全国小津安二郎ネットワーク

小津監督を巡る文献・資料

小津安二郎を巡る関連文献・資料

1985年の関連文献・資料

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書誌情報
1985
『映画史研究』No.20(1985年発行、佐藤忠男・佐藤久子編集、96頁)

及川満「「早春」の頃(5)」(75-93頁)

『小津安二郎監督名作選』(1985年1月3日発行、銀座並木座、4頁)

「東京物語」(表紙)

『Shochiku Cinesalon news No.13 小津安二郎フェア』(1985年3月2日発行、松竹シネサロン、4頁)

松竹シネサロン開場一周年記念特別企画「小津安二郎シネフェア」
井上和男「特別寄稿 小津さんを想う-「海の水は何故塩辛いか」

高橋治『絢爛たる影絵-小津安二郎』(1985年5月25日発行、講談社、422頁)

「第一部 春」(7‐109頁)
「第二部 夏」(111‐203頁)
「第三部 秋」(205‐319頁)
「幻のシンガポール」(321-408頁)
「あとがき」(409‐414頁)
E・G・サイデンステッカー「解説」(415-422頁)

結城一朗『実録蒲田行進曲 キネマの都 虹と光の中に』(1985年6月20日発行、KKベストブック、239頁)

「演技派監督-小津安二郎」(161―163頁)
※一部抜粋する。「私が初めて小津作品に出演したのは、『若き日』というスキーを扱った学生ロマンス映画である。ちょうど、田中絹代さんと、九州、中国と御挨拶旅行の途中から急遽呼び戻されて、赤倉温泉スキー場へ出発した。この赤倉温泉が撮影の舞台になったのは、小津監督のキャメラを担当していた茂原英雄氏(後に茂原式トーキーの発明者)の実家が、赤倉温泉で旅館を経営していた関係である。小津監督も茂原キャメラマンも、赤倉スキー場で何度か滑っているということで、信越線田口駅へ降りた時は、鮮やかにスキーを熟していた。ところが私ときたら、スポーツは専ら野球の方で、スキーのスの字も知らない全くの素人である。小津監督の命令で、田口駅ですぐスキーを履かされたが、なんと一歩も歩けない。進もうとすると途端にスッテンコロリンである。」

蓮實重彦『映画はいかにして死ぬか 横断的映画史の試み』(1985年8月10日発行、フィルムアート社、286頁)

「第Ⅳ講 三人の作家 小津安二郎/F・トリュフォー/鈴木清順」(137-228頁)
「小津安二郎1 『麦秋』をめぐって」(138-162頁)
「小津安二郎2 『東京物語』をめぐって」(163-183頁)

蓮實重彦『シネマの煽動装置』(1985年9月20日発行、話の特集、289頁)

「小津を語っても不自然でない時代はジャック・ベッケルを忘却するという不自然の上に築かれている」(95―99頁)
「もうじき小津は外国へ行かないとみられなくなるかもしれない」(134―138頁)
「周防正行の『変態家族・兄貴の嫁さん』は必見の傑作であり、まだ見ることのできぬ黒澤清の新作とベストワンを競うだろう」(230―233頁)
「厚田雄春=レナート・ベルタ対談は創造的な観客が国境を越えて惹き起こした歴史的な事件である」(256―259頁)

『季刊リュミエール1』1985-秋(1985年9月20日発行、筑摩書房、216頁)

「厚田雄春インタビュー 私は小津監督の「キャメラ番」でした」(聞き手:ヴィム・ヴェンダース)(49-53頁)
※1983年4が16日、ホテルプレジデント青山にて、「以上は、『東京画』の撮影に際して行われたインタビューである。ヴェンダースの準備した質問を蓮實が日本語にしてそれに厚田氏が答えている。映画では厚田氏の声と、ヴェンダースによるフランス語の解説がかなさり、『東京画』の最も感動的な部分を構成している。」という註が付けられている。

山田宏一『新版 友よ映画よ <わがヌーヴェル・ヴァーグ誌』(1985年12月10日発行、話の特集、431頁)

全面改稿された増補決定版!書下し120枚、未公開写真32頁。
「日本映画への視線-’66」(169-178頁)
「映画少年の夢-フランソワ・トリュフォーの冒険」(243-274頁)

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