全国小津安二郎ネットワーク

小津監督を巡る文献・資料

『オール松竹』第17巻第3號(1938年3月1日発行、映画世界社、120頁)

芥圭介作「第一 さらば、小津伍長 一景」
時-昭和12年9月上旬のある日、晩夏の陽が西に傾いた午後五時過ぎ。
處-大船撮影所の本館正門玄関前、ポオチに飾られた松竹のマアクが、西陽に照り映えて美しい。祝出征・小津安二郎君の幟が数本、吹く風にはためいている。手前は、玉砂利。
 ブラスバンドの奏でる勇ましい”天に代りて”の楽の音と共に幕が上がる。間もなく正面の扉が開かれ、大船楽団を先頭に、五分刈り頭も凛々しい小津伍長を始め城戸所長・池田製作部長・古田事務部長・守安秘書・それに続いて、監督・脚本部員・スタア・裏方‥‥等全員が、手に手に日の丸の小旗を持って登場、広場に整列する。その時、爆竹が甲高く鳴り渡る。
 先ず、城戸所長は荘重な歩みを国旗掲揚場に進めて、恭しく紐を把る。ブラスバントは”君が代”を奏で、全所員が和唱する。島津監督も、田中絹代も、坂本武も‥皆んな心から唱ひつづける。それに和して、スルスルと昇った栄ある日章旗は、恰ら勇士・小津伍長の征途を祝福するかのように、吹き渡る風を孕んで翻翻と飜る。何なしか、小津伍長の目頭がキラキラ光る。やがて、国旗掲揚が終了する。
 城戸「(一同に向かって挨拶して)ー今事変は今更言うまでもなく、全東洋の平和のために、暴支膺懲を期する聖戦である。その栄えある聖戦に赴いた勇士諸君の中に、我が大船からも、既に十指に余るほどの戦士を送ることができたことは、この上もなく喜ばしい。しかも、今日また大船にー否、わが映画界に、その人在りと知られた最も良心的な作家・小津君が、お召しによって、遠く戦線に首途されることになったのは、諸君と共に心から慶祝すると共に、小津君の武運長久を節に祈るものである。今、首途に当たって、小津君としては、実は、数日前、半歳余に渉って苦吟されて、漸く完成した何物にも変え難い脚本がある。だから、心残りと言っては、せめても、その苦心の作を、フィルムに刻んで出発されたいであろうと思う-。
 と、鳥渡、小津伍長の方を見る。小津伍長は流石に、感慨深げに玉砂利に眸を落としている。この脚本”父ありき”の協力者、池田忠雄も柳井隆雄もホッと嘆息する。あぶら蝉が鳴き始める。」
中略
小津「-お召しによって、これから行って参ります。只今、所長が言われたように、戦場では凝ってエヌ・ジイを出すことはできません。勿論、僕もそのつもりで一発主義であります。皆様も、その点はご安心下さい。それから、脚本のことですが、これも只今では少しも心残りではありません。撮って行かれれば、それに越したことはありませんが、しかし、僕がこの脚本をフィルムに刻むのも、また、戦線にあって一伍長として力闘するのも、いずれにしても国家に尽くしたい念願には少しも変わりありません。(続く)」

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