったのです。
私淑ということば。
それがぴたりとわたくしには当てはまります。「宝の山」
から後は、見おとした作品はありません。
要之、小津安二郎と同座したよろこびを伝えれば、以て、
冥すべき(ママ)と思います。
小津安二郎は、ノッポで、小津安二郎は酒をのみ、
小津安二郎は、いつも小津安二郎で、小津安二郎は、野田
高梧と仲よしで、小津安二郎は、じぶんの道をまっすぐにつっ走るひとで、
小津安二郎は、日本の生んだ最も、ユニイクな映画監督で、
小津安二郎は、
小津安二郎は、
小津安二郎は、
ああ、
小津安二郎は、
小津は、
安二郎は、
ウソがいえない人だ。
小津安二郎は、
小津安二郎は、
千手観音じゃない。
小津安二郎ヨ、
ここらで一寸ねむります。
註曰(ダビング中で、すいみん不足で、とてもねむいです。)」
「あの日 私はこうしていた!」(64―83頁)
小津安二郎「酒と敗戦」(68―69頁)

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