全国小津安二郎ネットワーク

小津監督を巡る文献・資料

小津安二郎を巡る関連文献・資料

1980年の関連文献・資料

全て見る(1376件)
書誌情報
1980
『映画史研究』No.15(1980年発行、佐藤忠男編集、96頁)

及川満「小津安二郎論序説(9)「早春」の頃」(68-75頁)

蓮實重彦・山田宏一『トリュフォーそして映画』(1980年8月10日発行、話の特集、209頁)

フランソワ・トリュフォー:私は、昔、もう十七、八年前(1963年日仏交換映画祭)になりますが、小津の映画を一本だけシネマティークで見て、何がなんだかさっぱり分からなかった。人物たちがいつも座ったきりで、何か飲んだり食べたりしながら、無気力にポツリ、ポツリと喋っている。カメラは据えっぱなしだし、何もかも無気力な印象を受けました。
ところが、最近(1978年)パリで小津の映画が何本か公開されて、『秋日和』とか『東京物語』だとか『お茶漬の味』といった作品を連続してみて、たちまちそのえもいわれぬ魅力のとりこになってしまいました。日本映画は私たちにとっては、単なるエキゾチズム以上に、非常に神秘的な感じがするのですが、小津の作品ほど不思議な魅力に満ちた日本映画は見たことがありません。
フランソワ・トリュフォー:日本的と言えば、これほど日本的な映画もないのでしょうが、それ以上に、私にとって最も不思議なのは、その空間の感覚です。空間と人物の関係、といったほうがいいかもしれない。二人の人物が向かい合って話しているようなシーンがしょっちゅうあって、カメラは盛んに切り返すわけですが、どもこれがにせの切り返しというか、奇妙な切り返しまちがいの印象を与えるのです。小津の映画でカメラが動くことはないのですが、もしカメラが対話をしている二人の間をパンでとらえるようなことがあったとしたら、二人はじっと同じ場所に座っていないで、しょっちゅう場所を変えているに違いないというような印象を与えるのです。普通、向かい合って話をする二人をカメラが切り返しによってとらえる場合には、原則として同じ位置で、つまりこちら側だったらこちら側で、向こう側だったら向こう側で、切り返すわけです。つまり、パンするのと同じことになるわけです。ところが、小津の映画では、例えば一人をこっち側からカメラがとらえたかと思うと、次に相手を向こう側から切り返してとらえるような印象を受ける。これは印象ではなくて、そうしたとしか思えない意図的な演出のはずで、見る側としては、一人の人間の視線を追っていくと、実はそこには相手がいないのではなかという不安に襲われてしまう。カメラが切り返すたびに、そこにもう対話の相手がいないのではないかという‥。(9-10頁)
※このインタビュー(というか鼎談)は、お蔵入りになっていた『緑色の部屋』が岩波ホールで公開されることになり、その宣伝のために、フランソワ・トリュフォーが来日した、1979年12月に、三人で歓談した時のものである。

『現代の眼』第313号(1980年12月1日発行、東京国立近代美術館、8頁)

山本喜久男「小津安二郎論寸感」(2-4頁)
※冒頭を引用する。
「これから、さまざまな人によって書かれた小津安二郎論について論じるわけだが、これは小津安二郎についての全文献の収集と解説をするのではないことをまずお断りしておこう。それに自分はもともと比較映画史をやっているので、結局はおもにそういう視点から目について重要な小津安二郎論をとりあげることになるだろう。比較映画史の視点は追々説明していきたい。」(2頁)
「フィルムセンターだより 小津安二郎監督特集 一月六日~二月二十日」(7頁)

八尋不二『映画の都のサムライ達』(1980年12月25日、六興出版、245頁)

「交遊記 伊丹万作、小津安二郎」(39―49頁)
「小津安二郎」(44―49頁)
※一部抜粋する。「小津安二郎は僕より一つしか年上でないにもかかわらず初対面の時から大人(タイジン)の風格があった。それは山中や鳴滝組と、鬼怒川温泉で例の合作をやっていた時のことで、或る日、黒だったか、グレーだったか、ハッキリ思い出せないが、黒っぽいコートにスーツの大きな男が、「いよう、やってるか」といいながら、自分の室に戻ってきたような気易さで入ってくるなり、ゆったりと胡坐をかいて、煙草をくわえた。それが小津安二郎だった。誰も紹介しないし、お互いに挨拶を交わしたりもしない。それでいて百年の知己の如く、隔てない話に花が咲いて、酒になった。誰もが彼のことを小津ちゃん(オッチャン)というので僕もそう呼んだ。何となく気が合って、それから彼が京都へでると必ず同席したし、また彼は京都が好きで、よく京都を舞台にしたり、そうではくてもシナリオ・ハンチングにかこつけては京都に寄り、いきつけの「なるせ」や「開陽亭」で酒杯を傾けた。酒が入ると機嫌がよくなり、冗談を言ったり洒落を飛ばしたりするが、いくら飲んでも酔い潰れるということは決してなかった。いつも愉快な春風駘蕩たる酒であった。いつだったか、依田義賢が滔々と映画論をブチ始めると、「京都の人は酒の席に仕事の話を持ち込むんだね」と軽くイナされて、依田は途端に鼻白んでしまったことがある。」(45―46頁)

このページのトップへ

このホームページ内のテキスト・画像の無断使用はご遠慮下さい。