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小津監督を巡る文献・資料

小津安二郎を巡る関連文献・資料

1956年の関連文献・資料

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書誌情報
1956
野田高梧・小津安二郎『シナリオ新書・5 松竹映画シナリオ 早春』(1956年1月15日発行、映画タイムス社、157頁)

「口絵(「早春」6葉、「小津安二郎」、「野田高梧」、「早春ロケ」)」
「解説」(3頁)
「スタッフ」(4頁)
「キャスト」(5頁)
「シナリオ 早春」(6‐147頁)
津村秀夫「小津安二郎の芸術」(148―150頁)
「作者紹介 小津安二郎・野田高梧」(151―153頁)

『早春』B5横型チラシ(1956年1月29日発行、松竹株式会社、両面)

表:待望小津安二郎監督の最高傑作、グラビア13カット
浦:キャスト、梗概

『松竹ニュース』No.5-5 「近日上映『早春』」(1956年1月29日発行、松竹株式会社事業部、4頁)

「早春 スタッフ・キャスト他」(4頁)
発行日がないので、封切日とした。

『早春』(縮刷シナリオ)(1956年1月29日発行、松竹株式会社、34頁)

三段組、発行日がないので、封切日とした。

『早春』(1956年1月29日発行、日本映画宣伝社、6頁)

表紙:岸恵子、池部良
「スタッフ、キャスト」(2頁)
「物語、解説」(3-4頁)

『早春』(1956年1月29日発行、松竹株式会社東京支店邦画部宣伝課、10頁)

表紙:岸恵子、池部良
「小津安二郎監督のこと」(1頁)
「解説」(2頁)
「物語、スタッフ」(3-4頁)
「グラビア 7カット」(5-6頁)
「池部、高橋、岸の豪華顔合せに 見物人は大喜び、蒲田、六郷ロケ・ルポルタージュ ロケスナップ 5カット(全てに小津監督)」「淡島千景・池部良 初顔合せ対談」(7-8頁)
「池部、岸の息づまるラブシーン、小津作品、初の接吻場面、ゴシップ集 グラビア10カット(うち6カットに小津監督)」(9-10頁)
裏表紙:「小津監督快心のクランク 茅ケ崎ロケ報告」

『松竹映画ウイークリー』No.270「早春・大当り男一代」(1956年1月29日発行、新世界出版社、6頁)

「早春 小津安二郎監督 凝り屋の本領発揮 セットに拾った 話題の数々」(2頁)
「早春 スタッフ キャスト 梗概 解説」(3-4頁)
発行日がないので、封切日とした。

『高校コース』第一巻第十一号(1956年2月1日発行、学習研究社、354頁)

小津安二郎「宇治山田に学んだ頃」(58-59頁)
※「青春時代を顧みて」という特集で、小津監督の他に、大家壮一、サトウ・ハチロー、杉靖三郎(東京教育大教授)、水谷八重子の4名のものが掲載されている。小津監督と水谷八重子の文末には(文責在記者)とある。
冒頭を引用する。
「僕は東京で生まれたが、中学時代は宇治山田市で過ごした。伊勢神宮のある今の伊勢市で、静かな町である。その町の美しい風物の思い出は今でもありありと残っている。僕の学んだ中学は、生徒が全部で五百人ばかりの県立の学校だった。当時の田舎の中学と言えば、そこに学ぶ生徒も、中学を卒業して、そのまま社会に出て実業につく人が多かったし、またその上の学校もなかったので、その地方では、まあまあ最高の教育機関だった。しかし、その中学校の校風はどちらかと言えば、表面上の格式を重んじていたため、非常に堅苦しいものであった。したがってそういった環境の学校に学んだ僕にとって、学校生活での楽しい思い出はあまりない。学校の先生にもあまり好意を持てなかった。学問的な意味での敬意は払えたが、人間的には親しみが持てなかった。しかし、友達はたくさんいた。そして、多くの友と、共に語り、共に遊ぶのが、当時の最も楽しいことであった。だが、それらの友の中でやはりのちのちまで自分の心の中に残っている友は、いろいろなことをお互いに話し合った友である。」

小津安二郎・野田高梧『日本シナリオ文学全集7 小津安二郎・野田高梧集』(1956年2月20日発行、理論社、254頁)

「晩春」(3‐47頁)
「麦秋」(49‐109頁)
「東京物語」(111‐169頁)
「早春」(171‐242頁)
津村秀夫「解説」(243‐254頁)

『映画旬刊』第11号(1956年3月1日発行、雄鶏社、148頁)

表紙:スーザン・ヘイウォード
尾崎宏次「特集グラフ・映画作家訪問 小津さんを訪ねる」(43-46頁)
※一部抜粋する。「玄関を入ると、直ぐに六畳くらいの日本間があって、小さな囲炉裏が掘ってあった。きれいな障子と白い唐紙が、清潔で、なんの飾りっ気もなかった。右の棚にツボと仏像がおいてあり、正面に「游於芸 秋艸道人」という掛軸がかかっている。会津八一氏の書で、ふんわりとした筆の運びが、いかにも芸にあそぶという感じをただよわせていた。岸田劉生の絵も三点あった。武者小路実篤の絵は、赤い唐辛と青い唐辛をかいたものがあって、このひとらしく、-思い切って青く、思ひ切って赤く、思ひ切って辛し、辛くない唐辛又面白し」と書いてあった。辛くない唐辛又面白し、というのは、この絵をみた武者小路氏の子供が、「このなかには辛くないのが描いてあるよ。」といったので、あとで氏が書き足した字句なのだそうだ。小津さんは年老いた母親とふたりで住んでいた。部屋にはなんの装飾もなかった。庭には白梅と紅梅がちょうどきれいに咲いている頃であった。コタツに入ってウイスキイを飲みながら話しているが、ふと見ると、いろんな売薬を並べた箱が目についた。-みんな二日酔いの薬でね。-その入れ物が珍しいですね。-運び膳ですよ。湯河原辺りで使っている。そして、その上の棚には、洋酒のビンがずらりと並んでいた。-毒と薬を一緒に置いてあるようなもんですね。そう言って笑ったが、その洋酒のビンの並んでいる左の隅に、劉生の小さなスケッチが掛けてあった、雀右衛門を描いたものだった。」「ははァと、そばにあったたんすに目をやると、正面に大きく鯨とかいた金具がついていた。-鯨というのはなにか意味があるんですか?-ぼくの昔のペンネームからとったもんですよ。さあ、二十六、七年も前ですかね。僕は燻屋鯨兵衛というペンネームでシナリオを書いていた。「生まれてはみたけれど」のときに使っています。清水宏が鯨屋当兵衛でね。僕も清水もクジラが好きだったんですよ。何でも大きなものが好きだった。そのころ作ったタンスで、当時百円しましたかな。燻屋ですか。ぼくタバコばかり吸っていたから。」

『映画旬刊』第12号(1956年3月15日発行、雄鶏社、146頁)

表紙:マリナ・ヴラディ
「特集グラフィック 映画劇場解剖9 東劇」(23-26頁)
※「正面玄関の右地下に試写室があるが、偶然にも小津安二郎監督が志賀直哉さんを案内して出て来られた。「早春」の試写の日だった。」二人はコート姿。
大黒東洋士「日本映画批評 早春」(72頁)

『映画芸術』第四巻第四号(1956年4月1日発行、共立通信社出版部、106頁)

「学生と映画」(32-39頁)
※慶応、お茶の水、立教、法政、東京、早稲田、日本、明治の映画関係の研究会の学生が出席して、映画について議論されている。37~38頁において、小津監督の「早春」について、否定的な評価が語られている。当時の学生の小津映画に関する評価の一端をみることができる。
小倉真美「小津安二郎氏への手紙 -「早春」を見て想う-」(48-51頁)
※筆者は、「自然」編集長。28年前から、京都で学生だった時に、「肉体美」を見て、その諷刺に感心して、それ以来、ずっと小津作品を見てきたという筆者による。小津映画回顧と、「早春」についての評である。
杉山平一「作品研究 早春」(52-53頁)

『映画藝術』第四巻第九号(1956年9月1日発行、共立通信社出版部発行、102頁)

戸井田道三「あまりに微温的な -小津安二郎とコメディイ-」(28-29頁)

菅原通濟『六十の味』(1956年10月15日発行、常盤山文庫出版部、338頁)

「早春 映画早春始末記」(111―129頁)
※冒頭を引用する。「押しかけ女房以上のネバリを見せたので、小津安二郎サン野田高梧サンが、二年越苦心の”早春”に出してもらうことに成功?した。暑いさなから、お正月まで、大船に通い見学した。度を越した熱心ぶりに、或は両君も持てあましたかも知れない。そのときのうれしい数々を綴ってみる。正確に云えば、私の出番は一分間で、百四十四分の一、特別出演したことになる。」「新年会」、「娘の入学試験」、「おでんに恨みあり」、「自画賛」の小見出しが付けられている。

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